有木の別所ー有木山ー

有木の別所

有木の別所

有木の別所は、吉備の国の中心に位置し信仰の対象でもあった吉備の中山のうち、有木神社青蓮寺高麗寺などの寺社と関連施設のあった現在の福田海本部付近を中心に、有木山一帯を総称して呼ばれていたようで、平安時代には京の都にも広く知られていたと思われる。このことは有木山の脇を流れる細谷川や有木山を詠んだ和歌が平安時代の「大嘗会歌集」、「古今和歌集」など多くの歌集に納められていることからも容易に推測できる。

また、僧俊寛らと共に平家打倒を誓った”鹿ヶ谷”の密議が露見、非業の最後を遂げた藤原成親の配流地としても知られている。山の中腹にはその遺跡がある。

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吉備の中山

吉備の中山

上のパノラマ写真は国道180号線方面から吉備の中山を移したもので、ほぼ中央に位置する山が有木山。向かって左側、竜王山の左山麓には備前国一の宮、吉備津彦神社が、また向かって右端、松並木の先の山麓には備中国一の宮、吉備津神社が鎮座している。

中央の有木山と竜王山の間の谷には都にまで知られ、数多くの歌にも詠まれている細谷川が流れている。

有木山

有木山

有木山

有木山は、吉備国の中心にあり古代からあがめられてきた吉備の中山を構成する山の一つで、平安時代には有木神社、高麗寺、青蓮寺などが立ち並び脇には細谷川が流れる有木の別所として都にまで知れ渡り、数多くの和歌にも詠まれている。

細谷川

細谷川

細谷川

真かねふく きびの中山 おひにせる ほそたに川の おとのさやけさ 古今和歌集ー岡山市の西部、旧山陽道の南に座した吉備の中山の中央付近を流れ下る小さな川、備前、備中の境界に位置し、藤原成親の墓や福田海本部、少し西には吉備津神社、東には吉備津彦神社が鎮座している。

高麗寺仁王門跡

高麗寺仁王門跡

高麗寺仁王門跡

福田海から坂道を登って行くとコンクリートの舗装が少し途切れた所があり、左手には、「史跡 高麗寺仁王門跡」と書かれた石柱がある。よく見ると山門の礎石と思われる石が数個並んでいるのが確認できる。

有木山青蓮寺石碑

有木山青蓮寺石碑

有木山青蓮寺跡

吉備津神社から、吉備津彦神社へ行く道路を少し歩くと右の石垣の上に「有木山青蓮寺」と書かれた標柱石が見える。有木山は「平家物語で鹿ヶ谷の謀議にやぶれ、流配の身となり最期を遂げた大納言 藤原成親の流配の地有木の別荘」で知られた所であり、高麗寺や青蓮寺跡でもある。

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有木神社

有木神社

有木神社

有木神社はかって吉備の中山の有木山山麓に祀られていた神社。現在は鼻ぐり塚で知られた福田海の敷地内に小さな祠が残るのみとなっている。しかし、有木神社についてよく調べてみると非常に興味深い事が分かってきた。

牛王山 八徳寺

牛王山 八徳寺

牛王山 八徳寺

牛王山 八徳寺は、中山茶臼山古墳の東側の谷間にあり、中山茶臼山古墳の後円部を拝む位置にある。この場所には、山岳仏教が盛んであった平安時代末期に「高麗寺(こうらいじ)」の金堂があったと考えられている。

藤原成親遺跡

藤原成親遺跡

藤原成親遺跡

大納言藤原成親は、僧俊寛らと共に平家打倒を誓った”鹿ヶ谷”の密議が露見、平清盛により治承元(1177)年下津井に流され、後吉備の中山有木の別所に移されこの地で非業の最後を遂げた。高麗寺の山門跡の礎石や成親の墓などが残っている。

法螺貝の井戸

法螺貝の井戸

法螺貝の井戸

法螺貝の井戸ー福田海から藤原の成親遺跡へ上っていく途中、細谷川の丸木橋の石碑がある所を左にそれて、少し登った所にある霊水の湧き出る井戸。吉備の中山を守る会の説明によると、千年の昔から枯れたことのない井戸とのこと、有木の別所へ流されてきた藤原成親も飲んだのだろうか?

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