04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 歴史的建造物 尾上八幡宮の土蔵ー元岡山城内石山にあった倉庫を移築再建したものー この土蔵(尾上八幡宮の倉庫として使用)は、かって岡山城内石山にあった倉庫を移築再建した建物。土蔵の棟に「岡山城内 石山倉庫之内 小倉ヲ請求シ村内 字中石 機器倉トスル。上棟者 深井永五郎」と書かれていることから証明される。
04/06/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 史跡 木堂塾 木堂塾ー犬養毅(木堂)は、明治元年(1868年)に父親を亡くした後、門脇の部屋で近所の子供たちに読み書きを教えていたというエピソードが残っていた。この木堂塾はこのエピソードを受けて昭和56年(1981年)に建設された。木堂塾は、文化的な学習・研究会・講座や集いなどの場として利用することが出来る。
04/05/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 国指定重要文化財 国指定重要文化財(建造物)ー旧犬養家住宅ー昭和53年1月21日指定 旧犬養家住宅の主屋は18世紀前半の建築で、構造は和小屋。昭和53年(1978年)に国指定重要文化財に指定後、解体修理を行い、正徳年間(1711~1716)四代目に建て替えられた姿に復元されている。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 神領会所(じんりょうかいしょ) 神領会所ー江戸時代、三代将軍徳川家光から交付された朱印状によって御朱印領となった宮内村を支配するための会所跡。神領役所ともいわれ、江戸時代の絵図によると、長屋門をくぐって広場となり、その南側に屋敷を構えていた。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 藤井高尚旧邸(ふじいたかなおきゅうてい) 藤井高尚は、江戸時代後期の吉備津宮の社司(しゃし)で、著名な国学者であり、本居宣長の高弟でもあった。高尚は自分の屋敷を師宣長の「鈴屋(すずのや)にならって「松の屋」と称した。中国地方をはじめ、京都、四国にも多くの弟子があり、王朝文学を教えている。
12/01/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鷲羽山 弘泉寺 山門 鷲羽山 弘泉寺 山門は、薬医門で塩飽諸島本島の大工により建立されたもので、1828年(文政11年)吹上の荻野本家より寄進。2017年(平成29年)11月に国の登録有形文化財に登録。
12/01/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鷲羽山 弘泉寺 本堂 鷲羽山 弘泉寺 本堂は、1827年(文政10年)塩飽大工により建立されたもので、2017年(平成29年)11月国の登録有形文化財に登録。
11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 しょっぴんぐばざーる館ーむかし下津井回船問屋ー 回船問屋 旧荻野家 収蔵庫の奥の建物は、むかし下津井回船問屋の「しょっぴんぐばざーる館」=土産物店として使用され、乾物などの水産物を下津井土産として販売している。
11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 収蔵庫 回船問屋 旧荻野家の収蔵庫は、改修して現在は、民具などの展示スペースとむかし下津井回船問屋のトイレとして使用されている。
11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 いんふぉめーしょん館ーむかし下津井回船問屋ー むかし下津井回船問屋 いんふぉめーしょん館は、旧荻野家の蔵を改修し、「日本遺産ー荒海を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落」に関し、下津井地区を中心に写真やパネルで解説をしている。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 衣装蔵 旧荻野家 衣装蔵は、母屋と中庭を挟んだ向かい側にある。現在は、大きなテーブルと椅子を置き、「蔵サロン」としてグループでの会議などに使用できるよう貸し出している。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 グルメ 下津井 回船問屋 旧荻野家 ニシン蔵 回船問屋 旧荻野家のニシン蔵は、北前船が北海道から運んできたニシン粕を蓄えた蔵で、現在は改装して「蔵ほーる」として内部を二つに仕切り、貸しホール(絵画・写真展などの展示企画・結婚式、結婚披露宴、同窓会、)とレストランとして使用している。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 中庭 回船問屋 旧荻野家の中庭は、母屋と蔵との間に設けられた緑の空間で、座敷、奥座敷と茶の間が接しており、人々が多忙に行きかう通り土間とは違いほっと一息つける空間だったと想像できる。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 荻野家 座敷・奥座敷 荻野家 座敷・奥座敷ー上の写真で向こう側が座敷で手前が奥座敷。座敷は店の間と奥座敷は中の間と接して、どちらも中庭に面している。北前船の積み荷や来客、奉公人が行き交う「通り土間」に面した店の間や中の間と違って中庭に面しているため気分の和む落ち着いた空間となっている。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 台所 回船問屋 旧荻野家の台所には、昔懐かしいかまどと流しが置かれている。多くの使用人が働いていたであろう回船問屋の台所にしてはかまども小さく流しも狭いのは何故だろうか?
