戸川友林の墓と友林堂

戸川友林の墓地

戸川友林の墓地

宇喜多直家に仕え、天正3年(1575)の常山合戦の後、常山城主に命ぜられた戸川友林と、友林の重臣、日賢・日教の墓。そして、文化2年に戸川氏が霊廟を建てて位牌を安置した友林堂。友林堂は、建物全体は三間に一間の唐破風入母屋造り妻入りの拝殿と、一間に二間の祠堂で構成されている。

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名称  戸川友林の墓と友林堂
所在地  〒706-0133 玉野市宇藤木
TEL  0863-33-5005 玉野市商工観光課
概要  玉野市指定文化財 戸川友林及び日賢・日教の墓 昭和36年3月27日指定、

戸川友林は平右衛門秀安といい、宇喜多直家に仕え、天正3年(1575)の常山合戦の後、
常山城主に命ぜられた。

同18年(1590)に家督を嫡子逵安(みちやす)に譲り、山麓に草庵を結んで閑居し、
慶長2年(1597)に没した。

日賢・日教は、友林の重臣と伝えられている。

玉垣の中にあるのが友林の五輪塔で(高さ245センチ)、土塀の外の左側が日賢
(高さ137センチ)、右側が日教(高さ124センチ)の墓である。

いずれも豊島石製である。

墓守の則武氏(のち大塚氏)代々が友林の位牌を祀っていたが、文化2年、戸川氏が霊廟を
建てたのでここに安置した。これがすぐ下にある友林堂である。

平成17年8月 玉野市教育委員会(現地案内板)

友林堂 昭和52年1月指定、

この友林堂は、常山城主戸川友林(秀安 慶長2年1597年没)の位牌を安置する霊廟であり、
文化2年(1805年)、撫川・早島・帯江・妹尾知行の戸川氏によって建立されたものである。

建物全体は三間に一間の唐破風入母屋造り妻入りの拝殿と、一間に二間の祠堂で構成されている。

屋根の作りに特色があり、拝殿正面の唐破風の上部に千鳥破風を置き、拝殿左右の屋根にも
千鳥破風を置くという、荘重で優美な外観を呈している。

拝殿内部の折上格天井の格間には天井絵が描かれ、文化2年紫邦彦(幕府儒官柴野栗山)
銘の「啓宇」の額も掲げられている。

一方、祠堂内部には位牌のほか天正17年(1589)の墨書銘を持つ木像など、友林ゆかりの
品も伝わっている。

この建物は嘉永5年(1852)から平成12年までの6回にわたって改修が行われており、
戸川氏一族と宇藤木区民が協力してきた。

平成13年12月 玉野市教育委員会(現地案内板)

交通  JR宇野線常山駅より徒歩約10分、

瀬戸中央自動車道水島ICより車で約20分

駐車場  普通車20台(常山城跡登山口駐車場)

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