09/21/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 縁の末社 社殿ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー 上の最上稲荷 縁の末社 社殿のうち、左が最上位 離別天王ーご威徳は、縁切、悪縁退散。他にも、病気・酒・煙草・賭け事等々のあらゆる悪縁を断って下さる天王。右は、最上位 縁引天王で、ご威徳は、縁継、良縁成就、諸芸上達。仕事・学業・夢等々のあらゆる福縁を結んで下さる天王。
03/26/2020 / 最終更新日時 : 03/26/2020 桃太郎 花の見所ーサクラー 百間川せせらぎ広場 百間川せせらぎ広場は、百間川分琉部、一の荒手脇にある親水公園。旭川から引き入れた水流のせせらぎを利用した水遊び場の周りに芝生広場を造ると共に桜の植樹などを行い、春は花見、夏は桜の木陰で子供たちが水遊びが出来るようになっている。
03/26/2020 / 最終更新日時 : 03/26/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川一の荒手改築 現地説明会 国土交通省岡山河川事務所主催、百間川一の荒手改築工事の現地説明会。2017年12月24日開催。「一の荒手」は、旭川の増水時その流れを百間川放水路に逃し岡山城下を洪水から守るために江戸時代に設けられた治水施設。
03/25/2020 / 最終更新日時 : 03/26/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川一の荒手 亀の甲(巻石) 一の荒手は越流部と、その両端にある亀の甲の形をした「巻石」と呼ばれる曲面で構成される石積み石造構造物から出来ている。「巻石」を角や直線の無い曲面状の石積みとすることにより水の抵抗を少なくして受け流すことができ背割堤端部の崩壊を防ぐには最適の構造となっている。
03/21/2020 / 最終更新日時 : 03/21/2020 桃太郎 花の見所ーサクラー 曹源寺の枝垂れ桜が今満開! Sponsored Link 2020年3月21日現在の岡山藩池田家菩提寺 曹源寺の枝垂れ桜開花状況です。すでに満開! ここ2~3年程の間は、樹勢が衰えて上の方の枝には殆んど花が咲いていませんでした。 施肥などの樹勢回復 […]
03/13/2020 / 最終更新日時 : 03/14/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川の果たした役割 百間川は岡山城下の防災だけでなく、基幹的な排水施設として新田開発にも大きな役割を果たした。この歴史的功績から、平成27年に日本土木学会選奨土木遺産に、令和元年には世界かんがい施設遺産に登録されている。
03/12/2020 / 最終更新日時 : 03/17/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川河口水門 百間川河水門は、岡山城下を旭川の洪水から守ると共に新田開発の灌漑用水としても利用する為に造られた放水路(百間川)河口に設けられた水門。ゲート操作により満潮・高潮時には閉鎖して児島湾からの海水の流入を防ぎ、干潮時・洪水時には開放して百間川の流水を円滑に流下させる役割を果たす。
03/12/2020 / 最終更新日時 : 03/14/2020 桃太郎 史跡 金蔵山古墳第6次調査トレンチ10~12 2019年度の金蔵山古墳第6次発掘調査では前方部の分頂部をその主軸にほぼ沿った4ヶ所のトレンチで調査をしている。最も円墳側のトレンチ10では前方部の鞍部に溝状のくぼみがあり後につくられた城郭の堀切遺構が検出されたと記載されている。
03/10/2020 / 最終更新日時 : 03/14/2020 桃太郎 史跡 金蔵山古墳第6次調査出土埴輪 操山丘陵にある金蔵山古墳の第6次調査(2019年度)で前方部下段平坦面で検出された埴輪列。説明資料によると第2段斜面の葺石は基底石近くの構造は失われているが大半は残存しており、また、葺石と埴輪列との間には円礫堆が認められると記載されている。
03/10/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 歴史的建造物 百間川河口水門建設の歴史ー平成ー 旭川水系はん濫域への資産集中等を考慮、平成4年に百閒川流入計画高流量を2,000㎥/Sに修正。河口水門の流下能力向上を目指して平成13年から水門を増築することになり13年の歳月と130億円余を投じ水門増築事業が平成27年に竣工した。
03/10/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 歴史的建造物 百間川河口水門建設の歴史ー昭和ー 昭和9年室戸台風で岡山市街中心に大洪水発生の為、百間川流入計画高水流量を1,000㎥/Sから1,200㎥/Sに変更。昭和38年から河口水門改修を行い、5年の歳月と14億円余りを投じて、昭和43年に竣工した。