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 茶の間 旧荻野家 茶の間は、台所と中の間の間にある。店の間や中の間は座敷や奥座敷を介して中庭に接しているが、茶の間は直接中庭に接している。それぞれの部屋を使用する人達の使い勝手と中庭の役割を考えての良い配置にしていると思う。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家の中の間 Sponsored Link 旧荻野家の中の間は、店の間と茶の間の間、奥座敷の手前、通り土間側にある。 むかし下津井回船問屋へ
11/12/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 歴史的建造物 下津井 回船問屋 旧荻野家の店の間 下津井 回船問屋 旧荻野家の店の間で明治時代中・末期の典型的な店の間を再現したもの。
11/12/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 歴史的建造物 下津井 回船問屋 旧荻野家の店の通り土間 下津井 回船問屋 旧荻野家の店の通り土間ー時代物のテレビや映画でもよく見かける通り、江戸時代から明治時代にかけての商家では、表通りの入り口から裏口にかけて土間で通り抜けられるようになっている。
10/31/2020 / 最終更新日時 : 11/03/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 旧野崎浜灯明台(とうみょうだい) 旧野崎浜灯明台ーJR瀬戸大橋線児島駅前の児島観光港横に、周囲の建物には不釣り合いな日本式の木造灯明台がぽつんと残っている。この灯明台は、文久3年(1863年)に塩釜明神のご神燈として、また、当時の、ここ野崎浜へ出入りする船の灯台として建てられたもの。
08/04/2020 / 最終更新日時 : 08/12/2020 桃太郎 歴史的建造物 食事処 藤森 食事処 藤森の建物の建築年代は判然としないが、明治30年頃、上氏屋より竹店(田村雄鶴氏)の所有となり、郵便局に改造して、局長をしている。当時の官公庁の建物の多くがそうであったようにこの建物も寄棟造である。昭和40年まで郵便局舎であった。
08/04/2020 / 最終更新日時 : 08/12/2020 桃太郎 グルメ 長尾醤油酒店 長尾醤油酒店は、江戸時代後期、文政9年(1826)年の創業、戦前までは酒や醤油を醸造していたが戦後の農地解放により原料の調達が難しくなりそれ以降は醤油醸造一本で伝統を守り継いできた。現在は六代目と七代目で醤油造りに専念。
08/04/2020 / 最終更新日時 : 08/12/2020 桃太郎 歴史的建造物 本長尾家 本長尾家は、長尾の総本家で弁柄釜本の一軒、江戸期には鉄・油等の問屋で、酒造業も営む。1700年代末頃の建築で、現在の建物は幕末から明治・大正頃の増改築である。切妻型の妻入り形式。左側にくぐり戸付きの長屋門を持つ。入口中央の柱に馬を繋ぐ丸い金具を付けてある。
08/04/2020 / 最終更新日時 : 08/12/2020 桃太郎 歴史的建造物 叶屋ー仲田家ー 叶屋ー仲田家ーは、弁柄釜元の一軒。江戸期には、要助・彦助と二代にわたり、天領吹屋村の庄屋をつとめる。表の建物は江戸末期の建築であり、奥座敷は大正11(1922)年の増築である。平入形式で、入口に向って左側の格子は名票の大阪出格子。土台には牛馬を繋ぐ、丸い金具が付けてある。
04/12/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 史跡 高松城水攻め史跡公園 高松城水攻め史跡公園は、天正10年(1582年)中国の役で、羽柴(後に豊臣)秀吉が備中高松城の水攻めの際築いたと伝わる築堤史跡、蛙が鼻築堤跡(昭和4年12月17日国指定史跡)に隣接して整備した公園(面積約4,000㎡)。
03/26/2020 / 最終更新日時 : 03/26/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川一の荒手改築 現地説明会 国土交通省岡山河川事務所主催、百間川一の荒手改築工事の現地説明会。2017年12月24日開催。「一の荒手」は、旭川の増水時その流れを百間川放水路に逃し岡山城下を洪水から守るために江戸時代に設けられた治水施設。
03/25/2020 / 最終更新日時 : 03/26/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川一の荒手 亀の甲(巻石) 一の荒手は越流部と、その両端にある亀の甲の形をした「巻石」と呼ばれる曲面で構成される石積み石造構造物から出来ている。「巻石」を角や直線の無い曲面状の石積みとすることにより水の抵抗を少なくして受け流すことができ背割堤端部の崩壊を防ぐには最適の構造となっている。
