水島地区は古くは東の児島と西の連島、亀島、玉島に挟まれた海域で、玉島の栢島、乙島と共に源平水島合戦でも知られている。その後、高梁川から流出する土砂により次第に浅くなると干拓が進み農地化、綿花やイグサ、レンコンなどの栽培が盛んとなる。明治時代になるとここで産出する綿花を使用する紡績工場が倉敷の代官所跡(現在の倉敷アイビースクエア)で操業を始め倉敷繁栄の基礎となると共に水島の干拓地は水島臨海工業地帯として発展を遂げることとなる。