羽柴秀吉本陣跡ー備中高松城水攻めー

羽柴秀吉本陣跡ー備中高松城水攻めー

羽柴秀吉本陣跡ー備中高松城水攻めー

ここは織田信長の命による羽柴秀吉の毛利攻めの際、備中高松城水攻めをするにあたり秀吉が本陣を構えた場所で、当時の石井山持寶院境内跡である。
天正10(1582)年6月4日、講和の条件として自刃した清水宗治公の首級は、この本陣に於いて、秀吉の首実検の後手厚く葬られ五輪塔が建立されたといわれている。
その後、地元の偉人宗治公を称える人々により公の顕彰へと進展、明治42年に備中高松城本丸跡へ首塚の移築がなされた。(現地案内板を参考)

ここ秀吉本陣跡までの距離は、登山口(寺宝院裏)から約350m、高松城水攻めの際築いた堤防跡がある蛙ヶ鼻から約650m。

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羽柴秀吉本陣跡-2

羽柴秀吉本陣跡-2

秀吉公本陣跡と真言宗持宝院跡の二つの案内板が立てられている。現在持宝院はここ石井山登山口近くにある。境内には天文14年造立とされる地域独特の石仏が。

清水宗治公首塚跡

清水宗治公首塚跡

この石碑には、天正10年6月3日 清水宗治首塚 明治43年2月高松城趾移転と彫られ背後には建立者の名前が刻まれている。近くにある説明板との違いは何故だろうか?

石井山登山道

石井山登山道

備中高松城ー秀吉本陣跡よりー

備中高松城ー秀吉本陣跡よりー

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