天城陣屋跡ーお茶屋跡ー

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天城陣屋跡(御茶屋跡)は、今は天城中学校・高等学校のグランドとなっており、校門の北から道を隔てて反対側の同校グランドに上った所、学校を見下ろす高台の上に石碑が建てられている。学校の向こう側には天城池田家墓地のある丘陵も見える。

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名称  天城陣屋跡ーお茶屋跡ー
所在地  倉敷市藤戸町天城
TEL  ー
概要 天城陣屋は、寛永16(1639)年に、一国一城による下津井城廃城に伴い、当時の下津井城
城主で岡山城の家老であった第2代、池田由成がここ天城の地に構えたもので天城池田家
と呼ばれた。

天城池田家は、当初3万2,000石を領していたが、元禄14(1701)年、当時の第4代領主
池田由勝が、播州赤穂事件の大石良雄の縁戚であったため2,000石を減ぜられて3万石
となった。

以後第11代領主政和まで続き明治維新を迎える。

天城陣屋は、お茶屋と称していたが、これは幕府を意識していたためであり、実際は陣屋
であった。

特記事項  海禅寺ー天城池田家の菩提寺、

静光寺(じょうこうじ)ー山門は天城陣屋の陣屋門を移築したもの。

大石良雄の祖母の墓所がある。

正福寺ー山門は下津井城の城門を移築したもの。

交通  JR山陽本線倉敷駅より車約20分、

瀬戸中央自動車道水島ICより車約10分

駐車場  無し