04/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 旅日記 家型石棺の蓋ー浄泉山 正法寺ー 西花尻にある浄泉山 正法寺の門を入って左手の庭に不思議な板状の石の板が建てられている。この石の板は播磨国の竜山石(たつやまいし)で造られた刳り抜き式家型石棺の蓋と推定されている。
04/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 旅日記 吉備の中山と備前国・備中国の国境 古代吉備の国は、あまりにもその勢力が強かったため、大和政権により備前国、備中国、備後国に分けられ、その後備前国はさらに備前国と美作国に分けられた旨伝わっている。ここでは、吉備の中山とその周辺にある備前国・備中国国境を示している場所を取り上げる。
07/19/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 旅日記 如法経塔ー吉備津神社ー 岩山社参道左、大きな木の下にある如法経塔は、格調高い調和のとれた構造美から室町時代の作品と考えられる。吉備津神社の境内に数多くある中世、神仏混淆時代の遺物、遺跡の一つ。(現地案内板を参考)
03/10/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 史跡 百間川河口水門建設の歴史ー江戸から明治ー 岡山藩士津田永忠は、操山南に広がる浅瀬で新田開発に併せて旭川放水路、百間川を築造、河口には洪水調節や潮止め対策としての水門を整備、その水門は築造後から現水門が出来る昭和43年まで機能してきた。
11/05/2018 / 最終更新日時 : 11/12/2018 桃太郎 旅日記 問屋町テラス 問屋町テラスは、岡山市問屋町エリアのほぼ真ん中、協同組合岡山県卸センター、オレンジホール跡地に誕生した複合商業施設。住宅展示場9棟と商業テナント13店が入っており、問屋町の真ん中からお客様のライフステージをテラス(=照らす)、「日々の幸せの瞬間」と「住まい」を身近に体感できる施設。
08/23/2018 / 最終更新日時 : 08/23/2018 桃太郎 旅日記 桃太郎像ー岡山駅東口広場ー 桃太郎伝説の地岡山、そのJR岡山駅東口広場に設けられた桃太郎像。犬、猿、キジを引き連れた桃太郎の凛々しい像の台座の周囲は腰掛けることが出来るようになっていて、休憩や待ち合わせの場所として人気がある。岡山駅前から城下方面に延びる桃太郎大通りには、桃太郎、犬、猿、キジの愛らしい彫刻が点在している。これらの像を探しながら大通りを散策するのも楽しいものだ。
07/30/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 旅日記 桃太郎像ー吉備津彦神社ー 吉備津彦神社の駐車場横にある桃太郎の像。足元には、お供の犬・猿・雉が!駐車場の隅にポツンと置かれているのですが、作者も、設置時期も書かれておらず、ただ、「この桃太郎像は、平成28年度に公益財団法人マルセンスポーツ・文化振興財団様より助成金をいただき修復しました。」と記載された立札が建てられているのみ。一度見たら忘れられない不思議な印象の桃太郎像です。
07/14/2018 / 最終更新日時 : 07/14/2018 桃太郎 旅日記 倉敷市役所 全国的に誇れる観光地倉敷美観地区や鷲羽山、ももたろう伝説の地「吉備路」そして水島臨海工業地帯を控えた都市にふさわしく、緑に囲まれた雰囲気の良い市庁舎です。春のゴールデンウィークや倉敷美観地区でビッグイベントが行われる週末 […]
07/06/2018 / 最終更新日時 : 07/07/2018 桃太郎 旅日記 貴舩神社 帯江、不洗観音寺境内の南に祀られている神社で不洗観音寺の鎮守社。不洗観音縁起に、三宝荒神・十二社権現は山内の守護神。貴布禰神は山外の鎮守神、海路往還船の守護神及び病気平癒、息災延命、寿命の守護神とある。現在の社殿は明治45年(1912)再建。
06/30/2018 / 最終更新日時 : 01/21/2020 桃太郎 旅日記 地球史研究所 地球史研究所は、国内外の地質学研究者らでつくるNPO法人により整備された民間研究機関で、赤磐市を中心に吉井川流域に分布する約3億年前~現在に至る地質より太古の川の化石である吉備層群周匝層を核とした物語を構築、瀬戸内地方初のジオパークとすることを目指し、博物館を併設した地球科学の研究・教育・普及・展示活動拠点とすることを目的としている。
06/25/2018 / 最終更新日時 : 06/25/2018 桃太郎 旅日記 石碑 神恩洪大 石碑「神恩洪大」は、倉敷市出身の大本三代教主補出口日出麿師(1897~1991)の書で、青年時代に当神社によく参詣されていた記念として建碑。師は、昭和10年の第二次大本弾圧事件で苦難に遭遇、以来神仙の境涯にあって、書画をよくし、書道家等をして、清澄にして神韻縹渺と評せしむ。また青年期の思索の著書「いきがいの探求」「生きがいの創造」「生きがいの確信」の生きがいの三部作は現代人の心の糧として広く読まれている。
06/21/2018 / 最終更新日時 : 06/21/2018 桃太郎 グルメ ヘルスピア倉敷 アイススケートリンク、屋外レジャープール、フィットネスルーム、テニスコートなどの運動施設に加えてラドン温泉施設、レストラン、パーティルーム、スポーツスクール、鍼灸ケアセンターなどを備えた、健康をテーマに運動、食事、癒し、学びを複合的に体験できる施設。