03/10/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 史跡 百間川河口水門建設の歴史ー江戸から明治ー 岡山藩士津田永忠は、操山南に広がる浅瀬で新田開発に併せて旭川放水路、百間川を築造、河口には洪水調節や潮止め対策としての水門を整備、その水門は築造後から現水門が出来る昭和43年まで機能してきた。
03/09/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 史跡 百間川河口水門改修記念碑ー明治時代ー 百間川河口水門の改修記念碑。元禄時代、岡山藩による新田開発時に設けられた水門が老朽化した為、当時、岡山県上道郡の人々の要請により水門の改修工事がなされ、その完成を記念して建立された。明治25年5月完成。
03/09/2020 / 最終更新日時 : 03/11/2020 桃太郎 史跡 百間川河口水門遺構ー江戸時代建設ー この水門遺構は江戸時代に建設され昭和43年まで百間川河口で使用された水門の一部。昭和38年から5年の歳月をかけて水門の改修工事が行われ昭和43年に完成した為その役割を終えここに保存されている。
01/05/2020 / 最終更新日時 : 01/05/2020 桃太郎 神社 岡山県護国神社 岡山県護国神社は、備前藩主 池田章政公が明治2年4月3日に御後園(後楽園)裏の竹田河原に於いて、戊辰の役戦死者34柱の招魂祭を執行せしめられ、次いで同年6月岡山市東山公園内に社殿と碑石を建て奥羽、函館両戦争戦死者55柱を祭祀されたのを起源とする。
01/05/2020 / 最終更新日時 : 01/05/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 盛徳院 臨済宗妙心寺派の禅寺。元禄12(1699)年約300年前の建立。池田恒元公(備前藩主池田光政公弟)播磨(兵庫県)山崎藩主とその一族の菩提の寺で恒元公の法号が盛徳院殿でそれが寺名とされた。境内地一千坪、静寂で幽玄である。
03/28/2018 / 最終更新日時 : 04/01/2018 桃太郎 旅日記 めぐりんー岡山市内循環バスー 岡山駅前を振り出しに、岡山市街を左右に循環(5ルート)する原則運賃100円均一(一部例外有り)の乗り合いバス。近く、中心部だけでなく郊外住宅地とを結ぶ「めぐりん」も運行される予定(岡山駅前⇔新橋線)。
01/25/2018 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 花の見所ーサクラー 岡山旭川さくら道 ソメイヨシノ市街地にある花見の定番スポットで、桜の開花に合わせ夜間ライトアップ等が行われ、毎年多くの人でにぎわう。岡山さくらカーニバルは昨日終ったのですがまだ名残を惜しむ花見客が・・・・。桜もまだ楽しめました。 Spon […]
01/11/2018 / 最終更新日時 : 03/02/2018 桃太郎 産直店ー産地直売ー JA岡山高島支部朝市 Sponsored Link 名称 JA岡山高島支部朝市 所在地 岡山市中区国府市場32-3 TEL 086-275-0801 JA岡山高島支所 販売品目 地場野菜、花、加工品など 開催場所 JA岡山旧高島資材 […]
01/11/2018 / 最終更新日時 : 03/02/2018 桃太郎 産直店ー産地直売ー 農マル園芸岡山店 Sponsored Link 名称 農マル園芸岡山店 所在地 岡山市中区穝 TEL 086-271-0147 販売品目 野菜、米、果物、花、農産加工品等 営業時間 9:00~18:00 定休日 1月1日~1月 […]
01/11/2018 / 最終更新日時 : 03/02/2018 桃太郎 産直店ー産地直売ー JA岡山女性部三蟠支部朝市 Sponsored Link 名称 JA岡山女性部三蟠支部朝市ー三蟠旬菜市ー 所在地 岡山市中区江崎712-1 TEL 086-277-7330 JA岡山操南支所 販売品目 野菜、農産物加工品、漬物、花 開催場所 […]
12/26/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ うどんおよべ 祇園店 Sponsored Link 名称 うどんおよべ 祇園店(閉鎖) 所在地 〒703-8207 岡山市中区祇園66-8 TEL 086-275-1800 営業時間 11:30~14:30 定休日 無し 交通 J […]
12/25/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ Bon Voyageーボンヴォイージー 店内には船に関する様々のインテリアが置いてあり、ちょっとリッチな雰囲気。衣料・雑貨のギャラリーを併設。 Sponsored Link 名称 カレーの店 Bon Voyageーボンヴォイージー 所在地 〒703-8265 […]
