金山寺
報恩大師が創建、備前48ヵ寺の根本道場として栄えた名刹で、その後、宋から帰国した栄西禅師が入山ー灌室、護摩堂などを増築して、法相宗から天台宗に改め、遍照院と号した。金川城主松田氏により日蓮宗への改宗を迫られたが応じなかった為一山焼き尽くされるも、のち、伯耆大山寺から来山した法印円智が岡山城主宇喜多直家の庇護を受け、本堂、護摩堂を再建。
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本瓦葺の入母屋造り、2層からなる楼門で、岡山藩主池田光正の寄進により再建された。中央部を通路とし両脇に金剛力士像を安置。上層は、正面・裏面とも中央の間に花頭口を開き、組勾欄を巡らしている。
戦国時代の天正年間(1573~1591)宇喜多直家の寄進により建立。後世修理の跡が著しいが、室町時代の手法がよく残されている。
江戸時代中期の天明8年(1788)の建立で高さ26.3m。和様に禅宗様を多く取り入れたどっしりとした三重塔で、柵原町の本山寺のそれと並んで、県下では最大規模のものである。
名称 | 銘金山 金山寺(かなやまじ) |
所在地 | 〒701-2151 岡山市北区金山寺481 |
TEL | 086-228-0926 |
宗派 | 天台宗 |
創建 | 報恩大師 |
本尊 | 千手観音 |
概要 | 天平勝宝元(749)年に報恩大師が創建、備前48ヵ寺の根本道場として栄えた名刹 である。もと裏山の三鈷峰にあったが、康治元年(1142)現在の地に移った。 嘉応年中(1169~1170)、宋から帰国した栄西禅師が入山ー灌室、護摩堂などを 文亀元(1501)年金川城主松田氏が日蓮宗への改宗を迫ったが、応じないので のち、伯耆の大山寺から法印円智が来山し、岡山城主宇喜多直家の庇護を受け、 江戸時代に入り、池田光正の時に、天台宗の末寺のみを支配する事に 平成24年(2012)12月24日出火し惜しくも本堂を全焼してしまった。 |
文化財 | 国指定重要文化財 金山寺文書 附:金山観音縁起 昭和44年6月20日指定、
平安時代~鎌倉時代の古文書7巻(52通)と縁起書1巻 |
岡山県指定重要文化財 建造物 金山寺 護摩堂 昭和31年4月1日指定 | |
岡山県指定重要文化財 建造物 金山寺 三重塔 平成4年4月3日指定 | |
岡山県指定重要文化財 五鈷杵・五鈷鈴(ごこしょ・ごこれい) | |
岡山市指定重要文化財 建造物 金山寺 仁王門 昭和40年7月指定 | |
焼失文化財 | 国指定重要文化財 建造物 金山寺 本堂 大正12年3月28日指定、 平成25年8月7日解除 |
岡山県指定重要文化財 木造阿弥陀如来像 | |
交通 | JR岡山駅より車で約20分、
山陽自動車道岡山ICより車で約30分 |
駐車場 | 無し |
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