06/18/2018 / 最終更新日時 : 06/18/2018 桃太郎 旅日記 クラシキ クラフト ワーク ビレッジーKurashiki-Craft-Work-Villageー 倉敷美観地区内にある、国の重要伝統的建造物群保存地区の町家を改築、製作見学や製造体験が行える工房付きの店舗を整備して、地元素材を使ったオーダーメイドクラフト製品の製造・販売を行っている。倉敷の町家の中の様子も楽しめます。
06/17/2018 / 最終更新日時 : 06/18/2018 桃太郎 旅日記 倉敷デニムストリート 国産デニム発祥の地、児島産のデニムを使用したジーンズやバッグ、小物などの雑貨商品にこだわって販売している。店頭では、デニム色と称して青系の色のソフトクリームや、バーガー、まんじゅう、飲み物などが人気。
06/14/2018 / 最終更新日時 : 07/07/2018 桃太郎 旅日記 秦原の郷ー古代吉備国発祥之地ー 高梁川が秋葉山にぶつかって大きく南に迂回、広い開口部に噴き出すところの内側にできた平地とその西方にある正木山、城山(荒平山)を含む地域。平地の中心部近くには岡山県下で最も古い寺跡とされる秦原廃寺跡があり、渡来人の秦氏が治めていた地域で吉備の国発祥の地との説もある。それを裏付けるかのように西方城山の丘陵からは60基を越える古墳が発見されている。
05/10/2018 / 最終更新日時 : 05/10/2018 桃太郎 旅日記 BIOS憩いの広場 BIOS憩いの広場は、JR倉敷駅南口に近い、倉敷センター街BIOSの中心付近、倉敷まちづくりセンター内にある施設で倉敷の商店街を訪れる人達が自由に休憩したり、倉敷ひなめぐりなど商店街で様々のイベントを行う際に使用されている。
03/28/2018 / 最終更新日時 : 04/01/2018 桃太郎 旅日記 めぐりんー岡山市内循環バスー 岡山駅前を振り出しに、岡山市街を左右に循環(5ルート)する原則運賃100円均一(一部例外有り)の乗り合いバス。近く、中心部だけでなく郊外住宅地とを結ぶ「めぐりん」も運行される予定(岡山駅前⇔新橋線)。
01/05/2018 / 最終更新日時 : 01/05/2018 桃太郎 旅日記 津山城西地区 津山城より西側に位置する地区、江戸時代には武家屋敷や寺町が中心におかれたため今でもその名残が随所に見られる。 NHKの朝の連続ドラマ「あぐり」のロケ地である田町武家屋敷跡、作州地方の民芸品や郷土玩具などの歴史資料を展示し […]
01/02/2018 / 最終更新日時 : 01/03/2018 桃太郎 旅日記 宮川・津山城跡と橋本町 宮川大橋から宮川とその右岸に位置する津山城を眺める。この橋の東側は橋本町と呼ばれた町人町で、この町から東方に続く旧出雲街道沿いのいくつかの町並みは、鈎手状に曲がった道や昔の名前そのままの路地など城下町らしい魅力を残しており津山市重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
12/11/2017 / 最終更新日時 : 12/11/2017 桃太郎 旅日記 高原のお宿さかた Sponsored Link 名称 高原のお宿さかた 所在地 真庭市蒜山上福田1205-241 TEL 0867-66-2515 客室の種類 和室4室、洋室ツイン3室 収容人員 ー 付帯施設 ー 研修の受入 […]
12/04/2017 / 最終更新日時 : 12/04/2017 桃太郎 旅日記 鹿久居荘日生 Sponsored Link 名称 鹿久居荘日生(かくいそう ひなせ) 所在地 〒701-3204 備前市日生町日生639-34 TEL 0869-72-0345 客室の種類 和室4室、洋室ツイン5 […]
10/31/2017 / 最終更新日時 : 10/31/2017 桃太郎 旅日記 サントリー天然水 奥大山ブナの森工場 伯耆大山から烏ヶ山方面にかけての奥大山地区に振った雨や雪は、地中へゆっくりと浸透、火山活動でできた火砕流の地層の中を約20年以上かけてゆっくりとくぐり抜けることによって程よいミネラルを含む天然水となる。この水を採水、徹底した品質管理の下で無菌環境でボトリングをする工場。
10/28/2017 / 最終更新日時 : 10/28/2017 桃太郎 旅日記 大山沢通行止め時の迂回道路 大山の南壁側は、大山パークウエイが山の中腹を通っており、大雨が降った際、山の崩壊により、沢(一の沢・二の沢・三の沢)からの土砂が道路上へ流出し、道路の通行止めがしばしば発生する。この時の迂回路として広域農道が使用されている。この道路からの大山の眺めは、大山パークウエイ通行時とはまた別の良さがある。
10/28/2017 / 最終更新日時 : 10/30/2017 桃太郎 旅日記 大山パークウエイ 大山パークウエイは、大山隠岐国立公園の中で大山を中心に、南東の蒜山から北西の美保関までの、景観や自然の優れた地域を結ぶ道路。すなわち、旧蒜山大山スカイライン、旧大山環状道路、旧大山観光道路、国道431号線(通称産業道路)、美保関道路を結んだルートの名称で地域活性化の中心軸としている。