12/25/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ アム ボエルーam boelー Sponsored Link 名称 アム ボエルーam boelー 所在地 〒703-8236 岡山市中区国富1-15-6 TEL 086-901-0664 営業時間 火~金ー11:00~15:00、平日のランチ […]
11/18/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 Google Map 操山周辺の寺社地図 操山周辺の神社仏閣をグーグルの地図上から訪問できます。神社仏閣の位置関係が一目で分かるので訪問計画を立てるのに便利です。また訪問ポイントと道路、近くの駐車場、停留所やJR駅との関係もわかりやすく、訪問先でスマートフォンなどのモバイルを使えば現在位置と目的とする場所との位置関係や所要時間も容易に知ることができます。
10/09/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2020 桃太郎 岡山県ゆかりの人 沖新田 沖新田の干拓は、倉田新田ー延宝7(1679)年完成ー、幸島新田ー貞享元(1684)年完成ーに続いて元禄4(1691)年9月に池田綱政が津田永忠に命じて開始され、翌年の7月には完成するといった非常なスピードで進められた。同時に百間川を延長して新田の中央を通し元禄6(1693)年に完成させている。
10/04/2017 / 最終更新日時 : 03/26/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川一の荒手・二の荒手ー永忠堤(えいちゅうつつみ)ー 一の荒手(越流提)は、岡山城下を旭川の洪水から守るため開削した百間川放水路に流入する水量を調節するための洗堰。三つの洗堰(一の荒手・二の荒手・三の荒手)が設けられたが、現在、一の荒手・二の荒手のみが残っており、三の荒手は消失している。
06/30/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 国清寺 釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の禅寺で、慶長14(1609)年池田利隆が建立し、当初は法源寺と号した。その後、池田家の国替などによって寺歴は複雑化しているが、寛永9(1632)年、池田光正が鳥取から移封されると、彼は祖父輝政・父利隆を祀る寺として、国清寺と改称した。
05/13/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 古宮神社 元禄5(1692)年、津田永忠が沖新田の干拓を行った際、干拓した沖新田全体の産土神として沖田神社を元禄7(1694)年5月23日、御野郡の住吉宮に勧請。同じ年の元禄7(1694)年9月3日、ここ沖元の宮地に遷宮。しかし、 […]
05/09/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 岡山市埋蔵文化財センター 岡山市埋蔵文化財センターは、岡山市における埋蔵文化財保護の拠点施設として、市内の埋蔵文化財の調査、出土品の整理保存を行っている。また、その成果を活用するため様々な展示や教育普及活動も行っており、古代から岡山城築城までの遺跡の出土品を展示。
05/08/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 津田永忠像 岡山藩主 池田光政、綱政の2代に仕え、和意谷に池田家墓所の造営、百間川放水路の開削、倉田新田、沖新田などの干拓、倉安川の開削、池田家の菩提寺、曹源寺の建立、後楽園の造営など岡山藩の各種事業を手がけ、完成させる。岡山藩郡代。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 沖田姫神社 沖田神社の本殿の背後に平成8年4月に建立された神社。沖田神社には沖田新田干拓の際、潮止め工事が難航し「きた」という女性が人柱として龍神に捧げられたとの伝説があるが、ここでは「おきた姫」を実在の女性と書かれている。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 道通宮 沖田神社の末社の一つで猿田彦命を祀る。天正10(1582)年6月4日、備中高松城水攻めの際、城主清水宗治の次男、長九郎がかねてより信奉していた道通宮に祈願したところ、一匹の白蛇に守り導かれて西大島の御滝山(現在の笠岡市西大島)に逃れることができたことに始まるとされる。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 旅日記 沖田神社 岡山藩主池田綱政の命により、備前国南部の沖新田全体の産土神として勧請、鎮座。沖新田は、池田綱政の命で、津田永忠の指揮の下、干拓によりできたものであるが、潮止め工事が難航したため、「きた」という女性が人柱となって龍神に身を捧げたという伝説が伝えられている。
