03/05/2020 / 最終更新日時 : 03/05/2020 桃太郎 碑(文学碑等) かき養殖の父猪又俊雄先生顕彰碑 かき養殖の父として地元虫明の人達から敬慕された猪又俊雄先生の顕彰碑。先生は大正15年1月、虫明湾のほとりにある裳掛尋常高等小学校の教師として新潟県から赴任、実業補習学校の専任となってからは、冬季の漁業の閑散期対策としてかきやアサリの養殖を提案、当時の最新技術を駆使して実践指導に当たった。
03/05/2020 / 最終更新日時 : 03/05/2020 桃太郎 岡山県の港 かき養殖基地 虫明港 Sponsored Link ここ瀬戸内市邑久町虫明の虫明港は、周辺瀬戸内海でのかき筏養殖の基地として、牡蠣打ちの作業所をはじめ様々の関連産業が集積している。 虫明におけるカキ養殖は、1926年(大正15年)に新潟から当 […]
02/29/2020 / 最終更新日時 : 02/29/2020 桃太郎 史跡 長島愛生園 目白寮跡 ここにはかって明石海人が入居していた目白寮があった。明石海人は1932年(昭和7年)、明石楽生病院の閉鎖に伴って愛生園へ入園、当初は精神失調の状態であったが、それが回復するや短歌に詩に散文に多彩で密度のある創作を始めた。
02/29/2020 / 最終更新日時 : 02/29/2020 桃太郎 史跡 長島愛生園 犠霊碑 この儀霊碑は、入所者の給食に供給された家畜の霊を慰めるために建てられたもので、碑には「皇紀二千六百五年」との記載があることから1945年(昭和20年)の建造と思われる。養豚事業は、1931年(昭和6年)の開園時より始められたが入所者の高齢化で運営が難しくなり、1985年(昭和60年)に閉鎖。
02/28/2020 / 最終更新日時 : 02/29/2020 桃太郎 史跡 長島愛生園 監房跡 1931年(昭和6年)~1953年(昭和28年)、外壁:高さ3メートル、部屋:独房8室(監禁室板間4.5畳6室、謹慎室畳敷き4.5畳2室)監房は開園と同時に建設され、風紀を乱した者、逃走又は逃走しようとした者、秩序を害し又は害そうとした者を中心に収監した。当時、逃走(無断外出)で収監された者が一番多かった。
02/24/2020 / 最終更新日時 : 02/28/2020 桃太郎 史跡 長島愛生園 収容所 この建物ー収容所ーは長島愛生園に隔離された入所者が、体の検診、病歴調査、その他の入所手続きを受ける為に最初の約1週間を過ごす場所で、1930年(昭和5年)9月の建設。当初は収容所と呼ばれていたが昭和27年以降は回春寮と呼ばれた。
02/23/2020 / 最終更新日時 : 02/28/2020 桃太郎 博物館・資料館 長島愛生園歴史館 長島愛生園歴史館には、ハンセン病の歴史や日本初の国立のハンセン病療養所として誕生した長島愛生園での出来事、入所者の営みを分かりやすく展示している。
02/23/2020 / 最終更新日時 : 02/28/2020 桃太郎 史跡 収容桟橋 1931年(昭和6年)から昭和30年代半ばにかけて、長島愛生園に収容される人の多くは、故郷に別れを告げると一般の乗客とは区別された患者専用列車で岡山駅まで運ばれた後、虫明港までは護送車と呼ばれた車で移送、この内白間(うちしらま)から上陸した。
02/23/2020 / 最終更新日時 : 02/29/2020 桃太郎 博物館・資料館 国立療養所長島愛生園 長島愛生園は、岡山県瀬戸内市沖の瀬戸内海に浮かぶ島長島(瀬戸内市虫明)に位置する国立ハンセン病療養所で、1930年に日本初の国立らい療養所として発足したのが始まり。当時、感染症であるハンセン病はその有効な治療法が無かった為、国の施策としてこのような島に設けられた療養所への隔離が行われた。
01/06/2020 / 最終更新日時 : 03/05/2020 桃太郎 グルメ 虫明牡蠣打ち作業所 岡山県内では瀬戸内市邑久町から備前市日生沖にかけての瀬戸内海で養殖のイカダを多く見ることが出来る。養殖された牡蠣は、虫明湾岸にある牡蠣むきの作業所へ行けば、水揚げしたばかりの新鮮な牡蠣を殻の付いたままあるいはむき身の状態で購入することが出来る。
01/13/2018 / 最終更新日時 : 03/02/2018 桃太郎 産直店ー産地直売ー JAせとうち女性部朝市 Sponsored Link 名称 JAせとうち女性部朝市 所在地 瀬戸内市邑久町豊原101-1 TEL 0869-22-1212 JAせとうち総合事務所 販売品目 野菜、加工品 開催日 毎月第1火曜日 営業時 […]
01/13/2018 / 最終更新日時 : 03/02/2018 桃太郎 産直店ー産地直売ー 四季彩市場 果愛菜 産直市場おく Sponsored Link 名称 四季彩(しきさい)市場 果愛菜(かあい~な) 産直市場おく 所在地 〒701-4221瀬戸内市邑久町尾張300-2 TEL 0869-22-0714 販売品目 野菜、米、果物、農 […]