03/13/2020 / 最終更新日時 : 03/14/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川の果たした役割 百間川は岡山城下の防災だけでなく、基幹的な排水施設として新田開発にも大きな役割を果たした。この歴史的功績から、平成27年に日本土木学会選奨土木遺産に、令和元年には世界かんがい施設遺産に登録されている。
03/12/2020 / 最終更新日時 : 03/17/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川河口水門 百間川河水門は、岡山城下を旭川の洪水から守ると共に新田開発の灌漑用水としても利用する為に造られた放水路(百間川)河口に設けられた水門。ゲート操作により満潮・高潮時には閉鎖して児島湾からの海水の流入を防ぎ、干潮時・洪水時には開放して百間川の流水を円滑に流下させる役割を果たす。
03/12/2020 / 最終更新日時 : 03/14/2020 桃太郎 史跡 金蔵山古墳第6次調査トレンチ10~12 2019年度の金蔵山古墳第6次発掘調査では前方部の分頂部をその主軸にほぼ沿った4ヶ所のトレンチで調査をしている。最も円墳側のトレンチ10では前方部の鞍部に溝状のくぼみがあり後につくられた城郭の堀切遺構が検出されたと記載されている。
03/10/2020 / 最終更新日時 : 03/14/2020 桃太郎 史跡 金蔵山古墳第6次調査出土埴輪 操山丘陵にある金蔵山古墳の第6次調査(2019年度)で前方部下段平坦面で検出された埴輪列。説明資料によると第2段斜面の葺石は基底石近くの構造は失われているが大半は残存しており、また、葺石と埴輪列との間には円礫堆が認められると記載されている。
03/10/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 歴史的建造物 百間川河口水門建設の歴史ー平成ー 旭川水系はん濫域への資産集中等を考慮、平成4年に百閒川流入計画高流量を2,000㎥/Sに修正。河口水門の流下能力向上を目指して平成13年から水門を増築することになり13年の歳月と130億円余を投じ水門増築事業が平成27年に竣工した。
03/10/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 歴史的建造物 百間川河口水門建設の歴史ー昭和ー 昭和9年室戸台風で岡山市街中心に大洪水発生の為、百間川流入計画高水流量を1,000㎥/Sから1,200㎥/Sに変更。昭和38年から河口水門改修を行い、5年の歳月と14億円余りを投じて、昭和43年に竣工した。
03/10/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 史跡 百間川河口水門建設の歴史ー江戸から明治ー 岡山藩士津田永忠は、操山南に広がる浅瀬で新田開発に併せて旭川放水路、百間川を築造、河口には洪水調節や潮止め対策としての水門を整備、その水門は築造後から現水門が出来る昭和43年まで機能してきた。
03/09/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 史跡 百間川河口水門改修記念碑ー明治時代ー 百間川河口水門の改修記念碑。元禄時代、岡山藩による新田開発時に設けられた水門が老朽化した為、当時、岡山県上道郡の人々の要請により水門の改修工事がなされ、その完成を記念して建立された。明治25年5月完成。
03/09/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 史跡 百間川河口水門遺構ー江戸時代建設ー この水門遺構は江戸時代に建設され昭和43年まで百間川河口で使用された水門の一部。昭和38年から5年の歳月をかけて水門の改修工事が行われ昭和43年に完成した為その役割を終えここに保存されている。
02/24/2020 / 最終更新日時 : 02/28/2020 桃太郎 史跡 長島愛生園 収容所 この建物ー収容所ーは長島愛生園に隔離された入所者が、体の検診、病歴調査、その他の入所手続きを受ける為に最初の約1週間を過ごす場所で、1930年(昭和5年)9月の建設。当初は収容所と呼ばれていたが昭和27年以降は回春寮と呼ばれた。
02/23/2020 / 最終更新日時 : 02/29/2020 桃太郎 博物館・資料館 国立療養所長島愛生園 長島愛生園は、岡山県瀬戸内市沖の瀬戸内海に浮かぶ島長島(瀬戸内市虫明)に位置する国立ハンセン病療養所で、1930年に日本初の国立らい療養所として発足したのが始まり。当時、感染症であるハンセン病はその有効な治療法が無かった為、国の施策としてこのような島に設けられた療養所への隔離が行われた。
