熊沢蕃山碑
旧岡山藩藩学跡の泮池脇に建てられた、岡山藩ゆかりの陽明学者熊沢蕃山の石碑。熊沢蕃山は、寛永12(1635)年岡山藩主池田光政に仕えた後、中江藤樹の下で陽明学を学ぶ。正保2(1645)年、再度池田光政に招かれ、三千石の家老として藩政に参与、治山治水、飢饉対策、教育宗教で岡山藩に功績を残す。
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名称 | 熊沢蕃山碑 |
所在地 | 岡山市北区蕃山町 |
TEL | ー |
履歴 | 先生名は伯継、字は了介、通称は次郎八、野尻一利の子として元和5年京都に生れ、 八歳の時外祖父熊沢守久の養継となる。 寛永12年岡山藩主池田光政に仕えたが、寛永16年致仕し近江相原の祖父の実家に行く。 やがて中江藤樹につき陽明学を学ぶ。 正保2年27歳のとき再び光政に招かれ、やがて三千石の番頭に重用せられ、藩政に その治績は治水治山、飢饉対策、教育宗教に及び大いにみるべきものがあり、現に 明暦3年39歳のとき和気郡蕃山村に隠退した。 この頃から蕃山了介と称したが人呼んで蕃山先生という。 やがて息游軒と号し京都に移った。 寛文9年幕命によって明石藩に預けらる。 更に貞享4年に下総古河に禁錮される。 ついで元禄4年同地に没した。享年73歳。 墓は鮭延寺にある。 先生は朱王いずれの学派にも属せず、それぞれの長所をとるとした。 とくに学問は現実に応じる政治的実践を目標とされた。 岡山大学名誉教授 藤井 駿(現地案内板) |
交通 | JR岡山駅より徒歩約10分、
山陽自動車道岡山ICより車で約20分 |
駐車場 | ー |
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