池田光政ー閑谷学校ゆかりの人ー
岡山藩三代藩主、池田光政(1609~1682)、姫路藩主池田利隆の嫡子。姫路藩主・鳥取藩主を経て岡山藩主となり、岡山藩の基礎を固めると共に、重臣 津田永忠に命じて閑谷学校を建設する。
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名称 | 池田光政(1609~1682)ー閑谷学校ゆかりの人ー |
役職 | 岡山藩三代藩主 諡(おくりな) 芳烈公(ほうれつこう) |
略歴 | 慶長14(1609)年姫路藩主池田利隆(当事備前監国)の嫡子として岡山に生れる。
母は二代将軍秀忠 養女の鶴子。 元和2(1616)年父利隆没後、姫路藩主を継ぐが年少を理由に鳥取(因幡・伯耆)に 寛永9(1632)年伯父である岡山藩主池田忠雄が死去し、嫡子光仲との国替えにより 妻は天樹院千姫の娘勝子。 儒学における仁政の実現をめざし、陽明学者熊沢蕃山や津田永忠を重用し、飢民救済や また、寛文6(1666)年藩士師弟のために石山仮学館(同9年西中山下に藩校新設)、 天和2(1682)年没。墓所は吉永町和意谷。(現地案内板) |