真光寺 仁王門

仁王門
文禄年中(1592~1596)に十萬屋良喜の寄進で建立したが、その後再建、現在の仁王門は、花蔵院宥敞が一山七坊を率いて発願し、大師講の男女130人が世話人となり、万人講の奉賛によって宝永8年(1711)8月に上棟、10月に完成したという。
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名称 | 備前市指定文化財(建造物) 御滝山真光寺仁王門 昭和46年10月6日指定 |
所在地 | 〒705-0021 備前市西片上1509 |
TEL | 0869-64-2144 自性院 |
概要 | 文禄年中(1592~1596)に十萬屋良喜(とまやよしき)の寄進で建立したが、その後 再建、現在の仁王門は、花蔵院宥敞(けぞういんゆうしょう)が一山七坊を率いて 発願(はつがん)し、大師講(だいしこう)の男女130人が世話人となり、万人講 (まんにんこう)の奉賛によって宝永8年(1711)8月に上棟、10月に完成したという。 門の様式は三間一戸八脚楼門(さんけんいっこはっきゃくろうもん)、欅(けやき)、 その規模、荘厳さはこの時代の特色をよく表わしている。 山号の額「御瀧山」は黄檗山(おうばくさん)の唐僧悦山(とうそうえつざん)の書で 両脇の仁王尊(におうそん)は京都の仏師五左右衛門(ござえもん)を招き、修復の上、 この仁王門は、御滝山真光寺の山門(さんもん)(神社の鳥居にあたる)であるが、 *仁王尊(におうそん)(二王)、 仏法(ぶっぽう)を守護するために力士の形をあらわす。 向かって、右開口像(かいこうぞう)が阿形、左閉口像(へいこうぞう)が吽形 両像とも、勇猛(ゆうもう)・忿怒(ふんぬ)の相をしていて、仁王門または須弥壇 *大橋茂右衛門(おおはしもえもん) 片上にあった藩の米蔵(こめぐら)及び片上浦を管理する有能な役人であった。 また、花蔵院(けぞういん)の正門(市指定文化財)・客殿を寄進した。 平成11年1月 備前市教育委員会(現地案内板より) |
交通 | JR赤穂線西片上駅より徒歩約4分、
山陽自動車道和気ICより車約10分 |
駐車場 | 無し |
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