伊勢国亀山領陣屋跡

伊勢国亀山領陣屋跡

ここ中津井地区は、美作津山城下と備中松山城下を結ぶ街道の要衝として発展してきた歴史薫る街。奥吉備ほくぼう「なかつい陣屋」は、江戸時代、備中松山藩主が伊勢の亀山藩に移る際に、伊勢亀山藩の飛地領として代官所(陣屋)を設置した跡に復元した農村型リゾートの宿泊施設。

 

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名称  伊勢国亀山領陣屋跡(いせのくにかめやまりょうじんやあと)
所在地  〒716-1421 真庭市下中津井454-2
概要 備中松山藩主の石川総慶(ふさよし)が延享元年(1744年)に亀山(かめやま)
(三重県亀山市)へ移ったとき、旧北房町のうち、上中津井、下中津井、上平田、
下平田の4ヶ村と、旧有漢町のうち、垣、長代、川関、上村、中村、下村の6ヶ村、
旧賀陽町のうち竹井、岩村、黒土の計13ヶ村1万石は亀山藩の飛び領地となった。亀山藩は幕末のころ特にたばこの栽培を奨励し「なかつい刻(きざみ)」として
関西から四国へ販路を広げて藩の財政を潤し中津井の町も大いに栄えた。

いまに残る「鰤市」には近郷、近在からの人出でにぎわい三千本を越えるブリが
売り買いされたという。

陣屋跡(じんやあと)は、代官所が置かれたところで、明治4(1871)年の
廃藩置県まで実に百二十七年間続いた。

現在ここには領界を示す石柱が残っている。石柱は備中松山城下と
美作国(みまさかのくに)を結ぶ街道の乢山(たわやま)峠(多和山峠)に
あったものを後に移した。

モミの木は亀山市の市木(しぼく)で、亀山ライオンズクラブと
高梁ライオンズクラブが友好縁組を記念して、昭和62年12月1日植樹したものである。

平成9年10月22日 北房町教育委員会(現地案内板)

境界を示す石柱の記載文字:従是東壮伊勢國亀山領(写真を参考)

TEL  0866-52-5001 奥吉備ほくぼう「なかつい陣屋」
交通  JR伯備線備中高梁駅より落合・北房行きバス40分、中津井下車徒歩すぐ、

中国自動車道北房ICより車で約5分

駐車場  普通車15台

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