11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 しょっぴんぐばざーる館ーむかし下津井回船問屋ー 回船問屋 旧荻野家 収蔵庫の奥の建物は、むかし下津井回船問屋の「しょっぴんぐばざーる館」=土産物店として使用され、乾物などの水産物を下津井土産として販売している。
11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 収蔵庫 回船問屋 旧荻野家の収蔵庫は、改修して現在は、民具などの展示スペースとむかし下津井回船問屋のトイレとして使用されている。
11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 いんふぉめーしょん館ーむかし下津井回船問屋ー むかし下津井回船問屋 いんふぉめーしょん館は、旧荻野家の蔵を改修し、「日本遺産ー荒海を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落」に関し、下津井地区を中心に写真やパネルで解説をしている。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 衣装蔵 旧荻野家 衣装蔵は、母屋と中庭を挟んだ向かい側にある。現在は、大きなテーブルと椅子を置き、「蔵サロン」としてグループでの会議などに使用できるよう貸し出している。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 グルメ 下津井 回船問屋 旧荻野家 ニシン蔵 回船問屋 旧荻野家のニシン蔵は、北前船が北海道から運んできたニシン粕を蓄えた蔵で、現在は改装して「蔵ほーる」として内部を二つに仕切り、貸しホール(絵画・写真展などの展示企画・結婚式、結婚披露宴、同窓会、)とレストランとして使用している。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 中庭 回船問屋 旧荻野家の中庭は、母屋と蔵との間に設けられた緑の空間で、座敷、奥座敷と茶の間が接しており、人々が多忙に行きかう通り土間とは違いほっと一息つける空間だったと想像できる。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 荻野家 座敷・奥座敷 荻野家 座敷・奥座敷ー上の写真で向こう側が座敷で手前が奥座敷。座敷は店の間と奥座敷は中の間と接して、どちらも中庭に面している。北前船の積み荷や来客、奉公人が行き交う「通り土間」に面した店の間や中の間と違って中庭に面しているため気分の和む落ち着いた空間となっている。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 台所 回船問屋 旧荻野家の台所には、昔懐かしいかまどと流しが置かれている。多くの使用人が働いていたであろう回船問屋の台所にしてはかまども小さく流しも狭いのは何故だろうか?
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 茶の間 旧荻野家 茶の間は、台所と中の間の間にある。店の間や中の間は座敷や奥座敷を介して中庭に接しているが、茶の間は直接中庭に接している。それぞれの部屋を使用する人達の使い勝手と中庭の役割を考えての良い配置にしていると思う。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家の中の間 Sponsored Link 旧荻野家の中の間は、店の間と茶の間の間、奥座敷の手前、通り土間側にある。 むかし下津井回船問屋へ
11/02/2020 / 最終更新日時 : 11/03/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 玉島町並み保存地区 玉島町並み保存地区には、虫籠窓や格子、漆喰壁やなまこ壁を持つ本瓦葺きの商家や土蔵が数多く残されており、これらの伝統的な町並みが平成7年(1995年)に岡山県により町並み保存地区として指定され、また、平成29年(2017年)には日本遺産の構成文化財に認定された。
10/31/2020 / 最終更新日時 : 11/02/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 日本遺産ー荒海を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~ 日本遺産ー荒海を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~の一つとして岡山県では玉島港と下津井港が選ばれているー江戸から明治にかけて、北海道から日本海沿岸を通り関門海峡・瀬戸内海を経由して大阪まで、各寄港地の産物を売買しながら航行した商船は、北前船と呼ばれ寄港地に大きな繁栄をもたらした。