05/06/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2018 桃太郎 ハイキングコース 操山公園の遊歩道 操山公園は、操山(標高169m)を最高として、それに連なる山塊をつなぐ古くから利用されてきた道を整備、維持し遊歩道として公園化したもの。この道を歩いていると落葉樹林、常緑樹林、スギ林、ヒノキ林など様々の態様の林を体験することができ、操山の奥深さを知ることができる。
05/06/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 森林公園等 操山山頂 岡山市街地の東部にある標高169mの低山。後楽園の借景になっている山で、市街地の東方に何処からでも眺められ、岡山市民にとっては心の風景の一つになっている。山裾に瓶井(みかい)という泉があったことから古くは瓶井山(みかいさ […]
05/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 操山の古墳 操山には、金蔵山古墳をはじめ、古代この地方で勢力を誇っていた支配者の墓が50余基確認されている。大半は、古墳時代後期(6世紀)に造られた横穴式石室を持つものであるが、旗振台古墳のように前期(4~5世紀)の方墳や、二股古墳と呼ばれる珍しい形式のものもある。
05/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 石鉄山古墳 岡山藩池田家菩提寺曹源寺の三重塔の背後にある丸い山、円山とか高倉山と呼ばれている山の上(標高138m)、円山山頂ふれあい広場の南東にある古墳。詳細は不明であるが、古墳の前には、No.76 古墳後期、操山古墳群54号墳(石鉄山古墳)との銘板が付けられている。
05/03/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 二股古墳 小型の横穴式石室墳7基の小古墳群からなり、古墳群の盟主と思われるこの古墳は、遺骸を安置する玄室が二室に別れていることから二股古墳と呼ばれている。築造時期は6世紀後葉から7世紀初頭と推定、当時の有力家族の構成を反映するものとして注目されている。
05/03/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 萩の塚古墳 操山山頂から東に延びた稜線の先端に築かれている円墳で、現状では小振り墳丘であるが、本来は直径10m、高さ2.5m程の規模であったと想定される。築造時期は6世紀後半と推定でき、操山北山麓に住んでいた当時の有力者の家族墓と考えられる。
05/02/2017 / 最終更新日時 : 01/05/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 操山周辺の神社・仏閣 金蔵山古墳をはじめ多くの古墳が築造されている事からも明らかな通り、古くから開けた操山山麓には、多くの神社・仏閣があり、自然豊かで心安らぐ空間を作り出している。これらの多くは、登山口近くにあるので、その目標としてまた、歴史探訪や散策の場所としても訪問をお勧め。
05/02/2017 / 最終更新日時 : 03/27/2018 桃太郎 ハイキングコース 操山公園ー操山丘陵ー 操山は、岡山市東部に位置する、後楽園の借景ともなっている山で、山中には築造当時としては、県内でも最大の金蔵山古墳をはじめ多くの古墳や史跡が散らばっている。山上には展望の開けた所が数ヶ所あり、岡山市街や岡山平野をはじめ、遠く小豆島、瀬戸内海などを眺めることが出来、散策に最適。
05/02/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 明禅寺城跡 操山山系のハイキングコース中でのビューポイントの一つ。宇喜多直家が亀山城を居城にしていた頃、西の備中国への備えに築いた出城跡。毛利側の三村氏との間で歴史に残る明禅寺合戦の行われた所としても有名。岡山市街の中心部付近から岡山空港方面にかけて北西部の展望が開けている。
04/30/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 旗振台古墳 操山山系のハイキングコースの中で主要ポイントの一つにここ旗振台古墳ー展望所ーがある。案内板によると5世紀前半に築造されたと推定される方墳で、当時の吉備国の一部を治めた豪族のな構成員が葬られたと考えられている。ここからの岡山平野、児島湾方面の眺めは素晴らしく、休憩舎は操山愛好家たちの交流と憩いの場所となっている。
04/30/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 古立石不動明王 沢田の恩徳寺の北西、操山の山裾に沿った道を岡山市街方面に向かって西に進むと、道が細くなる所左側に古い石段がある。大木の根本に立てられた岩の脇に小さい祠が祀られており、付近には、神社であったことを思わせる破壊された石が放置されている。奥には、古立石不動明王と書かれたお堂があり、摩崖仏の不動明王が彫られている。