01/04/2020 / 最終更新日時 : 01/20/2020 桃太郎 ジオサイト候補地 苦木の瀬ー河(高)ノ瀬ー 苦木の瀬は、吉井川を高瀬舟で往来していた時代の難所で別名河ノ瀬(こうのせ)とも呼ばれていた所で、この場所を安全に下るため、明治14(1881)年から16年の歳月をかけて長さ116メートル、幅10メートル程度の舟通しを築いた石堤跡がある。
01/02/2018 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 作州城東屋敷 明治8年以降、日新小学校、津山工芸専修学校、青年学校、保育園など長く教育の場として利用されてきた。平成5年(1993)以降は作州城東屋敷として、整備し活用されている。映画「男はつらいよ」シリーズの寅さんロケ地でもあり撮影の様子がパネル展示されている。
01/01/2018 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 城東むかし町家ー旧梶村家住宅ー 津山の主要街道「出雲街道」沿いの広大な屋敷内には主屋のほか、付属屋、座敷、洋館、奥座敷、西藏、東藏、茶室、庭園が設けられている。江戸後期頃に建てられた主屋から、昭和初期の西藏までと、各時代の変化に応じ改造・増築が行われてきた旧梶村家住宅。時代の流れに伴う人々の暮らしぶりの変化が忍ばれる。
10/11/2017 / 最終更新日時 : 11/03/2020 桃太郎 主な庭園 旧野崎家住宅 野崎家旧宅は、日本の塩田王と呼ばれた野崎武左衛門が江戸後期の天保から嘉永に築いた、雄大な規模を有する上層民家。本瓦葺の主屋群、土蔵、庭園が創建当時のままに保存されている。約3,000坪の敷地には、42mの奥行きがあり独特な平面の主屋、意匠の優れた表書院、土蔵群、茶室、水琴窟がある。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 曹源寺仏殿ー本堂ー 岡山藩2代藩主池田綱政が、高祖父信輝と父光政の菩提を弔い、自らの冥福を祈るため、家臣の上阪外記に命じて建立させた池田家の菩提寺。元禄11年に竣工。この仏殿は文政7(1824)年の再建で、重層入母屋造、本瓦葺、正面25m、側面19m、高さ20m、木造建築物としては県下で最大規模の建物である。
04/10/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 仁科芳雄博士生家 ノーベル物理学賞受賞の湯川・朝永両博士を指導、日本の物理学の基礎を築き、戦後初めての文化勲章を受章した仁科芳雄博士が幼・少年時代を過ごした生家。松などの老木、白土壁に囲まれた風格ある佇まいから、仁科芳雄博士が過した在りし日をしのぶことが出来る。
03/28/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ かもがた町家公園 旧鴨方往来沿いに東西に並ぶ江戸時代の歴史的建築物(二棟の町家)と伝統植物園を修復、再生し公園として開放したもの。東側の町家は、地域住民の研修や生涯学習の場、和風喫茶などを設けた交流館として、西側の江戸前期の町家、高戸家は建物博物館として開放し伝承館として使用。
01/06/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 旧明徳小学校 夢二が通ったといわれる小学校。当時は、夢二の生家に近い所に在ったようですが、その後本庄村内にあった二つの小学校が統合され、この場所に移されたようです。昭和44年には明徳小学校も邑久小学校に統合され廃校となり、当時のままの姿で神戸学院大学の宿舎・保養所となっています。
12/26/2016 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 仲崎邸 明治時代末期から大正時代へかけて10年余りの歳月をかけて建てられた格調の高い県内屈指の建造物。一見純和風の邸宅に見えるが、大黒柱をあえて設けない、ガラスを多用するなど、随所に進取の建築様式も見られる。備前福岡地区の地域活性化の拠点として再生。
11/15/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 展望の良い所 上寺山 西大寺観音院から吉井川堤防を北上、雄川橋を渡った向いは上寺山と呼ばれる桜の名所。吉井川や備前平野の眺望が素晴しい丘の上に、余慶寺と6つの塔頭そして豊原北島神社がある。何十年も変わっていない風景に出会うとなぜかほっとして、遠い昔を思い起こしてしまうのは私だけでしょうか?
