10/31/2020 / 最終更新日時 : 11/08/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 下津井節 下津井節は、下津井港に寄港した北前船の船頭達が「風待ち」「潮待ち」をする間、港町の人達と交流する時に唄われた歌で、それが岡山県を代表する民謡として、北前船の各寄港地にも広がり歌い継がれてきた。
03/12/2020 / 最終更新日時 : 03/17/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川河口水門 百間川河水門は、岡山城下を旭川の洪水から守ると共に新田開発の灌漑用水としても利用する為に造られた放水路(百間川)河口に設けられた水門。ゲート操作により満潮・高潮時には閉鎖して児島湾からの海水の流入を防ぎ、干潮時・洪水時には開放して百間川の流水を円滑に流下させる役割を果たす。
03/09/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 史跡 百間川河口水門改修記念碑ー明治時代ー 百間川河口水門の改修記念碑。元禄時代、岡山藩による新田開発時に設けられた水門が老朽化した為、当時、岡山県上道郡の人々の要請により水門の改修工事がなされ、その完成を記念して建立された。明治25年5月完成。
03/05/2020 / 最終更新日時 : 03/05/2020 桃太郎 碑(文学碑等) かき養殖の父猪又俊雄先生顕彰碑 かき養殖の父として地元虫明の人達から敬慕された猪又俊雄先生の顕彰碑。先生は大正15年1月、虫明湾のほとりにある裳掛尋常高等小学校の教師として新潟県から赴任、実業補習学校の専任となってからは、冬季の漁業の閑散期対策としてかきやアサリの養殖を提案、当時の最新技術を駆使して実践指導に当たった。
03/05/2020 / 最終更新日時 : 03/05/2020 桃太郎 岡山県の港 かき養殖基地 虫明港 Sponsored Link ここ瀬戸内市邑久町虫明の虫明港は、周辺瀬戸内海でのかき筏養殖の基地として、牡蠣打ちの作業所をはじめ様々の関連産業が集積している。 虫明におけるカキ養殖は、1926年(大正15年)に新潟から当 […]
09/17/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 碑(文学碑等) 川柳公園 久米南町の川柳は戦後間もない頃から「川柳によって新しい町づくりをしよう」を合言葉に根づいた町民の文化で、この川柳公園は、昭和52年26基の川柳句碑が建立されたのを皮切りに、新しい句碑が年々配置され美しい自然と調和した心の安らぎの場として人々に親しまれている。
06/18/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 碑(文学碑等) 瀧善三郎義烈碑 慶応4(1868)年、岡山藩家老日置帯刀率いる岡山藩兵の隊列を外国兵が横切るのを、藩士が制止しようとして外国兵に傷を負わせるという事件(神戸事件)が起きた。その責任者として時の先鋒隊長瀧善三郎は神戸永福寺で外国事務係伊藤俊介(後の博文)や外国代表の前で割腹自殺した。
03/29/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 碑(文学碑等) 西山拙斎の碑 鴨神社の西、西山家の墓所にある、江戸中期の儒学者で文人、西山拙斎の頌徳碑。西山拙斎は、享保20(1735)年備中国鴨方村の医者の子として生まれ、大阪、京都で医学、儒学、朱子学を学んだ後、郷里の鴨方で私塾、「欽塾」を開き子弟に朱子学を教えた。
12/30/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 碑(文学碑等) 福岡一文字造剣之地碑 鎌倉時代初期の則宗を始祖とし、銘に「一」の字を刻す「福岡一文字派」は、備前刀の中でも、日本刀の原形として一世を風靡、則宗、吉家、吉房、助真、助平、助綱等御物、国宝、重要美術刀剣、重要刀剣となっているものが多い旨刻まれ、優れた刀匠達がこの地で競いあっていたことを今に伝えている。
12/24/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 碑(文学碑等) 正宗白鳥生家跡顕彰碑 備前市穂浪に生まれた、島崎藤村らと並び称される、自然主義作家正宗白鳥(1879~1962)の顕彰碑で白鳥の生家跡に建てられている。代表作は、「何処へ」。顕彰碑には、この地を題材に綴られた「入江のほとり」の一節が刻まれており、郷愁の思いを残している。