宇喜多興家公の墓

宇喜多興家公の墓

宇喜多能家(砥石城主)は、天文3(1534)年、同じ浦上家の重臣である島村豊後守(高取山城主)の奇襲を受けて城を枕に自害した。子の興家は、当時6歳の八郎(後の直家)を連れて備後の鞆へ落ちのびたが、ほとぼりのさめたころ備前福岡に戻り豪商阿部義定のもとに身を寄せた。

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名称  宇喜多興家公の墓
所在地  瀬戸内市長船町福岡684
TEL  0869-26-2024
概要  興家は、やがて義定の娘との間に二児(後の忠家・春家)をもうけたが、不遇のうちに
天文5(1536)年この地で病死した。

法名を露月光珍という。八郎は、阿部定家や尼となっていた叔母(下笠加大楽院)の保護のもとに、少年時代を
この地で過した。

平成16年7月    備前福岡史跡保存会(現地案内板)

交通  JR赤穂線長船駅より徒歩約15分、

岡山ブルーライン邑久ICより車約20分

駐車場  駐車場 無し