10/31/2020 / 最終更新日時 : 11/03/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 旧野崎浜灯明台(とうみょうだい) 旧野崎浜灯明台ーJR瀬戸大橋線児島駅前の児島観光港横に、周囲の建物には不釣り合いな日本式の木造灯明台がぽつんと残っている。この灯明台は、文久3年(1863年)に塩釜明神のご神燈として、また、当時の、ここ野崎浜へ出入りする船の灯台として建てられたもの。
10/31/2020 / 最終更新日時 : 11/08/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 下津井節 下津井節は、下津井港に寄港した北前船の船頭達が「風待ち」「潮待ち」をする間、港町の人達と交流する時に唄われた歌で、それが岡山県を代表する民謡として、北前船の各寄港地にも広がり歌い継がれてきた。
08/05/2020 / 最終更新日時 : 08/12/2020 桃太郎 岡山県重要伝統的建造物群保存地区 吹屋の町並み 吹屋の町並の由来ー標高五百米の山嶺に、塗込造りベンガラ格子の堂々たる町家が建ち並んでいるのは、江戸時代から明治にかけて中国筋第一の鉱山町に加えて江戸時代末期からベンガラという特産品の生産が重なり、当時の鉱業地として大いに繁昌した面影である。
08/22/2018 / 最終更新日時 : 08/22/2018 桃太郎 グルメ きびだんご おとぎ話、桃太郎の鬼退治の中で、桃太郎がキビを主原料にした団子を犬、猿、キジに与えたことは良く知られている。現在の「きびだんご」は、廣瀬屋の隠居武田半蔵(廣栄堂の先代)ら三人が、もち米を主原料とし上白糖と水飴を混ぜて柔らかい求肥にし、風味付けにキビ粉を加えて造った「きびだんご」を、安政3年(1856)廣栄堂の初代浅次郎が、岡山藩家老伊木三猿斎の指導を受けながら茶席向けに改良したことに始まる。
07/15/2018 / 最終更新日時 : 07/15/2018 桃太郎 史跡 上東遺跡 およそ1700年~2000年前の弥生時代後期から古墳時代前期を中心とする集落跡。多くの竪穴式住居のほか製塩炉や波止場状遺構を確認。貨泉や卜骨、骨鏃、桃核、絵画土器が出土。ここは波止場状遺構が検出された場所で、この遺構は地 […]
07/09/2018 / 最終更新日時 : 07/09/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 血吸川 吉備津彦命が鬼ノ城の温羅に向かって二本の矢を弓につがえて射ると、一本は温羅の投げた岩に食い込んで下に落ち、もう一本は温羅の左眼に当たり、そこから流れた血が真っ赤な川となって流れた。この時にできた川を血吸川と呼んでいる。血吸川の向こう山頂に鬼ノ城が見えている。
06/26/2018 / 最終更新日時 : 06/27/2018 桃太郎 史跡 牟佐大塚古墳 牟佐大塚古墳は、総社市こうもり塚、倉敷市箭田大塚と並んで岡山県下三大巨石墳の一つに数えられている。墳丘の規模は直径約30m、高さ約8.5m、南側には横穴式石室の羨道部が開口しており、石室内に入ることが出来る。石室は花崗岩の巨石を用いた両袖式で、その規模は全国でも十指にはいる。羨道が玄室の約二倍の長さがあり、入口に向かって開く形状となっている。
10/11/2017 / 最終更新日時 : 11/03/2020 桃太郎 主な庭園 旧野崎家住宅 野崎家旧宅は、日本の塩田王と呼ばれた野崎武左衛門が江戸後期の天保から嘉永に築いた、雄大な規模を有する上層民家。本瓦葺の主屋群、土蔵、庭園が創建当時のままに保存されている。約3,000坪の敷地には、42mの奥行きがあり独特な平面の主屋、意匠の優れた表書院、土蔵群、茶室、水琴窟がある。
02/25/2017 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 史跡 両宮山古墳 5世紀中頃に築造された、全長192mの前方後円墳で、造山古墳、作山古墳と並び、県下の三大古墳に数えられ、周濠を持つとしては、県下では唯一のものである。周囲を、廻り山古墳、森山古墳、茶臼山古墳、正免東古墳が取り囲み全体が大規模な墓域となっている。
11/22/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 由加神社 由加神社は、和気氏の氏神様として平安時代後期、天永3(1112)年に西久保方の上山上に建立された。南北朝時代の建武4(1337)年、足利氏に従い九州で戦い戦利を得た、赤松則祐(播磨守護職)によって現在地に移された。古来より由加大明神と呼ばれていたが、明治5年に由加神社と改称した。
07/12/2016 / 最終更新日時 : 08/12/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 旧吹屋小学校校舎 吹屋小学校は、明治6(1873)年に民家を借用して創立された。その後、明治31年に吹屋村が吉岡銅山本部跡地を譲り受け、明治33(1900)年に東西両校舎と東西廊下が完成しこの地に小学校が移転。明治42(1909)年には、中央の本館が完成し現在の校舎の配置が整った。
