羽柴秀長陣跡ー鼓山ー備中高松城水攻めー
羽柴秀吉による備中高松城水攻めの際、秀吉の弟秀長が陣を張った所ー高松城水攻関連史跡・皷山陣所跡・つづみ山城跡(海抜118m)ー
天正10(1582)年4月 織田信長の命により備中へ進攻した秀吉の左翼をかためる弟・羽柴秀長が山陽道からの毛利軍に対して布陣した所である。加茂・日幡の城を見下し庭瀬・松島城攻めの味方の動きも一望におさめていた。
6月3日未明 本能寺の変を毛利方へ伝えんとした明智の臣・藤田伝八郎を捕え、秀吉に太閤へ立身の勝期を作らせた。この使者の墓が「盲塚」として麓へ残っている。 山頂には本丸跡、山腹には三段構の土塁や出丸・馬場の跡が今も当時のまま残っている。
(文責・高松歴史をたずねる会)昭和58年12月吉日 高松城址保興会・ヒラマツ工芸建之(現地案内板)
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山裾の南側は、板倉宿で当時の山陽道が通っており、要衝であった。板倉宿の西、真金十字路で備中松山方面に延びる松山往来と西へ延びる山陽道、そして庭瀬陣屋町に向かう道路に分かれていた。
現在も、国道180号線、JR吉備線、そして山陽自動車道が鼓山をトンネルでくり抜いて通っており交通の要衝であることは変わっていない。山陽道を挟んで南向かいには、吉備の中山があり、山の中腹には吉備津神社が鎮座している。
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