教意山 妙興寺
室町時代の応永10(1403)年、播磨の国主・赤松則興の追善供養の為に日伝上人によって創建。境内の一角である墓地には、戦国時代の岡山城主・宇喜多直家の父・興家及び豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛孝高の曽祖父・高政と祖父・重隆の墓塔がある。
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このイチョウの巨樹は、いずれも雌株で地上3メートルから枝が分岐している。北側の株は、目通り周囲約3.8m、樹高約28m、南側の株は、目通り周囲3.4m、樹高27m、共に推定樹齢300年といわれている。
宇喜多能家は同じ浦上家の重臣である島村豊後守の奇襲を受けて城を枕に自害。子の興家は、当時6歳の八郎を連れて備後の鞆へ落ちのびたが、ほとぼりのさめたころ備前福岡に戻り豪商阿部義定のもとに身を寄せた。
妙興寺境内の墓所に、黒田家のものとされる墓塔がある。古くて刻まれている文字ははっきりしないが、豊臣秀吉の軍師として活躍した、黒田官兵衛孝高の曽祖父高政の頃のものではないかと云われている。
名称 | 教意山 妙興寺 |
所在地 | 瀬戸内市長船町福岡684 |
TEL | 0869-26-2024 |
概要 | この寺は室町時代に播州からこのあたりまで勢力を持っていた播磨の国主 赤松則興の 追善供養の為に今から570余年前応永10(1403)年大教阿闍梨日伝上人によって建立 せられた。 その後歴代の佳持として近隣一帯の武家の名門の子弟が抑えられた。 戦国のころは寺域は二町余十坊一院あり豪壮を誇り備前法華の中心道場として重きを 享保元(1716)年伽藍の大半を消失したために今日のこる諸堂景観は必ずしも昔日の 境内に黒田高政と重隆(官兵衛孝高の曾祖父と祖父)及び宇喜多興家(直家の父)墓碑 |
特色 | 宇喜多興家公(戦国時代の岡山城主・宇喜多直家の父)の墓、
黒田官兵衛孝高の曽祖父・高政と祖父・重隆の墓塔、 長船町指定天然記念物ー妙興寺の大イチョウー平成3年4月1日指定 |
交通 | JR赤穂線長船駅より徒歩約15分、
岡山ブルーライン邑久ICより車約20分 |
駐車場 | 駐車場 無し |
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