志呂神社

志呂神社境内

志呂神社境内

志呂神社は、作国が備前国から分国した奈良時代の和銅6(713)年の創建と伝えられる古社。現在の本殿は、中山造より発展した総欅造の出向拝を備えた入母屋造妻入で、江戸時代後期の嘉永元(1848)年の改築。秋の大祭に奉納されるフト・マガリ・チョウギンと呼ばれる3種の御供(ごくう)は、県指定重要無形文化財。

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名称  志呂神社(しろじんじゃ)
所在地  〒709-3113 岡山市北区建部町下神目1834
TEL  0867-22-1405
主祭神  事代主命
概要  志呂神社は、美作国が備前国から分国した和銅6(713)年に、弓削庄27カ村
(現在の建部町、久米南町)の総氏神として祭られたと伝えられています。

古くは神主他20名余りが奉仕し、社領70石を有していました。

又、神宮寺もあったと伝えられます。

本殿は中山造より発展した3間4面(実尺は4間x4間)の総欅造の出向拝を備えた
入母屋造妻入です。

また、旧県社で祭神に事代主命(ことしろぬしのみこと)を祭っており、各所に
彫物を配した近世末期(嘉永元年1848再建)の優れた神社建築です。
(昭和38年町指定文化財)

環境庁・岡山県(現地案内板)

行事  志呂神社秋まつりー10月20日、

秋まつりに奉納される神楽(獅子舞)と棒遣いは、町指定無形民俗文化財。

特に棒遣いは、竹内流の棒術の所作を取り入れており、表棒裏棒の
「物見の事、腰車の事、さぐり」等の型があり、神事の一形態である。

御供  岡山県指定無形民俗文化財 志呂神社御供(ごくう)、

通称「京尾御供」と呼ばれ、10月20日に行われる秋祭りに、久米南町の京尾の氏子
から供えられる神饌行事。五穀豊穣、家内安全を祈って行われる。

団子でつくった”フト”と称する女性器を表すもの三個、男性器を表す”まがり”一個
及びもちでつくった大判の形の”丁銀”三個、加えて米飯一盛、柚子一個、箸一膳、
榊葉若干を三方に盛った七膳の熟饌を調整、御幣を立てた唐櫃に入れて御供所に運び、
紋付袴に榊葉を口にした七人の頭人によって供饌される。

その製法と形態は、今も厳重なしきたりで行われており、往古の暮らしや物の考え方が
うかがわれる貴重な民俗文化財である。

現地案内板を参考

郷土芸能  岡山市指定無形民俗文化財 志呂神社の棒遣い 昭和43年7月10日指定

志呂神社(棒遣い)ー下神目神楽・棒遣い保存会、

志呂神社の棒遣いは、秋祭りで奉納される宮棒と称せられるお祓いの神事であり、災難を
打ち払い悪魔・悪霊を退散せしめ無事安泰を願う祈りであり、呪術である。

棒の型は、「しんかた」「やまゆき」「こいのみずいれ」等があるが、垪和郷に興った
武道竹内流棒術の所作もとり入れるなど伝承過程の中でさらに工夫が加えられてきたと
推測される。

演者は草鞋に手甲と動き易い装束で、胸当には社紋を印して御神威を示し、鬼面、天狗面
は人間を超えた強さを表し、六尺の樫の棒を戛然(かつぜん)と打ち交わして魑魅魍魎を
払い浄めるという。

この棒遣いは、昭和55年保存会を結成、神楽(獅子舞)とともに後継者の育成・保護・伝承
に努めている。
建部町(現岡山市)教育委員会(現地案内板)

自然保護地域 岡山県指定郷土自然保護地域 三樹山(みきやま)の樹林 昭和51年指定、

三樹山は、鎮守の森としてこれまでほとんど手が加えられることなく、自然の推移に
ゆだねられてきました。

このため、シイノキ、ヤブツバキ、シリブカガシなど原始的な植生型に近い常緑広葉樹
が育っており、郷土の自然を知るうえで貴重なところです。

このような常緑広葉樹林では、四季を通じて熱い葉っぱに被われており、林外にくらべて
気温の変化や湿度の変化が少なく、冬の寒さをきらう南方系と夏の暑さに弱い北方系の
動植物が同居するめずらしいところです。

環境省・岡山県(現地案内板)

志呂神社文書 岡山市指定有形文化財 志呂神社文書 二巻 保存 志呂神社 平成18年11月29日指定、

志呂神社文書は、正安4(1302)年に作成された「志呂宮御祭頭文次第」を
文安3(1446)年に書写したものと享保12(1727)年に再度書写されたものです。

しかし、正安4年の巻物が現在所在不明、また、文安3年書写分も頭初部を若干欠いて
完全ではなく、幸いにして享保12年に志呂神社神官宮内盛次が原本をそのまま書写
しています。

さらに、元禄4年(1691)に編纂の「作陽誌」に前文が掲載されていますので、
原本そのものではないが完全な姿を復元しています。

内容は、志呂宮の春秋二度の大祭に御供米(段米)の奉納の形態(宮座)が記されて
おり、正安4年から昭和15年まで630余年続いた資料として、鎌倉後期の最も古い
宮座資料の一つです。

巻物以外の資料(昭和15年に志呂宮境内に建立された「頭文祭碑」原文)によれば、
近代の地区総代会をもって祭祀が執り行われ、名座主による宮座が終焉となっています。

当時の在地事情を知ることのできる国内でも貴重なものです。

建部町教育委員会(現地案内板)

交通  JR津山線福渡駅より車で約5分、

山陽自動車道岡山ICより車で約40分、

中国自動車道院庄ICより車で約40分

駐車場  普通自動車250台、バス(中型)4台

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志呂神社案内図

志呂神社案内図

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