01/11/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 伊木氏墓碑(いぎしぼひ) 岡山藩の首席家老で、虫明に陣屋を置いた伊木氏の3代から13代の墓碑。虫明の家並みを見下ろす千力山(円通山)と、長島に墓碑が建てられている。初代伊木氏は香川長兵衛と言い、天文12(1543)年尾張国(愛知県)清洲に生まれる。初め織田氏に、後に池田氏に仕えた。
01/11/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 野鳥の森 大平山野鳥の森 「岡山いこいの村」のある大平山は、瀬戸内海の眺望が素晴しく、一部が野鳥の森にも指定されている。森を一周する遊歩道が整備されており、日生諸島や瀬戸内市沖の島々を眺めながら散策を楽しむことが出来る。瀬戸内海沿岸特有の比較的低い木々に覆われた明るい山で、春のツツジの時期もお勧め。
01/10/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 グルメ 岡山いこいの村 瀬戸内海を見下ろす高台に建ち、「瀬戸のあけぼの」として、古より語り継がれている所で、朝陽が非常に素晴らしく日本の朝日百選に選定。休憩部屋付きの貸切露天風呂も3つ用意。春には2500本の染井吉野と大島桜が咲き乱れる桜の名所でもある。近くには、大平山野鳥の森がありハイキングにも最適。
01/09/2017 / 最終更新日時 : 03/03/2018 桃太郎 産直店ー産地直売ー JA岡山 産直市場おく 瀬戸内市役所前にあるJA岡山の農産物直売所。農家がその日に採れた新鮮な農産物を持込み生産者の名前を付けて販売。地元農産物を使用した加工食品もある。朝開店と同時に多くの人が訪れている。
01/09/2017 / 最終更新日時 : 03/03/2018 桃太郎 展望の良い所 道の駅「一本松展望園」 岡山ブルーラインでは一番の景観を楽しめる一本松展望園。展望台から眺める瀬戸内海の多島美は天下一品。モダンな展望レストラン、ふるさとの物産直売所、サイクルモノレールとミニSL、バッテリーカーなどが走る「ミニ鉄道公園」など大 […]
01/08/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 公共のプール 道の駅「黒井山グリーンパーク」 岡山ブルーラインの中程にある「黒井山グリーンパーク」は、自然豊かな公園の中に、産直市場(農家から直接持ち込まれた新鮮な野菜・果物・鮮魚・加工特産物などを安く販売)、ギャラリー、ラジコンサーキット、ウオータースライダーのあるちびっこプール、遊具などを揃えた道の駅。
01/06/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 旧明徳小学校 夢二が通ったといわれる小学校。当時は、夢二の生家に近い所に在ったようですが、その後本庄村内にあった二つの小学校が統合され、この場所に移されたようです。昭和44年には明徳小学校も邑久小学校に統合され廃校となり、当時のままの姿で神戸学院大学の宿舎・保養所となっています。
01/06/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2018 桃太郎 ハイキングコース 夢二ふるさと遊歩道 竹久夢二の生家から、通った明徳小学校、ゆかりの寺静円寺や古武弥四郎博士の記念碑のある天王山など、夢二が16歳で後にするまで過ごし、通学で通り、友達たちと遊びまわったであろう夢二の故郷を歩いてみませんか?まだまだ夢二の過ごした頃の風景がほとんどそのまま残っています。
01/06/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 夢二郷土美術館(分館)夢二生家・少年山荘 明治17年に生まれた夢二が16歳までの多感な少年時代を送った生家と、晩年の夢二が制作に取り組んだ東京のアトリエを生家のそばに復元した少年山荘。生前そのままに保存された茅葺きの生家には、素描・版画等が、少年山荘には夢二の写真パネルなどが展示されている。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 地蔵院 地蔵院には江戸時代末期より、ひな納め・雛流し等で知られた和歌山県賀太町の淡島神社の分身が祀られている。それにちなんで昭和62年より3月の最終日曜日に人形供養が盛大に行なわれるようになり、「人形供養の寺」として知られるようになった。人形供養受付ー1月中旬から3月末の日曜まで。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 安楽院 横尾山 静円寺にある三つの塔頭の内の一つで、薬医門を入ると、境内の書院の前には、本堂である大師堂まで続く四国八十八ヶ所お砂踏みがある。