円城ふるさと村

円城ふるさと村
円城地区は、岡山県の中央部に位置し、吉備高原の典型的な地形を示す地帯。奈良時代本宮山山頂に開創された正法寺が鎌倉中期の火災により、この地へ天台宗円城寺として再建されたのを期に門前町が形成され発展してきたもの。その歴史を残す魅力ある農村風景からふるさと村に指定された。
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鎌倉中期に本宮山より移転された円城寺の塔頭の一つ。最盛期には、塔頭14坊、末寺6ヶ寺を数えていたが、現在残っている塔頭は地蔵院とこの医王院のみ。裏手には、北向庚申堂、祇園社、根本稲荷などの社が祀られている。
初め本宮山正法寺と称し行基の開山と伝、鎌倉中期現在の地へ移されて円城寺と改めた。今は地蔵院、医王院を残すだけだが、昔は十余の僧坊が立ち並び門前町として非常に栄えた。今も門前町のおもかげを見受けることができる。
名称 | 円城ふるさと村 |
所在地 | 〒709-2412 吉備中央町円城 |
TEL | 0866-54-1301 吉備中央町協働推進課 |
概要 | 円城地区は、岡山県の中央部に広がる吉備高原の典型的な地形を示す標高300m~400mの 地帯である。円城地区の歴史は、奈良時代に本宮山山頂に開創された正法寺が鎌倉中期(1282年ー弘安5年ー) の火災により、現在の地へ天台宗円城寺として、再建されたのを期に門前町が形成され発展 してきたものである。 今は、円城寺から左手に地蔵院、手前に医王院を残すだけであるが、最盛期には、塔頭14坊、 千手観音を安置する円城寺本堂は、1765(明和2)年に建てられたが、1833(天保4)年の そのほかに右手に阿弥陀堂、左手に提波天の社があり、神仏混合の名残をとどめている。 門前町は、円城寺の繁栄と共に江戸時代には、近郷の商業の中心地となり、明治時代には また、門前町の周辺には吉備高原の丘陵を利用した畑作農家が点在しモモ、ハクサイ、タバコ、 海抜394mの岩倉山からは360度のみごとな視界がひらけ地域一帯が淡いピンクの桃の花で また、岩倉山には加茂川町が岡山県の中心の町であることを表わすモニュメント、 |
交通 | JR岡山駅より車約60分、
山陽自動車道岡山ICより車約40分 |
駐車場 | 普通車25台、バス3台 |
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庚申堂とは帝釈天の使者青面金剛を祀るもので、本尊は見ザル、言わザル、聞かザルの3猿神を脇士としている。また、古来より悪事・災難は北方から襲来すると考えられており、この厄除けの神を祀る本尊も北向きに鎮座されている。
円城寺の鎮守提婆天を祀っている。古くから「加茂の提婆は人をとる」と言われており、呪詛の社としてよく知られている。深夜、提婆宮に参り、境内の古木に呪釘を打つと、この提婆宮の狐が相手に取り付いて殺してしまうという言い伝え。
「大願主僧蓮有大工沙弥硯隆延文2年8月上旬建」の銘があり南北朝時代(14世紀中頃)に建てられたことがわかる。銘が刻まれ、年代が明らかな石塔として重要性が高く、また、先年、塔解体の時、地下石室より千体仏像が出たことでも有名。
円城地区の歴史は、奈良時代に本宮山山頂に開創された正法寺が鎌倉中期(1282年ー弘安5年ー)の火災により、現在の地へ天台宗円城寺として、再建されたのを期に門前町が形成され発展してきたものである。
国道429号線沿いにある岡山県下では最初に開設された道の駅。食堂、レストハウス、休憩所、観光案内所、トイレを備え、併設の「交流促進センター農産物直売所」では、地元産の新鮮な野菜や果物、花き、農産物加工品などを販売。
農薬を使用しない芋ー安納芋ー・そばなどの健康野菜を栽培し、栽培・加工・直販などの6次化産業に取り組んでいる。主要商品ー安納芋・そば・キムチ。近くには、道の駅かもがわ円城がある。
- 団地
- 円城地区
- 案内図