04/29/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 沢田山恩徳寺 奈良時代の天平勝宝2(750)年の創建で、のち報恩大師によって備前四十八ヶ寺の一つに加えられたという。現在の本堂は山門、大師堂、鐘楼、観禅堂などと共に明治10年に再建されたもので、天井には採色画と2m四方ほどの方位盤が描かれている。中国四十九薬師霊場八番札所、備前八薬師霊場第8番札所。
04/28/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瑞光山仏心寺 岡山平野の眺めが良い操山の中腹にある、阿弥陀如来を本尊とする天台宗の寺院。正徳4(1714)年岡山藩主池田綱政の姉(一条右大臣教輔夫人)の発願による建立と伝えられる。早春の梅、緑の中に静かに咲き誇る桜、青空の下新緑の中に咲くツツジやサツキ、秋の紅葉といつ訪れても静かに四季を楽しむことができる所。
04/27/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 八畳岩古墳 操山山系の稜線に沿った遊歩道上にある古墳。石室を覆っていた墳丘は流出、露出した石質の岩が大きいことが古墳の名称となっている。この岩からは、かっては吉備の穴海と呼ばれる遠浅の海であった岡山平野、児島湾方面の眺望が開けており、操山山系を縦走する人達の良い休憩所となっている。
04/27/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2020 桃太郎 史跡 金蔵山古墳 全長約165m、後円部の高さが18mの大型前方後円墳で、造山古墳、作山古墳、両宮山古墳に次ぐ県下4番目の大きさ。造られた時期は4世紀末~5世紀とされており、この時代では西日本最大の規模を誇る。1953年の発掘調査の結果、この古墳から鉄製品を始めとした多数の副葬品や、多くの各種埴輪が出土している。
04/27/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 ハイキングコース 三勲神社跡 三勲神社跡は、和気清麻呂、楠木正行、児島高徳を祀っていた旧県社跡。操山山系の西端にあり、岡山市街の眺望がすばらしい。操山散策路の一部で、春、ソメイヨシノが散り始める頃から周辺には、「コバノミツバツツジ」の花が咲き誇る。本 […]
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/28/2018 桃太郎 森林公園等 操山公園里山センター 操山の雑木林の丘陵地やその麓で人と自然が調和してきた里山の暮らしに親しみ、学べる施設。施設内には、操山に関わる情報、書物、展示物や、会議室・ふれあいスペース・多目的ホール、屋外には、芝生広場、炭焼広場、里山農園などがある。操山散策用のガイドマップの入手も可能なので、初心者には特にお勧め。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瓶井山禅光寺安住院 操山の西麓に位置する安住院は、奈良時代の天平勝宝年元(749)年に報恩大師が創建した備前四十八ヶ寺の一つとされる禅光寺の本坊。多宝塔は、岡山藩二代藩主、池田綱政が元禄年間(1688~1703)に後楽園の借景として建築に着手し、次の藩主、継政の代の寛延4(1751)年に完成したもの。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安住院本堂 瓶井山禅光寺の総本堂であり、慶長6(1601)年に岡山城主小早川秀秋が再建したもので、素朴な外観の中に、内部は歴史の深さを感じさせる重厚な趣きで桃山時代の建築様相をよく残している。もとは東南の山腹に所在していたが、寛政12(1800)年に現位置に移築された。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安住院仁王門 室町時代中期の康生2(1456)年に建造された、入母屋造り、本瓦葺き、三間一戸の八脚楼門で、建築年代のはっきりしている楼門としては県下最古のものである。総朱塗りにしていることから地元では「瓶井(みかい)の赤門」と呼ばれて親しまれている。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安住院多宝塔 元禄年間(1688~1703)に時の藩主池田綱政が後楽園の借景として建立に着手し、次の藩主池田継政の代の寛延4(1751)年完成したと伝わる塔で、地元では”瓶井(みかい)の塔”とか”みかえりの塔”などと呼ばれ、親しまれている。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 国富山少林寺 赤穂藩第2代藩主池田輝興の菩提寺。輝興が岡山で病没したため、赤穂の長松山盛岩寺をこの地に移し国富山少林寺とし、法隣和尚を開祖として開山。境内には岡山藩筆頭家老・伊木田忠澄公(三猿斎)の墓所と操山を借景とする遠州流の庭園があり、三猿堂が設けられている。