沖新田干拓
奈良時代から昭和の中頃にかけて行われた「吉備の穴海」干拓の長い歴史の内、沖新田の干拓は、元禄4(1691)年9月に池田綱政が津田永忠に命じ、永忠の指揮の下、元禄6(1693)年12月に完成した部分をいう。この干拓の時、百間川河口部の大水尾による遊水地と5つの樋門も完成した。
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名称 | 沖新田干拓 |
所在地 | 岡山市中区、東区 |
TEL | ー |
概要 | 岡山県の南部に広がる備前(岡山)平野は、その多くが、旭川、吉井川、高梁川などの 各河川が運んできた土砂が、沖に浮かんでいた児島でせき止められて遠浅となった 「吉備の穴海」と呼ばれる海を干拓して出来た。 「吉備の穴海」干拓の歴史は奈良時代にはすでに始まっており、昭和の中頃まで続いている。 その長い歴史の中で、沖新田は、元禄4(1691)年9月に池田綱政が津田永忠に命じ、永忠の |
沖田神社 | 岡山藩主池田綱政の命により、備前国南部の沖新田全体の産土神として勧請。
沖田神社には、沖新田の潮止め工事が難航したため、「きた」という女性が人柱となって龍神 |
沖田神社
の 氏子区域 |
倉田新田の干拓ー沖新田の干拓より早い時期で延宝7(1979)年の干拓。
操陽地区(岡山市倉田・倉富・倉益)、 沖新田の干拓ー元禄4(1691)年9月に池田綱政が津田永忠に命じ、永忠の指揮の下、 沖田地区(岡山市桑野・沖元)、三番地区(岡山市江崎・江並・藤崎)、 光政地区(岡山市光津・政津)、津田地区(岡山市君津・升田)、 九番地区(岡山市豊田・九番) |
交通 | JR岡山駅より両備バス沖元経由西大寺行、沖元下車徒歩約3分、
山陽自動車道岡山ICより車で約35分 |
駐車場 | 有り(沖田神社) |

百間川河口部大水尾