07/12/2016 / 最終更新日時 : 08/11/2020 桃太郎 国指定重要文化財 旧広兼家住宅 広兼邸は、庄屋で享和・文化(1801~1818)の頃、小泉銅山とベンガラ原料ーローハ(硫酸鉄)ーの製造で栄えた大野呂の庄屋 広兼氏の邸宅。見事な石垣の上に楼門づくりの城の様な建物を建てており、昭和52年と平成6年の二度にわたり映画「八つ墓村」のロケ地ともなった。
07/12/2016 / 最終更新日時 : 08/11/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 西江家住宅主屋ほか 西江家は関東出身の豪族で、鉱山の経営と宝暦年間(1751~1764)に始まるベンガラの製造によって栄えた。現存する白壁と石州瓦の豪勢な建造物は、宝永正徳時代(1704~1716)のもので幕府直轄地の代官代行所として機能していた。改築を重ねているが、原形はほぼとどめている。
07/11/2016 / 最終更新日時 : 08/11/2020 桃太郎 博物館・資料館 ベンガラ館 ベンガラは、赤色顔料として、宝永4年(1707年)吹屋で開発され、硫酸鉄を原料として、安永6年(1777年)から工業化し、早川代官の指導で株仲間を組織し、明治産業復興の波にのり、特産地として長い間繁栄を続けた。吹屋ベンガラ館ではこのベンガラの製造工程を紹介。
07/11/2016 / 最終更新日時 : 08/11/2020 桃太郎 博物館・資料館 吹屋郷土館(ふきやきょうどかん) 吹屋郷土館は、元ベンガラ窯元片山家の分家、妻入の入母屋造で明治12年に完成したベンガラ格子の吹屋の代表的な家屋。完成当時の建物の様子が最も良く保存されているので当主の片山恵資氏に依頼して郷土館にした。
07/11/2016 / 最終更新日時 : 08/11/2020 桃太郎 国指定重要文化財 旧片山家住宅(きゅうかたやまけじゅうたく) 旧片山家住宅は,岡山県高梁市の吹屋ふるさと村に所在する屋号を胡屋(えびすや)といわれる住宅。片山家は、片山の総本家で本片山とも呼ばれ、1759年(宝暦9年)から1971年(昭和41年)までの二百余年にわたり弁柄元祖釜本として吹屋弁柄の地位を守り続けてきた。
07/10/2016 / 最終更新日時 : 09/03/2020 桃太郎 ふるさと村 吹屋ふるさと村ー日本遺産「ジャパンレッド」発祥の地ー 吹屋ふるさと村は、町全体が赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一されており、まわりの豊かな緑とが調和して美しい町並みを形成していることから、令和2年6月19日には、ー「ジャパンレッド」発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~ーとして日本遺産の認定を受ける。昭和49年12月、岡山県の「ふるさと村」に指定され、昭和52年には文化庁から国の「重要伝統的建物群保存地区」にも選定されている。
06/22/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 岡山県重要伝統的建造物群保存地区 倉敷市倉敷川畔伝統的建造物群保存地区 幕府の天領であった倉敷は、倉敷川の水運を利用して米をはじめとする物資の集散地として発展してきた。その後も天領時代の蔵と倉敷川を生かしながら時代の変化に応じた町並みづくりをしてきている。
06/16/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 国指定重要文化財 鳴釜神事 温羅の首は鳴釜神事を認めさせるまで唸り続けている。これは、戦国時代の戦後処理の仕方で言えば、温羅の首は獲られたのだが、温羅の業績も大きく残った家族や家来、住民たちが納得のいく戦後処理にこれだけの時間がかかったとも取れる。
06/16/2016 / 最終更新日時 : 08/28/2018 桃太郎 史跡 温羅伝説 ー桃太郎伝説 の生まれたまち おかやまー 吉備津宮縁起には「桃太郎の鬼退治」の基になったと言われる温羅伝説がある。出てくる人物、地名、動物などは多くが物語として分かり易くしたのだろうが、ゆかりの地を結んでみると当時の地域や戦闘の様子を様々を種々想像することが出来て楽しい。この温羅伝説は、倉敷市・岡山市・総社市・赤磐市に渡って史跡や遺跡が広がっており、「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~として平成30年5月27日付にて文化庁より日本遺産に認定された。
06/08/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 博物館・資料館 鬼ノ城山 「鬼ノ城」は、桃太郎伝説の鬼、温羅が砦としていた「古代朝鮮式山城」で現在も3kmに及ぶ石塁が残っている。駐車場に車を置き、城壁跡に沿う遊歩道を歩くと、遺跡や眼下の雄大な風景を見ながら散策を楽しむことができる。
