幡多廃寺塔跡

幡多廃寺塔跡礎石

幡多廃寺塔跡礎石

県下最大の塔心礎といわれ、白鳳時代後半(7世紀後半)に創建され、平安時代末(11世紀頃)までに廃寺になったと見られる伽藍後に残っている。古代吉備の豪族、上道氏の氏寺の一つと推測され、最盛期の寺院の様相は奈良の都のそれに遜色ないと推定されている。

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名称  国指定史跡 幡多廃寺塔跡(はたはいじとうあと) 昭和19年11月7日指定
所在地  〒703-8231 岡山市中区赤田
TEL 086-803-1611 岡山市教育委員会文化財課
概要  水田中の高まりの真中に残っている巨石は、古代寺跡の塔の心礎で、県下では最大の
大きさである。

心礎の表面中央部の浅い六角形のくぼみは、塔の芯柱を立てた枘孔(ほぞあな)で、
その中心の深い穴は仏舎利を納めるためのものである。

昭和47・48年度に塔心礎を中心にして一帯の発掘調査が行われ、回廊・築地・塔・講堂・
南大門・中門・北門等の基礎とみられる遺構が検出され、寺域が一町四方より大規模で
あったことが判明した。

しかし、正確な伽藍配置については未確定のままである。

出土瓦からこの寺院跡は白鳳時代末期頃(7世紀末)に創建され、奈良時代(8世紀)に
最盛期があり、平安時代後葉(11世紀頃)に廃絶したことも判明した。

最盛期の寺院の様相は奈良の都のそれに遜色ないと推定されている。

また、寺院跡の下層からは古墳時代、さらに弥生時代の遺構や遺物も検出されており、この
一帯がはやくから遺跡の営まれていた土地であったことが明らかになっている。

平成3年3月 岡山市教育委員会(現地案内板)

交通  JR山陽本線高島駅から徒歩約10分
駐車場  ー

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