10/28/2017 / 最終更新日時 : 10/28/2017 桃太郎 旅日記 白水川 大山の南側斜面は崩壊が激しく、大量の土砂を下流へと流出させている。国は、この土砂の流出を防いで、土石流や洪水による氾濫を防ぐため、砂防堰堤や川床固群の整備を行っている。大山山系から日野川に流れ込む川は北から別所川、清山川、大江川、白水川、小江尾川、船谷川、俣野川などがあり、大山山系南7渓流と呼んでいる。
10/22/2017 / 最終更新日時 : 10/22/2017 桃太郎 旅日記 大山二の沢 崩壊していく大山南壁のガレ場や小さな沢から土砂が流入してくる二の沢、何段もの砂防ダムが造られているにもかかわらず崩壊との戦は果てしなく続く。この様な沢は、大山の南壁の下を通る大山環状道路を越えて流れ下っており、特に一の沢、二の沢、三の沢は大規模で、大山の自然を知る上で見逃せない。
10/20/2017 / 最終更新日時 : 10/30/2017 桃太郎 旅日記 桝水 大山環状道路が桝水高原を横切る道路脇に、年中水量が桝で計ったように変わらぬ水量だったため、元禄時代あるいはそれ以前の昔から村人たちが桝水と呼んでいた小さな水溜りがある。この水溜りの脇には、この付近一帯が桝水高原と呼ばれるようになった経緯が書かれた案内板が立てられている。
10/17/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 御幸参道本通りー大山寺ー 古くからの大山信仰の門前町でありまた大山登山の拠点大山寺集落から大山寺への参道で石畳と石段の続く道。 麓には、広い駐車場、みやげ物店、宿泊施設や郵便局、大山情報館、大山自然歴史館などの公共施設が並んでいる。この本通りに沿った、佐陀川側のブナ林の中には、御幸参道河原通りがある。
10/16/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 金門ー大山寺地区ー 金門は俗に「切り分け」ともいわれ、佐陀川の峡谷部で、切立つ崖が両岸に迫った景観は見事である。大山が山岳仏教の行場として開かれた所で、この東側断崖南壁の下から約3米の所には、高さ1.3m位の地蔵菩薩が刻まれている。大山寺の隆盛の頃「賽の河原」の守り地蔵として刻まれたものと思われる。
10/15/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 賽の河原と大山 賽の河原とは、小児が死んでから赴き、苦を受けるところ。冥途の三途の河原で、小児の霊が石を拾って、父母供養のため塔をつくろうとすると、大鬼が来て崩す。小児の霊は泣きながら、また塔をつくるが、また崩される。これを繰り返すうちに地蔵菩薩が現われて救う、と言われている。
10/15/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 中門院谷園地 大山寺参道とその脇を流れる佐陀川の間にある中門院谷園地は、標高は800m内外の所にある。ここにあるブナをはじめとする各樹木は、春に新芽を出して葉を拡げ、花をつけ、夏に広い葉を茂らせ、秋は実をつける。そして、樹木の葉は様々な色に紅葉し、木枯し吹く冬に散っていく。こうした特徴から夏緑広葉樹林と呼ばれている。
10/15/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 僧兵荒業の岩 養老2(718)年金蓮上人がお堂を建てて地蔵菩薩を祭り、修験者の根本道場とした事に始まる大山寺の僧兵は一騎当千勇猛をもって知られており、常識では想像も出来ない荒業をしたと伝えられているが、その荒業の一つとしてこの岩から飛んだと伝えられ、この名がある。
10/09/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2020 桃太郎 旅日記 百間川河口水門 百間川の水を海に排出するための施設で、満潮時に海水が逆流しないように水門を閉め、干潮時に水門を開けて水を排出するように出来ている。昭和年間に改築した昭和水門は、計画流量の6割程度しか排水能力が無い為、平成に入って新しいタイプの水門を増築しその排水能力を増加させた。
10/08/2017 / 最終更新日時 : 10/08/2017 桃太郎 旅日記 南水門・北水門 江戸時代に岡山藩主の命で津田永忠が干拓した幸島新田の内、東部の幸田川の水の排水は北水門、幸崎川流域の水の排水は南水門、そして大雨で大量の水を排水する必要が生じた場合には、幸崎排水機場の水門から行われている。これらの三水門は、水門湾と幸島新田を隔てる堤防に設けられている。
10/08/2017 / 最終更新日時 : 10/08/2017 桃太郎 旅日記 千町川大水門 千町川大水門は、江戸時代に津田永忠が岡山藩主の命で千町川の両岸の干拓を行って生じた幸島新田の南端、千町川の河口部にある水門。竣工は、昭和47年3月で建設当初の水門を見ることはできないが、東西にある水門の間を仕切る堤防上には旧家らしき建物や倉庫が並び独特の風景を展開している。
09/23/2017 / 最終更新日時 : 09/23/2017 桃太郎 旅日記 北房ほたる公園 この北房ほたる公園付近は、環境省の「ふるさといきものの里百選」に選ばれており、5月下旬から6月中旬にかけて、水の澄んだ備中川の河辺に無数のゲンジボタルが乱舞する。6月の第2土曜日には、ほたる公園で「ほたるまつり」が開催される。
