妹尾地区
妹尾は元々庭瀬藩主戸川氏の陣屋町であり、古い街道である本町通り沿いには、「妹尾千軒皆法華」の石碑のある盛隆寺とその塔頭群、御前神社などの由緒ある神社仏閣をはじめかっての陣屋の町並みが残っている。一方瀬戸大橋線の南側の東畦は江戸時代後半以降に行われた干拓地であり、最近は、岡山中心部からJRで15分ほどという好立地を生かして「せのおニューシティ」という大規模な宅地開発がなされてきた。駅の両側で全く異なった顔を持つ町である。
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吉備津神社の摂末社72社の一社としてまた、妹尾西磯の鎮守社として祀られた神社。境内にある燈籠には、開闢 神亀3年とあり、約1300年前にはこの地に社殿が建立されていたと推定される。吉備津彦命が汗入の沖で大風により船が転覆しそうになった時大亀に助けられたという伝説があり境内には亀が祀られている。
妹尾駅の南側に造成されたニューシティでJR岡山駅まではマリンライナーでわずか7分。マンションと一戸建て住宅とが調和した素晴らしい環境の高級住宅地ー全700戸ー。周辺には、教育機関、ショッピングセンター、金融機関、病院、コミュニティセンターなど快適な都市生活を過ごすための施設が充実している。
庭瀬領主戸川達安公の妹君が、嫁ぎ先の宇喜多家で亡くなられたのを母堂の妙承尼が嘆き、悲しまれ、新しくお寺を建てて姫君の冥福を祈ってやろうと思いたたれ、達安公も又、妹君の死を哀れむと共に、ご母堂の心のうちを察してその願望を叶えてあげよう当山を開創、日鳳上人を開祖に迎えて啓運山盛隆寺と名付けた。
名称 | 岡山市南区妹尾地区 |
所在地 | 〒701-0206 岡山県岡山市南区箕島1024-8 |
TEL | 086-282-3121 岡山市南区役所妹尾地域センター |
概要 | 妹尾は、領主戸川氏の陣屋町であった。古い街道沿いにはその名残が数多く残っている。
妹尾の旧市街は、道が狭く車では通りにくく敬遠しがちであるが、一度JRなどを利用して JR瀬戸大橋線を妹尾駅で降り、北口を出ると前には、古い家並みの駅前通りが延びている。 駅前通とT字交叉する本町通には「妹尾千軒皆法華」の石碑のある盛隆寺(じょうりゅうじ) また、盛隆寺の北東には、平家の武将、妹尾太郎兼康の築いた州浜城跡や戸川氏陣屋跡、 一方、JR瀬戸大橋線の南側は、江戸時代後半以降に行われた干拓地であり、最近は、岡山 駅の両側で全く異なった顔を持つ町である。 |
交通 | JR瀬戸大橋線妹尾駅より徒歩約15分、
早島ICより車で約15分 |
駐車場 | 普通車100台(岡山西ふれあいセンター) |
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この井戸は、妹尾の旧領主(戸川氏)の陣屋にあった井戸。明治になり陣屋が廃止された後も飲料水の不足に悩む土地の人々が利用したもので、当時の形態をよく伝えている。妹尾の土地を知る文化財として、昭和47年3月24日、岡山市指定有形民俗文化財に指定された。
備中国妹尾郷の平家武将、 妹尾太郎兼康が築いたとされる城である。その後、江戸時代から明治維新まで、戸川氏の陣屋が置かれていた。現在は、わずかの石垣と、戸川陣屋井戸が残るのみ。当時この城の南には、「吉備の穴海」と呼ばれる浅瀬の海が広がっていた。
縁起口碑によれば、当社は中山七十二社の末社の一つであり妹尾叔奈麻呂の新居跡である。叔奈麻呂は吉備津彦の軍に従い早島の海賊を三嶋部の大依別と部下の足速男等と謀って賊軍を打ち果す等の功績ありし人であり、その功により中山七十二社の一つに加えられた。
大豆から醤油までの工程を一貫して製造。歴史ー慶応2年材木屋として創業、明治17年醤油業に転業、「木の店」にちなんで「キミセ」を商標とした。備前焼の大甕で醤油を調熟する製法を取り入れたり、「五穀」を採用するなど「古くて新しいもの」にも目を向けている。
地域住民の交流や、健康づくり、生涯学習を促進するための福祉サービスを提供。岡山市の機関である南区西福祉事務所、西保健センターも併設している。建物北側に普通車100台程度駐車可能な駐車場有。センター内には、レストランや喫茶室は無し。
JR岡山駅からマリンライナーで約7分、早島ICから車で約15分と交通至便な立地で、駅の北側は、平家の武将妹尾兼康の時代から江戸時代の戸川氏の時代にかけて開けた古い町並みが続き、駅の南側の干拓地は、郊外の住宅地として近年急速な発展を遂げつつある。