06/03/2016 / 最終更新日時 : 01/21/2020 桃太郎 史跡 楯築遺跡 吉備津神社の西方、足守川の西岸の丘の上に築かれた弥生時代末期の墳丘墓。石の楯の様なものが円形に並んでいる事から、吉備津彦の命が、鬼ノ城の温羅退治をするにあたって、この丘に防衛のための石の楯を築いたという伝説(温羅穿設=桃太郎伝説)もある。
06/03/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 鯉喰神社 矢喰神社から鯉喰神社まで血吸川と足守川沿いに歩いてみた、約40分。庚申山、吉備の中山、日差山、、造山古墳、鬼城山、竜王山などを周囲に眺め、吉備津彦命と温羅の戦いや備中高松城水攻めなどを想像しながら歩くのも楽しいものだ。
06/01/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 矢喰の岩 吉備路のほぼ中央部、血吸川沿いの田んぼの中にある桃太郎ゆかりの岩。すぐ横は岡山自動車道岡山総社IC。「吉備の中山に陣取る吉備津彦命が射た矢と鬼の城に居た温羅が投げた岩とが空中でかみ合い落下した」といういわれをもっている。
05/30/2016 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 史跡 造山古墳 造山古墳は、長径350m~360mの前方後円墳。履中天皇陵に次いで全国第4位の規模を持ち、上・中・下の三段の墳丘をつくり、埴輪円筒列をめぐらせてあった。付近の6基の小古墳と共に国の史跡に指定されている。6基のうち千足古墳の石室には、直弧紋様の装飾彫刻を施した槨障がある。
05/29/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 史跡 作山古墳 備中国分寺の西方に県下第2位、国内第9位の作山古墳がある。一見この付近に多く見られる丘陵と変わらないので注意しないと見落とす。造山古墳同様立ち入ることがでる古墳。墳丘の東・南方向には農村集落があり、西方に駐車場がある。
05/25/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 史跡 こうもり塚古墳 自然の丘陵を利用して造られた全長約100mの前方後円墳。後円部にある横穴式石室は巨石を用いた全長19.5mに及ぶ巨大なもので、中には家形石棺が安置されている。築造年代は6世紀後半。吉備路風土記の丘の一角にあり散策には最適。
05/24/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 吉備の中山 備津神社や吉備津彦神社の背後には、古くから吉備の中心に位置し、人々から崇められていた吉備の中山がある。歴史や自然に興味の或る方は、健康作りも兼ねて吉備の中山を散策することをお勧め。数多くの桃太郎伝説が残る吉備の歴史や自然をより深く理解するよい機会となるでしょう。
05/17/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 主な庭園 吉備津彦神社 岡山市中心部より国道180号線を西進すると古代「吉備の国」で神体山として崇められた「吉備の中山」の北東麓にさしかかる。ここに鎮座し備前の一宮として信仰を集める神社には吉備国草創の伝説上の英雄吉備津彦命が祀られている。現在の本殿は1697年(元禄10年)、岡山藩主池田綱政による再建。
05/13/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 国宝 吉備津神社ー備中 吉備津宮ー 吉備の中山の麓に建つ吉備津神社は、崇神天皇の御代に四道将軍として吉備国に派遣された吉備津彦命ー桃太郎の温羅(鬼)退治(=桃太郎伝説)の主人公ーを祭神とし古くから吉備地方の総氏神として崇敬されている。境内では春にはぼたん、初夏にはあじさいが咲き誇り多くの人々が訪れる。本殿と拝殿は国宝。
04/28/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 史跡 箭田大塚古墳 6世紀後半~7世紀の築造と見られる横穴式古墳で石室には巨石が用いられている。玄室の3基の石棺の内2基は追葬されたもので、明治34(1901)年の調査時に須恵器、土師器、刀剣、馬具や金環、勾玉などが多数発見された。
04/18/2016 / 最終更新日時 : 11/03/2020 桃太郎 主な庭園 旧柚木家住宅ー西爽亭ー 旧柚木家住宅は、新町通りから運河を隔てた対岸の山麓にあり、江戸中期の庄屋建築の遺構を良く残している西爽亭部分と、旧主屋部分を改修した生涯学習施設から成っている。