09/16/2017 / 最終更新日時 : 11/10/2017 桃太郎 旅日記 美咲町旭地区 美咲町の西部に位置する旧旭町に相当する地区。地区の大半は山林で、旭川湖が地区のほぼ中央を占め、湖岸には約3,000本の桜が植えられて「三休公園」に植えられた5,000本の桜と共にシーズンには地区内は桜で覆われる。和紙の原 […]
09/14/2017 / 最終更新日時 : 11/10/2017 桃太郎 旅日記 美咲町中央地区 県の中央部に位置し、大垪和には中央町を代表する美しい棚田風景が見られる。そして、その奥、二上山には中世の山岳密教の様式を留めた両山寺があり、その境内にそびえる、樹齢千年、高さ三十メートル以上もあろうといわれている二上杉とともに歴史のロマンを強く感じることができる。
09/13/2017 / 最終更新日時 : 11/10/2017 桃太郎 旅日記 美咲町柵原地区 県の中央、やや北東部寄りに位置し、北は津山市、東は美作市、南は赤磐市吉井、西は美咲町中央と久米南町に接している。 町中央部を吉井川が南流し、下流部で吉野川と合流している。地区名の由来は明治15年柵原地区において、硫化鉄鉱 […]
09/03/2017 / 最終更新日時 : 09/03/2017 桃太郎 旅日記 コレット荘の納屋 ルノワールが描いた絵「コレット荘の納屋」のモデルとなった古い農家。ルノワールがこの土地を買い取った時にはオリーブ畑に付いた農家だった。そのたたずまいがあまりにも周囲の風景とマッチしていたのでそのまま納屋として使用し、別に母屋を新築した。今は絵葉書や本などルノワール関連のみやげ物の販売店となっている。
09/03/2017 / 最終更新日時 : 09/03/2017 桃太郎 旅日記 オ・ド・カーニューカーニュ・シュル・メールー ルノワールの庭園のオリーブの間からの眺め。古い鷲の巣村の一つ。中央に見えるのはグリマルディ城。ルノワールの庭園へは、ルノワールを訪ねてモネ、マティスやロダンを始め安井曽太郎、梅原龍三郎 小出楢重等も訪れているので、訪れた人達は、ルノワールの説明を受けながら、この風景を眺めていたのであろう。
09/03/2017 / 最終更新日時 : 09/03/2017 桃太郎 旅日記 コレット荘ールノワールー ルノワールが晩年の12年間を過ごしたと言われるの家の庭で、「コレット荘風景」と題する絵にもなっている。当時からこの付近には、樹齢数百年~千年のオリーブの木が茂っており、ルノワールの愛する風景であった。そのオリーブを伐採から守るためルノアールが買い取りアトリエを建て住んだのがコレット荘。
09/02/2017 / 最終更新日時 : 09/02/2017 桃太郎 旅日記 カーニュ・シュル・メール郊外 住宅街の入口で、バスを降りてルノワールの家まで歩く(オーギュスト・ルノワー通りだったと思われる)途中の住宅街。南フランスの住宅街には緑と花がいっぱい。緑の大切さを強く感じる。家並の向こうには地中海が見え隠れしている。南フランスらしい明るい風景だ。
08/01/2017 / 最終更新日時 : 08/01/2017 桃太郎 旅日記 陣屋町庭瀬 JR岡山駅から山陽本線で西に二つ目の庭瀬駅近くには、戦国時代に備中の武将、三村元親が備前の宇喜多直家の侵攻に備えて築城した庭瀬城がある。この庭瀬城城主はその後、宇喜多氏、戸川氏と時代と共に代わり、江戸時代の途中からは、庭瀬陣屋と撫川陣屋に分かれ、城下は二つの陣屋町として治められ明治維新を迎える。
07/27/2017 / 最終更新日時 : 07/27/2017 桃太郎 旅日記 旧撫川大橋の常夜灯と親柱 庭瀬往来が足守川を渡る所に、全長22m程の橋が架けられ、そのたもとには石造の常夜灯と親柱があった。この撫川大橋が昭和43年に元あった場所から少し南に架け替えられた時、その東側のたもとにあった石造の常夜灯と親柱が住民たちの熱意によって移設され現在は、大橋中之町公民館前に保存されている。
06/23/2017 / 最終更新日時 : 06/23/2017 桃太郎 旅日記 岡山市北区建部町 建部町は、中央を清流、旭川が斜めに横切り、江戸時代以前から、備前・美作の結節点として、高瀬舟が行き交い、川湊として、また、陣屋町・宿場町として大いに栄えた。建部の地名は大和国家が成立した頃、日本武尊の御名代の地、「たけるべ」に由来すると伝えられている。
06/20/2017 / 最終更新日時 : 06/24/2017 桃太郎 旅日記 岡山市北区御津地区 町の中央部を旭川が南下し、これに宇甘川、新庄川が合流している。この町の中心地、金川は南北を結ぶ水陸交通の要衝として発展し、室町から戦国時代にかけては、戦国最大の士豪松田氏が城を築いて、その城下町として、江戸時代になると岡 […]
06/11/2017 / 最終更新日時 : 06/11/2017 桃太郎 旅日記 岡南地区 岡山市南区の内、南を児島湾、児島湖に面し、東を旭川、西を笹ヶ瀬川で挟まれた地域で、特に、現在延伸中の外環状線を中心とする地域。地域のほとんどが干拓によって造成されており、広い敷地面積を生かした工場、商業施設や公共施設、農地、住宅団地が多い。
