01/13/2018 / 最終更新日時 : 03/02/2018 桃太郎 産直店ー産地直売ー 伊里漁協 真魚市 Sponsored Link 名称 伊里漁協(いりぎょきょう) 真魚市(まないち) 所在地 〒705-0033 備前市穂浪2837-5 TEL 0869-67-0016 伊里漁協 販売品目 新鮮な魚介類、農産物、 […]
12/03/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 四列屋旅館 Sponsored Link 名称 四列屋旅館 所在地 〒705-0132 備前市三石986-1 TEL 0869-62-0121 客室の種類 和室5室 収容人員 20人 付帯施設 ー 研修の受 […]
12/03/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 グルメ 山本旅館 Sponsored Link 名称 山本旅館 所在地 〒705-0033 備前市穂浪3411 TEL 0860-67-0124 客室の種類 和室4室 収容人員 20人 付帯施設 宴会場 研修の受 […]
12/03/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 ビジネスインSTK Sponsored Link 名称 ビジネスインSTK 所在地 〒705-0021 備前市西片上51-13 TEL 0869-63-1515 客室の種類 洋室7室、和室11室 収容人員 40人 付 […]
12/03/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 ゑびすや荒木旅館 Sponsored Link 名称 ゑびすや荒木旅館 所在地 〒705-0021 備前市西片上1280 TEL 0860-64-2004 客室の種類 和室7室 収容人員 24人 付帯施設 会議室 […]
12/03/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 トービホテル Sponsored Link 名称 トービホテル 所在地 〒705-0001 備前市伊部950 TEL 0869-63-1355 客室の種類 和室、洋室シングル、洋室デラックスシングル、洋室ツイン、 […]
12/03/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 常盤旅館 Sponsored Link 名称 常盤旅館 所在地 〒705-0001 備前市伊部1485 TEL 0869-64-2032 客室の種類 和室8室 収容人員 25人 付帯施設 可 研修の受入 […]
10/03/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 井田跡 中国周代の井田法を模して寛文10(1670)年岡山藩主池田光政が津田永忠に命じてこの地に造らせた地割遺構で上井田、下井田からなる。上井田は面積九町七畝(約900アール)、下井田は九町三反十八歩(約930アール)を一区画一町歩(約100アール)を単位にして、一ノ町から九ノ町に九等分し井田法を実施した。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山實相院 この地にある寺院全体を大瀧山と称し、奈良時代に鑑真和上によって熊山と共に開かれ、現在は、本堂を中心に3ヶ院がありこれらを総称して福生寺と呼ぶ。寺には山号・寺号・院号があり、山号を大瀧山、寺号を福生寺、院号をそれぞれ西法院、福壽院、實相院と言う。ここ實相院は他の2寺院同様、高野山真言宗の寺院。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福壽院 福生寺には江戸時代13ヶ寺があったが明治以降現在の3ヶ院のみとなった。福寿院は實壽院、本命院、西明院が合併し、当時大瀧山の本坊西明院を福壽院として残し現在に至っている。高野山を本山とする真言宗の寺。聖観世音菩薩を本尊としている。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山西法院 広島県の大聖院を起点として、山口県、岡山県と巡り広島市の観音寺を終点とする、「山陽花の寺」24ヶ寺の第14番札所。境内には約3万本、15種類のアジサイが植えられており、6月中旬から7月下旬にかけて楽しめる。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺経蔵 本堂の後ろ、向かって右側に大師堂が、左側に経蔵が建てられている。経蔵は、寂應律師により延享3(1746)年に建立。内部の輪転式、八角形の書庫は、一切経を所蔵、全国的にも珍しいものである。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺大師堂 福生寺は、天平勝宝6(754)年に鑑真和上により創建、報恩大師が備前四十八ヶ寺を整備するにあたりその一つに加えた寺。創建当初は天台宗であったが、早い時期に真言宗に改宗。大師堂は、江戸時代中期の天和2(1682)年に、岡山藩主池田綱政による本堂再建時に建立されている。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺仁王門 応永4(1397)年、3代将軍、足利義政の命によって建立され、元和6(1623)年に檀信徒の寄付により改築。入母屋造、本瓦葺、三間一戸八脚門で桃山式の特色を有している。仁王門の上に掲げられている「大瀧山」の額は佐文山の書として有名。