ベンガラ館

吹屋ベンガラ館

吹屋ベンガラ館

ベンガラは、赤色顔料として、宝永4年(1707年)吹屋で開発され、硫酸鉄を原料として、安永6年(1777年)から工業化し、早川代官の指導で株仲間を組織し、明治産業復興の波にのり、特産地として長い間繁栄を続けた。この吹屋ベンガラ館は明治期の弁柄工場を昭和61年(1986年)に復元整備したもので、水車を原動力とする当時のベンガラの製造工程を紹介。

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ベンガラ製造工程

ベンガラ製造工程

ベンガラ製造工程

上の写真は、左から、原料(硫化鉄鋼)FeS2⇒緑礬(ろくは)FeSO4・7H2O⇒焼き⇒ベンガラFe2O3

焼成工程

焼成工程

焼成工程

焼きー釜場(かまば)=原料の緑礬(ローハ)をよく乾燥させてホーロク(土器の皿)に少しずつ盛って窯の中に二百枚前後積み重ね、下から松薪で1~2昼夜700度程度の火力で焼き、赤く変色したベンガラの基を作る。

名称  ベンガラ館
所在地  高梁市成羽町吹屋86
TEL  0866-42-3216 高梁市成羽地域局産業建設課、

0866-29-2222 成羽町観光協会吹屋支部

概要 赤色顔料として宝永4(1707)年吹屋で開発され、特産地として栄えた。

ベンガラの製造工程を紹介している。

由来 吹屋ベンガラの由来、

ベンガラとは、印度地方に産する黄土(天然酸化鉄)より命名されたと伝えられる。

日本でも古く装飾古墳時代から使われ徳川初期の長崎輸入品控にはスホウその他の色素とともにその名が記されている。

吹屋の弁柄は宝永年間(1704)より銅山の捨石の中から、酸化鉄鉱を拾い出し家内工業として極く素朴な製品が少量ずつ作り始め宝歴初年本山鉱山開発、ローハ製造とその凝結に成功し、このローハを原料とし弁柄の製造も工業化の折柄寛政年間(1790)早川代官が地場産業として将来性を認め仲間組合を作られ御免町人として許可その製造販売を援助奨励されてより個々には、隆退交替があれど組合としては、製品の優秀さと仲間組合の合理性により、明和年間大坂で一時盛んに製造されたダライコ弁柄(鉄丹弁柄)との競争にも勝ち以来、徳川、明治、大正、昭和中期まで二百年間日本でただ一ヶ所の産地として繁栄を続け現在邸宅、調度などに、そのおもかげを残している。

製造工程  硫化鉄鉱⇒緑礬(ろくは)⇒焼き⇒ベンガラ、

弁柄の製造、

本山鉱山より堀り出された硫化鉄鉱石を蒔と共に積み30日ないし50日焼鉱すると鉱石に含有する硫黄などが燃える。

この焼石を水槽(溶解槽)に入れ溶液を作り、その溶液を釜で煮沸、乾燥したものを、ローハという。

このローハを原料として弁柄窯元は、ホーロクにもり焼釜にて1日以上数日焼き、焼いたものを、階段式水槽にて攪拌水洗し粉末調整を行いさらに、石臼(水車動力)にて微粉となし、さらに水槽で清水より数拾回攪拌脱酸したものを、干板にて干期にならべ天日乾燥または、火力乾燥し再度トンコと称する製粉機にて粉状を揃え製品とする。

注意:工場の内部を見学される場合は、弁柄が衣類につきやすいので充分ご注意下さい。
(現地案内板)

料金  (個人)大人300円、小人150円、

(団体)20人以上大人270円、小人130円、

開館時間  9:00~17:00
休館日  12月29日~12月31日
交通  JR伯備線備中高梁駅より吹屋行バス55分、終点下車徒歩約20分、

岡山自動車道賀陽ICより車約60分、

中国自動車道新見ICより車約40分

駐車場  普通車20台、バス2台

 

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水洗工程

水洗工程

水洗工程

水簸(すいひ)=焼成したベンガラの基には多くの不純物が混じっている。そこで、水槽に入れ、水を加えて撹拌、しばらく時間をおいて、階段式の水槽で水洗いして不純物を取り除く。

微粉化工程

微粉化工程

微粉化工程

水車を動力にした石臼で碾き粒子を小さくする工程。

脱酸工程

脱酸工程

脱酸工程

酸性分を取り除く工程。前行程を経た中間製品を、水槽で繰り返し清水を入れては沈殿させ、硫酸分を含んだうわ水を捨てる作業を数十回~百回位繰り返して行なう。天日で乾かすとベンガラが出来上がる。

碾臼用水車

碾臼用水車

碾臼用水車

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