06/04/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 瀬戸内海国立公園 八丈岩山 八丈岩山は、瀬戸内海国立公園東児島地区の東端に位置し、八丈岩山を中心に自然探勝路、休憩舎などが整備され内海の展望を楽しみながら、自然とのふれあいができる。又西方にある貝殻山、天目山、金甲山にも、園地、休憩舎等があり、四季を通じて利用することができる。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 06/04/2017 桃太郎 旅日記 妹尾地区 妹尾は庭瀬藩主戸川氏の陣屋町で、盛隆寺とその塔頭群、御前神社など由緒ある神社仏閣をはじめ陣屋の町並みが残っている。一方瀬戸大橋線南側の東畦は江戸時代後半以降に行われた干拓地で、最近「せのおニューシティ」という大規模な宅地開発がなされてきた。駅の両側で全く異なった顔を持つ町である。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 06/03/2017 桃太郎 旅日記 岡山西ふれあいセンター 地域住民の交流や、健康づくり、生涯学習を促進するための福祉サービスを提供。岡山市の機関である南区西福祉事務所、西保健センターも併設している。建物北側に普通車100台程度駐車可能な駐車場有。センター内には、レストランや喫茶室は無し。
06/02/2017 / 最終更新日時 : 06/03/2017 桃太郎 旅日記 庭瀬藩主戸川家墓所 庭瀬藩初代藩主戸川達安をはじめ戸川家歴代の墓地。戸川達安は宇喜多秀家の家臣であったが、宇喜多家のお家騒動で徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いでは東軍として活躍、庭瀬藩主となる。早世した妹の冥福を祈りたいという母の意を察して日鳳上人を開祖に迎えて、ここ啓運山盛隆寺を開創した。
06/02/2017 / 最終更新日時 : 06/02/2017 桃太郎 旅日記 啓運山盛隆寺菩提樹 釈迦国の王子お釈迦さまが、29歳で出家、修行をかさね、35歳で宇宙人生の真理を、インド・ブッダガヤの樹下でさとられ仏陀となられた。それ以来お釈迦さまは、樹下石上を住いとして、教化、説法を続けられ80歳を一期として、ご入滅されたと伝えられる。この樹下というのが菩提樹。
06/02/2017 / 最終更新日時 : 06/02/2017 桃太郎 旅日記 啓運山盛隆寺仁王門 現在のものは宝暦12(1761)年日領上人の代に改築されたものである。なお、仁王像は日蓮宗にはないもので、これは、この寺が真言宗であった当事のものである。
06/01/2017 / 最終更新日時 : 06/02/2017 桃太郎 旅日記 妹尾太郎兼康頌徳碑 妹尾太郎兼康公は、平家武将でここ妹尾に州浜城を築き、数多くの武功をたてたとされている。領内においては新田を開発、高梁川の湛井から水を引き、湛井井堰を開発すると共に用水路の整備をし、用水流域の12箇郷68ヶ村を干ばつから守った。
05/29/2017 / 最終更新日時 : 05/29/2017 桃太郎 旅日記 せのおニューシティ JR瀬戸大橋線 妹尾駅の南側に造成されたニューシティでJR岡山駅まではマリンライナーでわずか7分。マンションと一戸建て住宅とが調和した素晴らしい環境の高級住宅地ー全700戸ー。周辺には、教育機関、ショッピングセンター、金融機関、病院、コミュニティセンターが充実している。
05/08/2017 / 最終更新日時 : 05/09/2017 桃太郎 旅日記 沖新田干拓 奈良時代から昭和の中頃にかけて行われた「吉備の穴海」干拓の長い歴史の内、沖新田の干拓は、元禄4(1691)年9月に池田綱政が津田永忠に命じ、永忠の指揮の下、元禄6(1693)年12月に完成した部分をいう。この干拓の時、百間川河口部の大水尾による遊水地と5つの樋門も完成した。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 旅日記 沖田神社 岡山藩主池田綱政の命により、備前国南部の沖新田全体の産土神として勧請、鎮座。沖新田は、池田綱政の命で、津田永忠の指揮の下、干拓によりできたものであるが、潮止め工事が難航したため、「きた」という女性が人柱となって龍神に身を捧げたという伝説が伝えられている。
05/01/2017 / 最終更新日時 : 11/07/2017 桃太郎 旅日記 柿の里沢田 岡山市街の東、操山の北麓と百間川に挟まれた里で柿の産地として有名。市街中心部からごく近いところに位置しながら日本の良き里山の風景をそのままに残している。操山の公園化計画とともに造られた、操山里山センターがあり、操山に関する情報の提供や各種イベントが行われ、多くの自然愛好家が訪れている。
