岡山城 本丸 中の段の時代による遷移図

 岡山城 本丸 中の段の時代による遷移図

岡山城 本丸 中の段の時代による遷移図

今回の発掘調査で掘り出された、宇喜多秀家築城当時の石垣は、上の図からも分かる通り、北へはここから25mほど真っ直ぐ延び、そこで103度の角度で北東に折れ、中の段北東で、こことは別に露出展示している中の段北東部の石垣に繋がっている。

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また、南方へは石垣としては残っていないが、施設の壁から10mほどの所で鉤(かぎ)折れし、さらに10mほどの所で東に大きく向きを変えたとみられる。江戸時代に入って、中の段では宇喜多秀家が築いた石垣のすべてが覆い隠されるまで拡張工事が行われていたことがわかる。

こうしたことを含め、安土桃山時代から江戸時代に前期の間に中の段が改造されていった過程が、今回の発掘調査でわかった。中の段の北西隅には月見櫓(国指定重要文化財)が建物の実物として残っており、また、史跡としての整備は、この場所にあった表書院(藩の政治の場や藩主公邸)の建物の間取りの表示と、小庭園の泉水の復元を一つの柱としている。これは現在の地表面に明治維新を迎えた時の様子を表示したもの。

一方、発見された埋没石垣は、築城時の実物です。このように、岡山城の歴史整備は、実物と復元物を取り混ぜ、対象時期が二時期にわたる立体的なものとなっています。(現地案内板を参考に作成)

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