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺光明院 水琴窟 静円寺の塔頭の一つ光明院は、ぼけ封じ三十三観音の第16番札所であるが、水琴窟のある寺としても知られている。水琴窟は、手を洗うなどした手水鉢の排水を、甕などの地中の空洞内で水滴として反響させ琴の音のような音を出すようにした仕組。文化文政時代(1804~1830)に造られている。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺光明院 玄関 向唐破風造り本瓦葺。桁行7.99メートル、梁間9.05メートル、屋根二間半。客殿は正徳4(1715)年岡山藩主筆頭家老、伊木五代忠義により再建され、その後、玄関が造られたもので、観音信仰のあつい伊木公が横尾山の参拝の時、この玄関にお籠が横付けされるため二間半の幅に改造されたものである。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺光明院 薬医門 静円寺の塔頭、光明院にある薬医門は、江戸時代後期の文政12(1829)年の建築で、当時、独自の傾向である彫刻大工の建築に対する情熱と優れた彫刻技術を示したものとして貴重であり、瀬戸内市の重要文化財に指定されている。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 光明院 静円寺光明院は、静円寺に三つある塔頭の一つで、ぼけ封じ三十三観音第十六番札所であり、水琴窟の寺としても知られている。江戸後期、文政12(1829)年建築の薬医門と、岡山藩筆頭家老の伊木氏がお籠を横付出来る様に、二間半の幅に改造された玄関は、瀬戸内市指定重要文化財。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 多宝塔 初層頭長押から下は寛永(1624~1644)、それ以外は元禄3(1690)年に再建されたもので、方三間、総高12m、柱は欅(けやき)の総円柱。小型の塔ではあるが、多宝塔としては県下で2番目に古いものである。
01/04/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 本堂 戦国時代の天正7(1579)年の建築と伝えられる建造物で、江戸時代に改修されてはいるが、室町時代の特色が色濃く残っている。建物は、桁行五間(11.86m)、梁間五間(11.77m)、単層、入母屋造、本瓦葺、妻飾は二重虹梁大瓶束式に、蟇股(かえるまた)を付した豪華で優美なもの。
01/04/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 横尾山 静円寺 奈良時代に僧・行基によって創建され、のち報恩大師により備前四十八ヶ寺の一つに加えられたが、まもなく焼失、江戸時代になって現在地へ再建され、盛時には33坊があったと伝えられる。現在は安楽院・光明院・地蔵院の三院となっている。
01/04/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大雄山 大賀島寺 奈良時代に報恩大師が創建した備前四十八ヶ寺の一つと伝えられる古刹。戦国大名・宇喜多家や岡山藩主・池田家の尊崇が厚く、ゆかりの古文書や用具などが伝わっている。安永10(1781)年再建の本堂は、県下でも最大級の規模を持ち、瀬戸内市の重要文化財に指定されている。
01/03/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 高取山城跡 高取山城跡は、備前守護代浦上氏に仕える島村氏の居城で、天文3年には時の城主島村豊後守が、すぐ東の砥石城主であった宇喜多能家を夜討ちによって自害に追い込んでいる。その後、島村豊後守は浦上氏隷下の国人に成長するが、能家の孫宇喜多直家によって謀殺され居城も攻略される。
01/02/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 砥石城跡 瀬戸内市邑久町豊原にある畠山製菓の南西に見える小高い丘が砥石城跡。初代岡山城主になった宇喜多直家の祖父、宇喜多能家が築城した城と言われている。能家は、西隣にある高取山城主島村豊後守の夜討ちによって自害している。
11/15/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 展望の良い所 上寺山 西大寺観音院から吉井川堤防を北上、雄川橋を渡った向いは上寺山と呼ばれる桜の名所。吉井川や備前平野の眺望が素晴しい丘の上に、余慶寺と6つの塔頭そして豊原北島神社がある。何十年も変わっていない風景に出会うとなぜかほっとして、遠い昔を思い起こしてしまうのは私だけでしょうか?