04/17/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 玉島新町通り 玉島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島々の集まりであった。江戸時代松山藩の新田開発に伴い羽黒神社西側の潮止堤防上に造られた「新町通り」には虫籠窓やなまこ壁の商家や土蔵が今に数多く残され優れた歴史的景観を呈している。
04/15/2016 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 市町村指定重要文化財 祇園神社 この祇園神社は、かっては瀬戸内海に臨む小高い岬で平安時代頃に造られた旧長浜城址。室町時代に城の鎮守「長浜宮」として創建され、長浜大明神と呼ばれた。その後「祇園神社」、「素戔嗚神社」などと呼ばれた後、今の名前となっている。
04/14/2016 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 博物館・資料館 むかし下津井回船問屋 回船問屋の母屋やニシン倉として使われていた建物をできるだけ当時に近い形で復元してむかしの下津井に関する資料を展示すると共に下津井の歴史・文化・観光情報を提供する施設。下津井町並み保存地区のメインとなる。
04/14/2016 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 下津井ー町並み保存地区ー 下津井節で知られる下津井は、瀬戸内海に面した古い港町で、特に江戸時代中期以降北前船や内海航路の風待ち潮待ちの港として賑わった。今でも「むかし下津井回船問屋」など当時を偲ぶ建物が残っている。
04/02/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 倉敷館観光案内所 大正6(1917)年に開所した倉敷町役場跡で、現在は倉敷館観光案内所として倉敷美観地区の観光案内の拠点となっている。主要業務ー観光案内、観光物産品の販売、くらしき川舟流しチケット販売、観光パンフレット等設置等。
03/23/2016 / 最終更新日時 : 01/10/2020 桃太郎 国指定重要文化財 井上家住宅 倉敷河畔、重要伝統的建造物群の中でも代表的大型町屋で、最も古くから存在する建物の一つ。主屋は、江戸時代中期の正徳年間頃(1711~1716)の建築と推測されている。井上家ー木曽源氏の流れをくむと言われており、かっては備中国宮崎村(現在の早島町)で新田開発に従事していた。
03/22/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 博物館・資料館 倉紡記念館 倉敷紡績創業時に建てられた原綿倉庫を利用した記念館。わが国紡績100年の歴史と時代の流れを背景にして倉敷紡績の歩みを展示し、紹介している。建物は昔の原綿倉庫。倉敷紡績の明治時代からの資料を年代順に展示(写真・文書・地図・模型・絵画)
03/19/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 旅日記 有隣荘ー大原家旧別邸ー 有隣荘は、大原孫三郎が、病弱な妻のために旧大原家住宅の隣に建てたー昭和3(1928)年ー別邸で、緑色の瓦から「緑御殿」とも呼ばれている。緑色の瓦にオレンジ色の壁は、黒い瓦に白壁の倉敷美観地区の中でひときわ目を引く。特別公開日以外は見学は外観のみ。
03/19/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 国指定重要文化財 旧大原家住宅 江戸時代後期のこの地方の代表的な町屋の一つ。綿の仲買で大いに栄えた大原家の住宅で母屋をはじめ離座敷、内倉、倉など10棟の建物と宅地が国の重要文化財に指定されている。大原美術館の前、倉敷川の終点近くに架かる今橋を渡った所にある。
03/19/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 博物館・資料館 倉敷民芸館 民芸のよき理解者であった大原孫三郎が、滋賀県出身の民芸運動家であり染色家の外村吉之介氏を招き、江戸時代に建てられた米倉を活用して、戦後間もない昭和23(1948)年に開館。
03/19/2016 / 最終更新日時 : 03/22/2020 桃太郎 博物館・資料館 倉敷考古館 倉敷民芸館に続き昭和25(1950)年に開館。江戸時代の米倉を改装、吉備地方を中心とした出土品、出土器、各時代(縄文・弥生・古墳・奈良・室町)の代表的な考古学資料を年代順に展示。倉敷考古館は、前に架けられている中橋と相まって、倉敷美観地区の代表的撮影スポットとしても人気がある。
03/17/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 大原美術館本館 大原美術館は、倉敷の事業家大原孫三郎が、友人の画家児島虎次郎に託して収集した西洋美術を中心とし、同時に集めた中国、エジプト美術なども加えて展示するために建築したギリシャ様式の建物で、日本最初の西洋美術館。その後も分館、陶芸館、版画館、染色館などを開館している。