周匝平野パノラマー周匝茶臼山城跡展望台よりー

周匝平野

この城風の展望台は、天神山城主浦上氏配下にあった佐々部氏の茶臼山城跡に作ったもの。周匝は、江戸時代、岡山藩池田氏一族の陣屋町で吉井川と吉野川の合流地点にある。展望台からは、北に吉野川上流部、南に周匝平野が眺められ、一帯は吉井城山公園になっていて桜の木が多く、春には城山さくらまつり、城山公園まつりが行われる。

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名称  周匝茶臼山城跡
所在地  〒701-2503 赤磐市周匝15
TEL  0869-55-6175 赤磐市観光協会、

086-954-1319 赤磐市吉井支所産業建設課

築城者  佐々部亦次郎
築城年  享禄~天文年間
概要  周匝茶臼山城の築城年代は明らかでないが、享禄~天文年間(1528~1555年)に
安芸より来た国人佐々部亦次郎が築城と推定され、その子勘次郎の時には天神山城主
浦上宗景に従っていたと伝わっている。

天正5(1577)年に、宇喜多直家により浦上氏が滅亡すると、宇喜多氏に抵抗していた
勘次郎とその子仙千代も討ち死にし城は落城。

江戸時代になると、寛永9(1632)年に、岡山藩主池田家の家老池田長明が、ここ
周匝の地に配され、22,000石を領して周匝陣屋を構え第11代長準の時に明治を
迎えた。(現地案内板を参考)

大仙山城跡 下の案内図から明らかなとおり、茶臼山城の西方に尾根伝いで、大仙山城跡が
あるが、これは、出城的な役割を持った茶臼山城に対する本城と考えられている。
(現地案内板を参考)
遺構 大型竪穴遺構、

復元したこの遺構は、長径約9m、短径約7mの楕円形で、深さは4.5mである。

1.5mさがった所におどり場があり、底には長方形(2.6×4.8m)の床面があり、
この中からは炭、焼土、灰とともに、備前焼ー大甕、甕、擂鉢、徳利、壺、土師器
(杯、皿)、鉄製品(刀子、鉄鏃、釘等)、陶磁器、青磁、白磁、天目、染付等ー
古銭(永楽通報等)など室町時代中期の遺物が出土した。

復元は、竪穴内にある二本の大きな柱を、根本柱とし遺構周囲に検出された柱を、
又柱として組み立てたものと推定して復元したものである。

この竪穴は、人間が住むうえで充分な空間を持っている為、貯蔵も兼ねた居住施設
であったと考えられる。

戦国時代の城郭でこのような遺構の発見例は珍しく極めて重要な遺構である。

(出土した遺物は市支所横郷土資料館に展示している。)(現地案内板)

墓地 周匝茶臼山城の西側には、周匝領主池田家の墓地がある。

東の塚、

二代~五代、

西の塚、

六代~七代、

新のお塚(茶臼山麓、大竜寺址の上)、

初代、八代、九代

開園時間  10:00~17:00
休園日  月曜日
交通  山陽自動車道山陽ICより車で約50分、

中国自動車道美作ICより車で約30分

駐車場  有り(山頂近くまで車の乗り入れ可能)

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