11/15/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 本乗院 上寺山餘慶寺に6つある塔頭の一つ。寺域の北東部にあり、本乗院への参道左側には、法華塔、祇園牛頭天王堂がある。 Sponsored Link 名称 上寺山 餘慶寺 本乗院 所在地 〒701-4232 瀬戸内市邑久町北島 […]
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 吉祥院 上寺山 餘慶寺の塔頭の一つで塔頭群の南東、明王院と道を挟んで東側に位置する。明王院との間の道には、桜の木が植えられておりシーズンには、花見に多くの人々が訪れる。 Sponsored Link 名称 上寺山 餘慶寺 吉祥 […]
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 明王院 上寺山餘慶寺にある6つの塔頭の一つで、寺域の最も南方にある。山門横には、児島高徳公・和田範長一族の供養塔が建てられており、建立の由来と一族の系図が掲げられている。その中には、明王院が恵亮院と共に一族の菩提寺の一つであるとも書かれている。
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 定光院 上寺山餘慶寺の6つの塔頭の一つ。門前の下には、やはり塔頭の恵亮院とその背景には、吉井川とその河畔の町西大寺や備前平野が見えている。この定光院山門前の少し手前から、西大寺市街方面の眺望は本当に素晴らしい。
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 円乗院 餘慶寺の鐘楼から西方に少し下った所にある塔頭。この円乗院山門の手前付近から西方には、右手に定光院、正面下に恵亮院、左側に明王院の山門や白い漆喰塀が続き、背後には西大寺の町や備前平野が広がっている。江戸時代にタイムスリップしたような素晴らしい景色が展開している。
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 恵亮院 上寺山餘慶寺の鐘楼横から西に下った所にある塔頭の一つ。途中両脇に塔頭の白い漆喰塀が並ぶ通りで、背景に河畔の町西大寺を流れる吉井川が見える風景は、江戸時代にタイムスリップしたようで時代劇に最適。付近に居城や居館のあった和田範長一族の菩提寺でもある。
11/13/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 余慶寺 祇園牛頭天王堂 祇園牛頭天王とは東方浄瑠璃世界の薬師如来の垂迹(仏が人々を救うために姿を変えて現れること)である。 行疫神(病気を広める神)の中で最高の霊力を持つ神様で、災厄の根元であるが、鄭重に祀ることで逆に守護神となるといわれている。
11/13/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 児島高徳公・和田範長一族供養塔 上寺山一帯は、その昔、和田範長一族の居城や居館のあった処であり、児島高徳が7歳の頃から一族によって育てられた処でもある。その後も、児島高徳は、ここを拠点として活躍をしている。今も、余慶寺は昔の姿であり、明王院や恵亮院は和田一族の菩提寺として現存している。
11/13/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 豊原北島神社 西大寺観音院から吉井川の東に見える、上寺山と呼ばれる小高い丘の上に鎮座する神社。餘慶寺に隣接しており、神仏習合の形態を今に留めている。神社草創の舒明天皇6(634)年頃は磐座信仰が行われていたとの記録がある。
11/12/2016 / 最終更新日時 : 09/11/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 上寺山 餘慶寺 古くは、日待山日輪寺と称し、備前四十八ヶ寺の一つ。中国地方でも他に類を見ない程多くの塔頭を有していて、山内には、かっては七院十三坊といわれた塔頭は、恵亮院、本乗院、吉祥院、定光院、明王院、圓乗院の六院が現存している。 S […]