備前国分寺跡

備前国分寺跡パノラマ

備前国分寺跡

昭和49年の発掘調査によると、東西180m、南北240mの寺域を有していたと推定されている。聖武天皇が、鎮護国家を願って全国に建立した国分寺の一つで、創建は、奈良時代の後半ごろで、室町時代に火災で焼失したものとみられている。

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名称  国指定史跡 備前国分寺跡 昭和50年7月19日指定
所在地  〒709-0825 赤磐市馬屋
TEL  0869-55-6175 赤磐市観光協会
概要  備前国の国分寺の跡であり、鎮護国家を願って奈良時代に全国に建てられた
もののうちの一つです。

正式名称は、金光明四天王護国之寺といいます。

この寺の建立を発願した聖武天皇は、必ず好所に建立するように命じています。

昭和50(1975)年に国の史跡に指定され、それに先立つ昭和49(1974)年の
発掘調査では、南門、中門、金堂、講堂、僧房等の跡が確認されました。

そして、これら主要な伽藍が南北方向に縦に一直線に並び、そこから東南の位置に
塔が配置されている様子から、東大寺(国分寺)式伽藍配置が採用されていることも
判明しました。

全国の国分寺のうち、半数近くがこの伽藍配置を採用しています。

この備前国分寺跡は、推定の南門と推定の中門の間隔が狭いことが他の国分寺では
見られない特徴です。

また、柱をのせた礎石には加工の痕跡があまり見られず、自然の石をほとんど
そのまま利用していたようです。

このほか、創建時の軒先の瓦の文様に独特の特徴があり、注目されています。

当時、国分寺は「国の華」といわれ、文化の拠点としてだけはでなく、福祉や
教育の拠点としても賑わっていたようです。

平成15年3月 山陽町(現赤磐市)教育委員会(現地案内板より)

交通  JR岡山駅より宇野バス、ネオポリス行、または湯郷・林野方面行、「新穂崎下」
下車、徒歩約5分、

山陽自動車道山陽ICより車で約10分

駐車場  25台(稚媛の里駐車場の利用が可能)

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