現備前市生まれる。閑谷黌に進学するが、4年終了時に中退。大正8年上京し文学誌社「博文館」に就職。38歳の時帰郷。国文学者正宗敦夫の勧めと、三村梅景の手ほどきで備前焼を始める。その後金重陶陽の指導も受け、同29年には岡山県重要無形文化財保持者に、昭和45年人間国宝に認定される。

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名称  藤原啓(ふじわら けい)(1899~1983)ー閑谷学校ゆかりの人ー
役職  備前焼の人間国宝
略歴  現備前市穂浪(ほなみ)で農家の三男に生まれる。本名敬二。

私立中学閑谷黌に進学するが、4年終了時に中退。

大正8(1919)年上京し文学誌社「博文館」に就職する。

演劇研究会に参加したり、詩集の出版、絵画・音楽にも傾倒するなど多感な青春時代を過ごす。

しかし、生活の困窮から、昭和12(1937)年38歳の時帰郷する。

翌年、地元の国文学者正宗敦夫(まさむねあつお)の勧めと、三村梅景(みむらばいけい)
の手ほどきにより、備前焼を始める。

同16(1941)年からは金重陶陽(かなしげとうよう)の指導も受けその技をみがき、
同29(1954)年には岡山県重要無形文化財保持者に認定される。

得意な器種は、中世雑器の素朴なイメージの鉢・花入・水指等で、近代感覚を盛り込んだ
作品も手掛ける。

その後も日本伝統工芸展を中心に活躍し、同44(1969)年には、皇居新宮殿玄関に
擂座壷(るいざつぼ)一対を献上。

翌年、備前焼で二人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。

人なつっこい性格とてらいのない作品は、多くの人々に愛される。

同52(1977)年、長男藤原雄(ふじわらゆう)の手により、父の偉積を讃え「藤原記念館」が
設立され、現在に至る。(現地案内板)