04/28/2017 / 最終更新日時 : 05/05/2017 桃太郎 旅日記 円山ー操山山系ー 操山山系に属するピークの一つ。山頂は平らになっており南東端には、石鉄山(いしぐらやま)古墳(操山54号墳)、南面には八大龍王と書かれた石碑があり、儀式が行われていたのではと思われる平地が、そして南側の階段を降りた所には、古墳の上に円山不動尊の社が建てられている。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 04/26/2017 桃太郎 旅日記 瓶井の井戸 操山の古名は瓶井山で、この瓶井の井戸(泉)がその名前の由来となっている。安住院が本坊であった頃の、瓶井山禅光寺の山号ともなっている。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 04/26/2017 桃太郎 旅日記 内田百閒の墓地 安住院から多宝塔に登っていく道の途中の墓地群内にある。入口には案内板があり、「ほとんど岡山に帰らなかった百閒は、墓所のある操山の瓶井の多宝塔を、安房列車の車中から遠望していた。古京の生家からこのあたりまでよく遊びに来ていた。内田家の4代のお墓がある。」との記載が。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 04/24/2017 桃太郎 旅日記 伊木氏玄蕃頭幸賢之墓 伊木家岡山藩家老三万石、伊木玄蕃頭幸賢、分家伊木日向の二代目、寛永19年12月8日跡目相続をし番頭-五千石ーをおおせつかる。延宝2年11月26日病死(43才)、主家池田家の安泰を願って岡山城の鬼門にあたる竜の口山麓湯迫の地に埋葬されたと言い伝えられている。
04/15/2017 / 最終更新日時 : 04/15/2017 桃太郎 旅日記 量水堰堤 豊かできれいな水を供給する森林の研究。園内にある量水堰堤は、森林から流れ出る水量を測定する施設。森林の変化や取扱が河川の流量にどのような変化を及ぼすかを研究するために昭和11年に設置され、昭和12年から80年にわたり流量観測が続けられている。
04/10/2017 / 最終更新日時 : 11/09/2017 桃太郎 旅日記 浅口市ー金光町ー 浅口市の北東部に位置し、北は矢掛町と霊峰遥照山を持って接している。町の中央部を東西に流れる里見川に沿って山陽本線が通り、JR金光駅南に位置する金光教本部を中心に市街地を形成、参拝者は約50万人にのぼる。植木の産地としても知られている。
04/10/2017 / 最終更新日時 : 11/23/2017 桃太郎 旅日記 浅口市ー寄島町ー 寄島は、山裾が海に沈む狭い砂浜に続く浅い砂浜の先にある島の名であった。この浅い海に着目し、狭い砂浜を広げるため江戸時代に陸側から干拓工事が進んだ。その後も、昭和50年代になって、県営の農業干拓として、現在の寄島干拓地の干拓がなされ、寄島が陸続きとなった。
04/08/2017 / 最終更新日時 : 11/09/2017 桃太郎 旅日記 浅口市ー鴨方町ー 北に瀬戸内海方面の展望に優れた、遥照山、竹林寺山を控え、中央を山陽自動車道が東西に貫き、鴨方ICでアクセスすることができる。また、町の中心付近で羽を広げたように横たわる鴨山の麓には、備中鴨方藩の中心地、鴨方往来で栄えた街並みの一部が「かもがた町家公園」として復元されている。
04/08/2017 / 最終更新日時 : 04/08/2017 桃太郎 旅日記 寄島園地 瀬戸内海国立公園に属し、笠岡諸島や塩飽諸島など瀬戸内海の多島美を眺めることができる自然豊かな丘で、南側に1kmに渡って伸びる海岸線では、海水浴やキャンプ、釣りを楽しむことができる。現在は干拓により陸続きとなっているが、寄島園地は元々寄島と呼ばれる瀬戸内海に浮かぶ島であった。
03/30/2017 / 最終更新日時 : 03/30/2017 桃太郎 旅日記 細川通董公墓碑 細川通董公は、第7代鴨山城主で、名君の誉れが高かったが、天正15(1587)年豊臣秀吉の筑紫征伐の際、毛利氏に随伴出陣、その帰途赤間関(下関)で客死した。長川寺境内に墓碑がある。
03/29/2017 / 最終更新日時 : 03/30/2017 桃太郎 旅日記 田中索我の墓 備中鴨方に生まれ、京都で鶴沢探索に学び、仙洞御所の屏風・杉戸などを制作した江戸時代後期の画家、田中索我ー寛保2(1742)年~文化11(1814)年ーとその子の墓。晩年は鴨方に帰り、求めに応じ筆をとるとともに、同郷の西山拙斎と親しく交わり「索我描けば、拙斎賛す」という仲であた。
03/29/2017 / 最終更新日時 : 03/30/2017 桃太郎 旅日記 宮の石橋ー鴨神社ー 宮の石橋は、鴨神社の参道、髄神門を通って拝殿まで行く石段の登り口にある太鼓状の石橋。6枚の反らせた長い石を並べて横道の上に架けている。この横道は、田中索我の墓、西山拙斎の碑へ通じている。鴨方に過ぎたるものが三つある。拙斎・策我・宮の石橋。
03/24/2017 / 最終更新日時 : 03/24/2017 桃太郎 旅日記 裏川筋 宇喜多堤築堤の後、葦が繁茂する干潟が開墾され、葦原新田となったのは寛文4年(1664)であり、早島と前潟の境界付近に位置するこの裏川の辺りまでだったと推測される。当時は子供が川で遊び、邸内に水を引き入れる石組などがあり、生活に密着した用水と親しまれていた。
03/23/2017 / 最終更新日時 : 03/23/2017 桃太郎 旅日記 岡山県総合流通センター 岡山県総合流通センターは、中国・四国、関西・九州地域のほぼ中間地点に位置、瀬戸中央自動車道早島ICまで車で5分という立地にある。従って、中国・四国、阪神・福岡地域への貨物輸送拠点として広島、香川、兵庫などと比較しても輸送 […]
03/23/2017 / 最終更新日時 : 03/23/2017 桃太郎 旅日記 早島町役場 「吉備の穴海」と呼ばれる海に浮かぶ島であった早島、420年ほど前、宇喜多秀家によって干拓が始められ、江戸時代には、旗本戸川家3,400石の陣屋が置かれ、イグサの育成と畳表の特産地となった。その後四国讃岐の金比羅詣の経由地、金比羅往来の拠点として多くの旅人でにぎわった。町内にはこれらの名残が数多く残っており散策が楽しめる。