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺三重塔 室町幕府6代将軍足利義教の命によって室町時代後期の嘉吉元(1441)年に再建されたと伝えられる。高さ19.8m瓦葺で、三重塔としては低い方に属するが、室町時代の様式を備えた貴重な塔で国の重要文化財に指定されている。塔内部には来迎柱、来迎壁、須弥壇が設けられ大日如来座像が安置されている。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺本堂 福生寺は、天平勝宝6(754)年に鑑真和上により創建され、報恩大師が備前四十八ヶ寺を整備するにあたりその一つに加えた寺。本堂は、棟木墨書から江戸時代中期の天和2(1682)年に、岡山藩主池田綱政により再建されたことがわかる。正面五間、側面五間という中世仏堂形式をとっている。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大滝山福生寺 奈良時代の天平勝宝年間(749~756)に鑑真和上により開基、足利義教によって再興されたと伝えられる古刹。三重塔は15世紀中頃の建立で国指定重要文化財。本堂、仁王門は県指定重要文化財、大師堂は市指定重要文化財。西法院はアジサイ寺として知られており6月中旬から7月中旬まで約7万本が楽しめる。
02/09/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 夕立受山 夕立受山は、瀬戸内海とその入り江や日生諸島を望む好展望地で、片上湾にかかるブルーラインの片上大橋を境にそれより沖の瀬戸内海や日生諸島、内側の鶴海、久々井、片上、穂浪等の各入江の展望が素晴らしい。山頂一帯には、一千本のツツジ、サツキ、桜等がある。
02/06/2017 / 最終更新日時 : 03/03/2018 桃太郎 グルメ 備前魚市場「海の駅」 マルナカが岡山ブルーライン備前IC出口に、瀬戸内の海の幸を販売、また海鮮物の食事を提供する、備前魚市場「海の駅」をオープン。通常のスーパーの店舗に併設した、日生や牛窓など近隣の漁港で水揚げされた、まだ生きている生簀の中の […]
12/26/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 真光寺 仁王門 文禄年中(1592~1596)に十萬屋良喜の寄進で建立したが、その後再建、現在の仁王門は、花蔵院宥敞が一山七坊を率いて発願し、大師講の男女130人が世話人となり、万人講の奉賛によって宝永8年(1711)8月に上棟、10月に完成したという。
12/26/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 真光寺 三重塔 桃山時代の慶長18(1613)年に、牛窓の蓮華頂寺(現瀬戸内市牛窓町)にあったものを移築したもので、高さ18.2mある。様式、手法などから室町時代に建立されたものと推定される。 方三間本瓦葺。
12/25/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 真光寺 本堂 応永年間(1394~1428)再建の三間堂を、戦国時代の永正13(1516)年五間堂に大改修をしている。その後、江戸時代初期に外陣の修理がなされているが、室町時代の特徴をよく伝えている。
12/25/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 御滝山 真光寺 奈良時代に僧・行基によって開基され、のち報恩大師により備前48ヶ寺の一つに加えられた真言宗の古刹。本堂は室町時代の永正年13年(1516)に、応永再建の三間堂を五間堂に改修したもの。三重塔は慶長18年(1613)に牛窓から移築されたもので、ともに国指定重文。
12/24/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 美術館 藤原啓記念館 昭和13(1938)年40歳という遅き年齢にして陶芸の道に入りながら、昭和45(1970)年には備前焼の国指定無形文化財保持者に認定された藤原啓の作品を中心に、啓の長男で人間国宝の雄、孫と和藤原三代の作品、そして、啓が生前収集した古備前や啓の洒脱な書画も展示した備前焼の美術館。
12/24/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 碑(文学碑等) 正宗白鳥生家跡顕彰碑 備前市穂浪に生まれた、島崎藤村らと並び称される、自然主義作家正宗白鳥(1879~1962)の顕彰碑で白鳥の生家跡に建てられている。代表作は、「何処へ」。顕彰碑には、この地を題材に綴られた「入江のほとり」の一節が刻まれており、郷愁の思いを残している。
12/13/2016 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 行事・イベント 備前焼まつり 毎年10月の第3日曜日とその前日に「備前焼きの里伊部」で開催され15万人前後の観光客で賑わう。備前焼が2割引で展示即売されるほか、「備前焼小町の委嘱式・撮影会」、「ろくろ実演」、「各種団体によるコンサートや踊り」、「茶席」、「備前の器と野の花」展など多彩な催しが行われる。
12/12/2016 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 JR駅 JR赤穂線伊部駅 JR赤穂線沿線の「備前焼の里伊部」の中心近くにある駅。備前焼伝統産業会館内に併設されており、隣接して備前焼ミュージアムがある。備前焼の窯元、大窯跡、天津神社(備前焼の瓦が屋根に、タイルが参道や塀に使われた神社)など、備前焼関連の主要観光地はこの駅から徒歩で10~15分程度の所にある。