10/16/2016 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 東服部家ー若菜屋ー 文政元(1818)年、本家の西服部家から分家し、「若菜屋」という屋号で木材問屋、地主として栄えた。現在の建物は、750坪の敷地に明治43年から15年間かけて完成した。茶屋・裏座敷・土蔵なども配している。
10/15/2016 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 街角ミュゼ牛窓文化館 大正4年旧牛窓銀行本店として建築。基礎に花崗岩を、ドイツ製赤煉瓦の外壁、漆喰白モルタルの内壁を配し、草花連続模様の天井で仕上げてある。20世紀初頭における銀行の格式をよく維持し、この種の建築としては、全国でも珍しい存在となっている。昭和55年、これを継承していた中国銀行が店舗移転を機に、その遺構保存を牛窓町へ依頼、譲渡したもの。
09/06/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 備中松山城跡 市街地の北端に聳え、高梁市の象徴として、また「おしろやま」の愛称で広く市民に親しまれている「臥牛山(標高480m)」。その山頂に程近い標高430m付近に位置する「備中松山城」は、現存する山城としては全国で最も高いところにあることで有名。天守、二重櫓・土塀の一部を始め山中に残る数々の城跡が国の文化財や史跡に、また山裾の御根小屋(現県立高梁高校)は県の史跡としてそれぞれ指定されている。
08/28/2016 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ 田中酒造場 本陣・脇本陣が今に残る因幡街道の宿場町旧大原宿で明治18(1885)年より酒を造り続けている蔵元。中国山地の寒冷な気候、清冷な地下水、豊かな米に恵まれ創業当初からの銘柄「大原白梅」、宮本武蔵にちなんだ「武蔵の里」などを地元中心に販売。
08/28/2016 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 因幡街道大原本陣 吉井川支流の吉野川沿い、因幡街道大原宿に置かれた本陣。鳥取藩32万石の池田候が参勤交代の途中宿泊する所であった。江戸時代後期(寛政年間1789年~1802年)の遺構を今日に伝えている数少ない建物である。 Sponsore […]
08/27/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 名勝 宮本武蔵生家跡 宮本武蔵は天正12(1584)年、父を平田無二(無二斎)、祖父を平田将監という十手術の達人の家に生まれ育った。武蔵の出自である平田氏の子孫が今もこの地に住み、祖先の墳墓を守っている。隣接して、武蔵の伝説を残した荒巻神社(現讃甘神社)が、また近くには武蔵を祀る武蔵神社がある。
07/20/2016 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 雲州候本陣ー新庄村ー 雲州候本陣は、明治時代後期に建てられたものであるが、脇本陣木代邸(江戸時代末期の建築)と共に新庄町並み保存地区のほぼ中央に位置し、町並みの景観造りに大きな役割を果している。
07/20/2016 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 脇本陣木代邸 脇本陣木代邸は、新庄町並み保存地区のほぼ中心に位置する 江戸時代末期の代表的な建物。建物の奥にある醤油倉を改装して、食事処「さくら茶屋」を営業している。入口の柱の馬つなぎの環やトイレの刀掛けが当時を物語る。
07/12/2016 / 最終更新日時 : 08/11/2020 桃太郎 国指定重要文化財 旧広兼家住宅 広兼邸は、庄屋で享和・文化(1801~1818)の頃、小泉銅山とベンガラ原料ーローハ(硫酸鉄)ーの製造で栄えた大野呂の庄屋 広兼氏の邸宅。見事な石垣の上に楼門づくりの城の様な建物を建てており、昭和52年と平成6年の二度にわたり映画「八つ墓村」のロケ地ともなった。
07/12/2016 / 最終更新日時 : 08/11/2020 桃太郎 日本遺産構成文化財 西江家住宅主屋ほか 西江家は関東出身の豪族で、鉱山の経営と宝暦年間(1751~1764)に始まるベンガラの製造によって栄えた。現存する白壁と石州瓦の豪勢な建造物は、宝永正徳時代(1704~1716)のもので幕府直轄地の代官代行所として機能していた。改築を重ねているが、原形はほぼとどめている。