03/16/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2017 桃太郎 旅日記 円城寺門前町 円城地区の歴史は、奈良時代本宮山山頂に開創の正法寺が鎌倉中期の火災により、現在の地へ天台宗円城寺として再建されたのを期に門前町が形成され発展してきたもの。最盛期には、塔頭14坊、末寺6ヶ寺を数え、江戸時代には市が開かれ、宿場が軒を連ね、この地方の商業の中心地として栄えた。
03/14/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2017 桃太郎 旅日記 吉備高原都市住宅地区 岡山県の中心部に位置する吉備高原都市は、風水害の被害が少なく近くに活断層も見当たらない。県内各地域、岡山空港や岡山自動車道にも近く、またセンター区には「きびプラザ」があり、銀行、町役場支所、ホテル、各種商業施設も整備されており生活にも便利。
03/14/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2017 桃太郎 旅日記 さんさん広場 さんさん広場は、吉備高原都市のセンター施設、きびプラザに隣接したイベント広場。センター施設の玄関口で、広場を囲むように、吉備の国の中心施設であった「吉備津神社」の回廊をイメージできる円形の建物や芝生広場もある。これらの施設は、吉備プラザと共に黒川紀章による設計。
03/11/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2017 桃太郎 旅日記 吉備高原ー賀陽地区ー この風景、山の上にあると思えますか。でも標高300~500mの山の上の風景なのです。岡山の吉備高原では、このような風景があちこちで見えます。そして、こういった地形を表わす、「野呂」(ゆるやかな地形)とか「八丁綴」とかいった地名が残っている。
03/09/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙本寺 備中野山郷の地頭として関東から赴任して来た伊達弾正朝義公が、鎌倉時代の弘安4(1281)年に日蓮上人の弟子の日像上人を招いて開基と定め創立した。その後、正和の頃京都から大覚大僧正が来て、日蓮宗の西国の拠点としたため”西身延”とも呼ばれた。
02/28/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2017 桃太郎 旅日記 詩人永瀬清子生家 明治29年2月17日、詩人永瀬清子が生まれ2歳の時電気技師の父永瀬連太郎が金沢に赴任するまで育ち、第2次世界大戦後、この地へ帰住、農業をしながら、藤原審爾・山本道太郎らと同人誌「文学祭」を発刊するなど、詩作と著述を続けたり、世界連邦岡山県協議会事務局に勤務、世界平和のために尽した所。
02/17/2017 / 最終更新日時 : 02/17/2017 桃太郎 旅日記 石彫刻広場 八塔寺川ダム周辺に作られた、「八塔寺川ダム公園」の一角に位置し、「古代からのメッセージ」をイメージして作られ、石の彫刻が並び、石と語らうことのできるスペースゾーン。 Sponsored Link 名称 石彫刻広場ー八塔 […]
02/10/2017 / 最終更新日時 : 02/10/2017 桃太郎 旅日記 鶴島 備前市日生町の沖に連なる日生諸島の島々の中の一つ、無人島で周囲2kmの丘陵地の小島、高台からは小豆島や四国が眺望できる。歴史的には切支丹殉教の島でもあり、島内にはマリア像や殉教碑がある。
02/10/2017 / 最終更新日時 : 02/10/2017 桃太郎 旅日記 備前♡日生大橋 備前市日生町と日生諸島の一つ鹿久居島を結ぶ全長765mの橋。平成27年4月に開通し既に開通していた、頭島と鹿久居島を結ぶ頭島大橋と併せて、本土の日生町から鹿久居島を通り、頭島までが結ばれることになった。橋の名称に絵文字が使われたのは前例が無く当時話題になった。
02/06/2017 / 最終更新日時 : 02/07/2017 桃太郎 旅日記 日生商店街 昭和の面影が色濃く残る商店街。日生名物お好み焼き「カキオコ」店のほとんどがこの商店街にある。車でい行っても駐車場を知らないと立ち寄り難く見逃し勝ち。JR日生駅前やこの商店街の入口ちかくの日生諸島への定期船乗り場付近にある有料駐車場(1時間100円)に置くのも一法。
02/02/2017 / 最終更新日時 : 02/03/2017 桃太郎 旅日記 勘三郎洞窟 大多府島の南海岸にある海蝕洞で、昔勘三郎という男が洞内で贋金を造り、深夜タライに乗って陸地に渡り金を使っていたと伝えられている。この洞窟の奥行は80mで、入口は巾3m、高さは20mで、狭いけれども天井の高い洞窟であった。
12/31/2016 / 最終更新日時 : 01/01/2017 桃太郎 旅日記 備前福岡の街並み 福岡の市 中世中国筋の南部として栄えた、福岡千軒は、現在も整然とした、家並みにその面影を残している。この福岡の周辺には、八日市、一日市と言う地名も残っている。町内の妙興寺境内には、後の岡山城主、宇喜多直家の父興家の墓や軍師黒田官兵衛の先祖のものと伝わる墓がある。