12/12/2016 / 最終更新日時 : 03/03/2018 桃太郎 産直店ー産地直売ー 備前焼伝統産業会館 備前焼伝統産業会館は、JR赤穂線駅舎を併設した形で造られており、1階には東備広域観光情報センターが入居し、2階では協同組合備前焼陶友会会員の作家・窯元の作品が展示即売されている。また3階の技術指導室では、予約すれば、年間 […]
12/11/2016 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 駐車場 JR伊部駅前観光駐車場 備前市伊部地区を訪れる観光客の方々の駐車場。通勤の方は駐車することができない。JR伊部駅の前、国道2号線の向かい側にある。ここからは、備前焼の窯元、窯跡など主要観光地点へ徒歩約10分以内で行くことができる。
12/11/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 美術館 備前焼ミュージアム JR山陽本線伊部駅のすぐ横にある備前焼の美術館で、一千年の歴史を持つ備前焼の、古備前から現代にいたる作品および資料を一堂に集め展示・公開している。人間国宝館、岡山県重要無形文化財展示室、伝統工芸・現代陶友会会員作家の作品展示室の他、企画展展示室もある。
12/10/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 備前陶器窯跡伊部南大窯跡 桃山時代から江戸時代にかけて、備前焼の同業者が共同で使用した大窯で、山麓の傾斜地に、東窯・中央窯・西窯と三基の長さ30mから60m、幅2mから3mに及ぶ半地下式の登り窯を築いている。
12/10/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 天保窯 室町時代後期から江戸時代初期にかけて、備前焼は大窯で大量生産されてきた。しかし、江戸時代後期になると備前焼の需要が低迷、大窯を使用することが非効率となり、規模を縮小した三基の小窯が造られた。その一つがこの天保窯で昭和15年頃まで使用された。備前焼の古窯で、源姿をとどめているのは、この窯だけである。
12/10/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 備前陶器窯跡伊部北大窯跡 伊部北大窯跡は、不老山の南斜面に位置し、標高40m~50mの範囲、忌部神社の社叢を中心に所在している。三基の窯跡からなり、忌部神社の西側の傾斜面に二基の窯跡が並行して位置している。北側の一基は室町中期、他の一基は中世末から近世初頭の築窯と考えられている。
12/10/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 忌部神社 天津神社の境内末社の一つで、天津神社の西、伊部北大窯の近くにある神社。備前焼の窯元六姓(金重・森・木村・大饗・寺見・頓宮)の窯元たちが、古くから小さな祠があったこの地に、昭和4年に伊勢神宮から摂末社をいただきこの神社をまつったとされている。例祭日ー5月15日に備前焼陶友会会員ら参列の下開催。
12/09/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 天津神社 応永18(1411)年以前の創建で、昔は浦伊部にあったが、御神託により、天正7(1579)年に現在地に遷宮した。本殿は、延宝6(1678)年の建築で蟇股、虹梁、木鼻の繰形が特にすばらしい流れ造りの堂々とした一間社で、、江戸前期の一間社建築として例のないすぐれた建築である。備前市指定文化財。
12/09/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 藤原啓ー閑谷学校ゆかりの人ー 現備前市生まれる。閑谷黌に進学するが、4年終了時に中退。大正8年上京し文学誌社「博文館」に就職。38歳の時帰郷。国文学者正宗敦夫の勧めと、三村梅景の手ほどきで備前焼を始める。その後金重陶陽の指導も受け、同29年には岡山県重要無形文化財保持者に、昭和45年人間国宝に認定される。
12/08/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 三木露風ー閑谷学校ゆかりの人ー 現竜野市生まれ。7歳の時母が去り祖母に育てられる。竜野中学から閑谷黌の3年生に転校。有本芳水を通じ作詞活動や同人たちと交遊。17歳の時、処女詩歌集「夏姫」を自費出版。芳水を追って上京、「車前草社」を創立。同40年早稲田大学入学、詩集「廃園」を出版、文壇での詩人としての地位を確立する。
12/08/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 大原孫三郎ー閑谷学校ゆかりの人ー 大原家の三男として現倉敷市に生まれ、明治27年閑谷黌に入学、後東京専門学校に進むも学業半ばにして帰郷、倉敷紡績社長など企業経営のかたわら、倉敷の文化・福祉の発展を願い、児島虎二郎にヨーロッパ近代絵画の収集に当たらせ、それらを展示するための大原美術館を開館する。
12/08/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 正宗白鳥ー閑谷学校ゆかりの人ー 現備前市穂浪に生れる。本名忠夫。明治25年閑谷黌に入学、一年半ほど在学し、漢学と英語を学び、「国民の友」などによりキリスト教を知る。同29年上京し東京専門学校(現早稲田大学)に入学、同34(1901)年卒業し読売新聞社に入り、美術・文芸・演劇などの記事を担当。
