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吉備の中山ー楯築遺跡よりー

吉備の中山ー楯築遺跡よりー

前方左側の山が当時吉備国の中心とされていた吉備の中山。後にこの吉備の中山で備前国と備中国に分けられる。
この山の山裾、備前側には吉備津彦神社が備中側には吉備津神社が祭られている。
写真で三角に見える所が最高峰で八大龍王が祭られている。
また、その手前には中山茶臼山古墳があり、吉備津彦命が埋葬されていると伝わっており、宮内庁の管理となっている。
この中山茶臼山古墳の前には備前と備中の境界を示す境界石が設けられており、備前と備中がこの古墳を境に分けられたことがわかる。
吉備津の地名から分かる通り、かってはこの辺りまで瀬戸内海が深く入り込んでいたが、高梁川、足守川、旭川などが運ぶ土砂の堆積作用に加え戦国時代末期以降の干拓により次第に陸地化し、沖にあった児島と繋がってしまった。
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