大多羅寄宮跡
岡山藩主の池田光政が、寛文6(1666)年領内の神社の由緒を調べさせ、翌年、産土神601社および由緒ある神社を残し、社や祠10,524社を廃して、71社の寄宮に合祀した。その後、正徳3(1713)年、次の藩主である綱政が、この地にあった句句廼地神社境内を拡張、境内に社殿を建て71社の寄宮の内5社だけを残し66社を合祀した。これが大多羅寄宮。
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名称 | 国指定史跡 大多羅寄宮跡(おおだらよせみやあと)昭和2年4月8日指定 |
所在地 | 〒704-8172 岡山市東区大多羅町 |
TEL | ー |
概要 | 岡山藩主池田光政は、寛文6(1666)年領内の神社の由緒を調べさせ、翌年、産土神 (うぶすながみ)601社および由緒のある神社を残し、社や祠10,524社を廃して、71社の 寄宮に合祀しました。 その後正徳3(1713)年、藩主池田綱政はこの地にあった句句廼地神社(くくのちじんじゃ) これが大多羅寄宮です。 寄宮には藩から、毎年修理料と御供料が支給されていましたが、明治維新後はそれも途絶えた |
交通 | JR赤穂線大多羅駅より徒歩約10分、
山陽自動車道岡山ICより車で約35分 |
駐車場 | ー |
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