12/08/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 西 毅一ー閑谷学校ゆかりの人ー 藩士の長男として天保14(1843)年、岡山に生れる。大阪で学んだのち帰郷、西後村の学僕となる。後村没後はその養嗣子となって西姓を名乗る。岡山県参事、清国での文学研究、国会開設運動などに携わった後、閑谷学校の再興を図り、明治17(1884)年に再興される閑谷学の初代学長となる。
12/08/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 山田方谷ー閑谷学校ゆかりの人ー 文化2(1805)年現高梁市中井町西方で生れる。5歳から儒学を学び、松山藩士、藩校有終館会頭を経て京都や江戸へ遊学、帰藩後は校有終館学頭となる。藩主の命により藩政改革をした後は老中首座として幕府の政治を担当。明治6年、閑谷学校の再興を請われ、その再興に尽力する。
12/08/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 武元君立ー閑谷学校ゆかりの人 明和7(1770)年現吉永町北方の名主の次男に生れる。閑谷学校で有吉以顕から臓器の指導を受け、江戸に出て大学頭林述斎に師事ののち帰郷、北方村の名主となる。文化10(1813)年閑谷学校教授に任用され、閑谷に移住し、教育と学校経営に専念。「閑谷学図」を作成したり、茶室黄葉亭を建てる。
12/07/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 熊沢 蕃山ー閑谷学校ゆかりの人ー 元和5(1619)年京都に生まれ、母方の熊沢守久の養子となる。中江藤樹に陽明学を学ぶ時期を挟んで、寛永11(1634)年以降二度、池田光政に仕え、経世済民思想の実現を目指すも家中の反感や幕府からの中傷により蕃山に隠退。その後、京都で名声を得るも幕府の忌避を受け茨城古河に軟禁、同地で没する。
12/07/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 津田永忠ー閑谷学校ゆかりの人ー 寛永17(1640)年岡山藩士の三男として岡山に生れ、14歳の時、御側児小性として光政に仕えた後、光政、綱政の二代に渡って岡山藩の重臣として、干拓事業をはじめとする様々の土木事業を行なうと共に閑谷学校の創立、運営に力を注ぐ。
12/07/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 池田光政ー閑谷学校ゆかりの人ー 岡山藩三代藩主、池田光政(1609~1682)、姫路藩主池田利隆の嫡子。姫路藩主・鳥取藩主を経て岡山藩主となり、岡山藩の基礎を固めると共に、重臣 津田永忠に命じて閑谷学校を建設する。
12/07/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 旧閑谷学校石門 学校から1km程南に頭部を擬宝珠型にきざんだ二本の石柱がある。これは、かっての閑谷学校の門であった。 今は大半が埋没している。閑谷学校と共に国の特別史跡に指定されている。
12/06/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠) 閑谷学校の創設者である岡山藩主池田光政を祀るために貞享三年(1686)に建てられたもので、もと芳烈祠または東御堂といわれた。明治八年光政の祖父輝政ならびに父利隆を合祀して閑谷神社と改称した。本殿内に光政の金銅製虚像(宝永元年鋳造)を安置している。
12/06/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 旧閑谷学校石塀 閑谷学校を訪れてまず目に付くのが、周囲を取り囲んでいるカマボコ型の石組みの塀である。ほとんど隙間無く組み合わされ、草一本生えていないその構築技術には本当に驚く。幅・高さとも約2m、長さ765m。 Sponsored Li […]
12/06/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 旧閑谷学校聖廟 儒学をはじめた孔子を祀っており孔子廟または西御堂ともいう。本殿にあたる大成殿は貞享元年(1684)の完成で閑谷学校で最も古い建物である。内部の厨子の中に金銅製の孔子像(元禄14年鋳造)が安置されている。ー大成殿・東階・西階・中庭・外門・練塀・文庫・厨屋・繋牲石・石段・校門・石橋ー
12/06/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 旧閑谷学校 講堂、小斎、習芸斎、飲室、文庫、公門 講堂は、閑谷学校の中心的建物。 一・六の日の講釈、釈采の講経、三月の読初の儀、藩主臨学のときの講習が行われた。小斎は、藩主が学校を訪れた時に使用される建物。習芸斎ー教室として使用。飲室ー師匠・生徒の休憩室。文庫ー書籍等を所蔵する土蔵造りの建物。公門ー御成門で藩主の出入りする門。
12/06/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 旧閑谷学校 岡山藩主の池田光政が、寛文10(1670)年、領内の庶民教育のために重臣の津田永忠に命じて創立し、翌寛文11(1671)年に造らせた学校で、聖廟、講堂、小斎、習芸斎、文庫、門、閑谷神社、石塀、石門等、主要な施設が非常によく保存されている。平成27年4月に日本遺産に指定される。