12/30/2016 / 最終更新日時 : 12/30/2016 桃太郎 旅日記 七つ井戸ー備前福岡ー 「備前福岡名所町、七口、七井戸、七小路」と、言い伝えられて来たように、ここ福岡には昔から、飲用、消火用、その他生活用水を得るため、個人井戸の他に、その周辺の人々によって管理使用されていた立派な共同井戸があった。現在、七つのうち四つの井戸が昔の姿のまま残っている。
12/30/2016 / 最終更新日時 : 12/30/2016 桃太郎 旅日記 備前福岡だんじり庫 旧家の蔵から発見されただんじりの端木(つまぎ)の裏に「文政4年」(1821年)の年号や「大工佐助 上組」が書かれている。また、下組のだんじりには「文政2年」(1819年)と書かれている。これらのことから製作年代は、文政の […]
12/30/2016 / 最終更新日時 : 12/30/2016 桃太郎 旅日記 妙見堂ー備前福岡ー 妙見菩薩は、北斗七星または、北極星を神格化したものとされている。妙見菩薩は、災害を除き土地を守り、人々の幸福と寿命と武運を増す菩薩であり、星の信仰から海上安全の神、海上貿易を営む商人の信仰する商売の神、また「妙見」という名から眼病平癒の神として信仰を集めてきた。
12/30/2016 / 最終更新日時 : 12/30/2016 桃太郎 旅日記 摩利支天堂ー備前福岡ー 摩利支天は、インドの神様で、陽炎(カゲロウ)を神格化したもので、三面(忿怒麺、フンヌメン・菩薩面、ボサツメン・童女面・ドウジョメン)、六臂(ロッピ)、ないしは、八臂(ハッピ)の天女の姿で表され、猪の背に乗っているのが特色といわれている。
12/30/2016 / 最終更新日時 : 12/30/2016 桃太郎 旅日記 牛神様ー備前福岡ー この牛神様は、もと、現在地より十メートルほど南の旧堤防わきにあったものを、戦後の堤防改修のときここへ移したもの。昔は、牛は農家の貴重な労働力で、各戸に和牛を飼い家族の一員のように大切に育てていたので、牛の安全な生育を願って牛神様の信仰が生まれた。
12/30/2016 / 最終更新日時 : 12/30/2016 桃太郎 旅日記 地蔵堂ー備前福岡ー このお地蔵様は、 通称、旦過(たんか)のお地蔵さんと呼ばれ、薬王寺の境内の鬼門(きもん、鬼が出入りするという東北の方角)にあたる方角に、魔よけとして建てられたのが始まりと伝えられている。
12/13/2016 / 最終更新日時 : 01/10/2020 桃太郎 旅日記 備前焼の里「伊部」 日本六古窯の一つといわれる備前焼。その窯元、古い窯跡、備前焼の瓦、レンガなどを利用して造られた神社などがある、赤煉瓦の煙突が旧山陽道沿いの古い町並みに溶け込んだ街。これら各地点へはJR赤穂線伊部駅からも10~15分以内で […]
12/12/2016 / 最終更新日時 : 12/12/2016 桃太郎 旅日記 品川ファインセラミックス株式会社 ファインセラミックスの造粒、成形、素地加工、焼成、仕上げ加工などに関する確立された製造技術を有し、製品形状の提案、短納期対応、コストパーフォーマンスに力を入れている企業。
12/06/2016 / 最終更新日時 : 12/06/2016 桃太郎 旅日記 国宝 旧閑谷学校 講堂 池田光政が、津田永忠に命じて造らせた学校で、元禄14(1701)年建築の講堂は国宝。儒学の殿堂にふさわしい様式を備えている。内部は、10本の欅の円柱と白壁、磨き抜かれた床となっており、花頭窓から見える外の風景は、荘厳で美しい。建築後300年の歳月を経た建物とは到底思えない。
11/24/2016 / 最終更新日時 : 11/24/2016 桃太郎 旅日記 宮原すもも園 「すももの」実る季節(7月上旬~中旬)に現地食べ放題(2016年は小学生以上500円)でのすもも狩りを開催。持ち帰り(2016年は1袋1,500円)も可能。
11/19/2016 / 最終更新日時 : 11/19/2016 桃太郎 旅日記 西大寺バスセンター 岡山県南を中心に運行している両備バスのバスターミナル。昭和37(1962)年までは、西大寺鉄道(軽便鉄道)の西大寺駅に併設していたが、鉄道の廃止に伴い跡地をバスターミナルに転用した。側には当時の軽便鉄道の車両が保存展示されている。
11/18/2016 / 最終更新日時 : 11/18/2016 桃太郎 旅日記 犀の由来 西大寺寺記では紀伊の安隆上人が当地に観音堂建立のため来航の途中、犀の角をもった龍神が現われ「この角をもって地をかため本堂を建立せよ」と角を授け、でき上った寺を犀戴寺と名づけられた。その後後鳥羽上皇が祈願文に西大寺とかかれたため以後現在の寺名に改められた。
11/13/2016 / 最終更新日時 : 11/13/2016 桃太郎 旅日記 上寺山 弁天池 池のお社には弁才天が祀られている。弁才天は学問や芸術の女神として信仰されるが、弁財天と記される場合には財福の女神として信仰される。古くには、社の周りを歳の数だけ廻るとおかげがあるといわれ、信仰されてきた。弁財天の御真言 「おん そらそばていえい そわか」
11/13/2016 / 最終更新日時 : 11/13/2016 桃太郎 旅日記 上寺山 余慶寺 法華塔 写経をこの塔内に納めるため「法華塔」と呼ばれる。宝暦十年(1760)に上道郡久保村鴨越の武田藤右衛門が施主として建立した。周囲の石棚には寛政8年(1796)。手前の石灯籠には宝暦11年(1761)と刻まれている。