円山ー操山山系ー

円山山頂ー操山山系円山ー

円山山頂

操山山系に属するピークの一つ。山頂は平らになっており南東端には、石鉄山(いしぐらやま)古墳(操山54号墳)、南面には八大龍王と書かれた石碑があり、儀式が行われていたのではと思われる平地が、そして南側の階段を降りた所には、古墳の上に円山不動尊の社が建てられている。

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名称 円山ー操山山系ー
所在地 〒703-8234 岡山市中区沢田、〒703-8271 岡山市中区円山
TEL
概要 円山山頂とその周辺について

円山と地図に書かれているこの山は、南から見ると先が丸くなった山でいかにもその名に
ふさわしい山。

一方、北側の沢田の人々は、どうもこの山を高倉山と呼んでいる様子である。

石高神社の案内にも、元は高倉山にあったと書かれており、私がこの山に関心を持った
のはそれが始まり。

山上は平らな広場となっており、広場の南東に石鉄山古墳があり、その古墳の上に
円山の三角点がある。

そして、北西の隅には大きな岩がごろごろと転がっている。磐座信仰が盛んであった
ころこの磐座をご神体として信仰し始め、石高神社となったのであろうか?

地図によるとこの付近に高倉山古墳があると書かれているのだが、竹藪となっていて
その位置を見つけることはできなかった。

円山の南側、一段低い所には、八大龍王と刻まれた石碑と妙見大菩薩と刻まれた石碑
が並んで建っており、その前は広場になっている。

妙見大菩薩と刻まれた石碑ほ側面には、昭和27年と刻まれていることから、この
石碑は以外に新しいのだろうか?

南側の階段を降りた所の古墳の上には、円山不動尊の社殿が建てられており、その前には
円山招福稲荷の祠が。

下から見ると円く見えるこの円山が、この山の南にある集落が円山という地名と名付
けられた元となっているのだろうか?

交通 JR岡山駅より両備バス25分、曹源寺前下車、徒歩約25分、

山陽自動車道岡山ICより車で約30分、徒歩約20分

駐車場

円山(別名高倉山)の南側は、今は田んぼと住宅地となっているが、古代には吉備の穴海と呼ばれる、浅瀬の瀬戸内海であった。その後、戦国後期から江戸時代にかけて次第に干拓が進み、昭和の後半になって急速に宅地化が進んできた。その時代時代で円山の見え方も変わってきている。

それぞれの時代にここで生活してきた人達、またここを通った人達がどの様に操山山系、そして円山を見てきたのだろう?

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