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御庵室ー五流尊瀧院ー

御庵室ー五流尊瀧院ー

ー五流尊瀧院ー
五流山伏(建徳院・伝法院・大法院・尊瀧院・報恩院)のうち今に五流の伝統を伝えているのは尊瀧院のみで、頼仁親王の直系で格式が高く、現在は修験道総本山の管長寺として全国に知られている。
頼仁親王は後鳥羽上皇の皇子であり承久三年(1223)承久の乱のためこの児島に配流され、先にこの地におられた覚仁親王とともに五流尊瀧院の御庵室でご生活し院の中興をなされた。
頼仁親王は、宝治元年(1247)薨ぜられ墓地は2キロほど南の木見に冷泉宮頼仁親王御陵として残っている。
この建物の一室に御庵室があり頼仁親王の御影が安置されている。
また庭内には、頼仁親王の歌碑と「児島高徳誕生所」の石碑が建っている。
児島高徳は五流尊瀧院の出身で頼仁親王の子孫との説もある。
五流会館には、大久保利通が襲撃された時の血染めの馬車がある。
(現地案内板を参考に作成)
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