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幸山城跡

幸山城跡

(山手村ー現総社市指定史跡)
幸山城は別名を甲山城または高山城ともいう。福山の北登山道の中腹から別れた山塊(標高162m)に立地している。頂上からの展望は、東西ともに旧山陽道を一望におさめる要害である。
鎌倉期の後半頃庄資房によって築城されたといわれる。その後、応永年間に石川氏の居城となった。
細川氏の被官であり、また、吉備津神社の社務代である石川氏は備中南部での有力な武将であった。
永禄10年(1567)の明禅寺合戦で石川久智は戦死した。
その子久武の時、毛利氏と松山城主三村元親との戦乱にあたり、久武は義兄の元親を救援するため松山に出陣したが利あらず逃れて幸山城下に帰り自刃した。時に天正3年(1575)であった。
かくして、毛利氏の領国支配のもとで清水宗治等が一時居城し、廃城となった。
この城の縄張りは、東の曲輪と西の曲輪とに別れている。福山の北西の中腹から大きな堀切を下りて急峻な斜面を登ると巨石がある。その巨石の所から東の曲輪の平坦部が開けている。
三ヶ月形の地形で南側が約40m、東側が約50m、北側は次第に傾斜して西曲輪との間の大きな堀切に続いている。南側と東側には土塁状の高まりがあり、場所によっては高さ2mもある所がある。
西の曲輪との間の堀切は巾30m、深さ4mの大きなものである。西の曲輪は東西40mx南北30mの不整形な楕円状である。巨石が数個露呈している。南の端に低い土塁遺構が残っている。
      山手村ー現総社市教育委員会 文化財保護委員会(現地案内板より)
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