蛙が鼻築堤跡

蛙が鼻築堤跡

蛙が鼻築堤跡

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秀吉は高松城の攻略を、軍師黒田官兵衛の策を採用して水攻めにし、城地の南東約700mの山根ー蛙ケ鼻(かわずがはな)-から、西北西約1,500mの足守川上流まで約3㎞の堤防を、わずか12日間で築いたと伝えられている。
堤防の内側は約200haの人造湖となり、外側には部隊を布陣させ、城を逆封鎖してしまった。

江戸時代の地誌類では、基底部幅24m、高さ8m、上幅12mの大堰堤(だいえんてい)と記録されている。
近年の一部発掘調査によって基底部幅約22~24m(12~13間)ということが確認され、築堤に際して土留めなどに使われたと思われる木杭や、土俵、むしろ等が確認された。

平成15年4月 岡山市・岡山市教育委員会(現地案内版)

高松城水攻め史跡公園

高松城水攻め史跡公園

高松城水攻め史跡公園は、天正10年(1582年)中国の役で、羽柴(後に豊臣)秀吉が備中高松城の水攻めの際築いたと伝わる築堤史跡、蛙が鼻築堤跡(昭和4年12月17日国指定史跡)に隣接して整備した公園(面積約4,000㎡)。

水攻め築堤跡の調査

水攻め築堤跡の調査

平成10年(1998年)の4月から5月にかけて、水攻め築堤の遺構状況を確認するため、発掘調査が行われました。その結果、築堤の大半はすでに削り取られていたものの、現在の水田の下約1mのところで、基底部が確認された。

蛙が鼻築堤跡ー2

蛙が鼻築堤跡ー2

蛙が鼻築堤跡ー3

蛙が鼻築堤跡ー3

蛙が鼻築堤跡ー4

蛙が鼻築堤跡ー4

蛙が鼻築堤跡ー5

蛙が鼻築堤跡ー5

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