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 幡多廃寺塔跡 県下最大の塔心礎といわれ、白鳳時代後半(7世紀後半)に創建され、平安時代末(11世紀頃)までに廃寺になったと見られる伽藍後に残っている。古代吉備の豪族、上道氏の氏寺の一つと推測され、最盛期の寺院の様相は奈良の都のそれに遜色ないと推定されている。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 最明院 最明院は浄土寺の境内にあったと伝えられている。その由来は鎌倉幕府、執権北條時頼が職を退き最明寺に閑居したが、諸国を行脚した時「見明院」と呼ばれていたこの院に立ち寄ったことから最明寺入道時頼公の名に因みこの院を”最明院”と呼ぶようになった。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 史跡関白屋敷跡 平安末期に平清盛により備前に流された関白藤原基房の配所跡。基房は関白藤原忠通の二男として生れ、承安2(1172)年関白となるも、兄基実の遺領相続をめぐって清盛と対立、後白河法皇の後楯を得て反平家政策をとった為、清盛の怒りをかい治承3(1176)年に湯迫に流された。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 湯迫温泉白雲閣 平安時代からの歴史を誇る温泉。輸出が禁止となり、今では珍しくなった台湾産大理石を湯船に使用した100人が一度に入れる台湾大岩風呂、その石組と広さは見事なもの。また、20名のプロによる舞踊ショーも毎日開催されており思い出の […]
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 重源上人遺跡 備前国府大湯屋址 湯迫山浄土寺の一角に現在も使われている温泉の源泉がある。この源泉の周囲には、鎌倉時代初期に東大寺の再建のために備前国に赴いていた俊乗坊重源が、庶民の施療のために設けたといわれる大湯屋の跡があり、この一帯からは、「東大寺」と刻印された瓦が発見されている。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 花の見所ー桜以外ー 延寿の椿ー湯迫山浄土寺ー 天明年間、浄土寺の客殿・庫裡が再建された頃植えられたと伝わる。紅白のめでたい寄植椿で、延寿の椿の由来は鎌倉初期に奈良東大寺再建の大勧進として活躍された俊乗坊重源上人の延寿と椿の長寿とを相結び元岡山市長橋本富三郎翁が延寿の椿と命名された。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 湯迫日吉神社 天台宗の湯迫山浄土寺の境内に西に向かって祀られている旧湯迫村の氏神様。ここに祀られた年代は不明であるが、比叡山延暦寺とその鎮護神として祀られた日吉神社の関係に見られるように、浄土寺の鎮護神として祀られたのが始まりと思われる。明治時代になって神仏分離令により分離。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 湯迫山浄土寺 奈良時代の天平勝宝元(749)年、報恩大師が備前国に創立した四十八ヶ寺の内の一つで、東大寺の再建を命じられた僧 重源が、東大寺の修理料国として与えられた備前国において、国務のかたわら浄土教を広めた寺の一つとして知られている。重源が庶民施療のために設けた大湯屋跡があり、一帯からは「東大寺」の刻印のある瓦が発見されている。
04/22/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 賞田廃寺跡 竜の口山南山麓に建立された、備前地域では最古の寺院跡。白鳳時代に創建され、鎌倉時代前期(13世紀)にかけての存続が判明しているが、最盛期は奈良時代後半で、主要堂塔が整備された壇上積基壇の遺構も出土している。当地を掌握していた上道氏の氏寺の一つと想定されている。
04/21/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 比丘尼妙善題目石 この法華題目石は、大覚大僧正が備中福山合戦の戦死者を供養した場所に、後の応永18(1411)年妙善尼が大僧正の聖跡を弔うために、自筆で主題の文字を書いて建てたと思われるもの。西辛川の妙善寺にあったが寛文7(1667)年に同寺が廃寺になった為、藩主の命によってここ大光院に移されている。
04/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 康永四年法華題目石 大光院にある「南無妙法蓮華経」と題目を刻んだ、康永4(1345)年の銘がある日蓮宗の題目石。銘文は大覚大僧正自筆のものとされ、旧津高郡一宮村(現岡山市)西辛川の妙善寺にまつられていたが、寛文年間(1661~1672)岡山藩の寺社整理にあって、この大光院に移された。
04/20/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大光院の法華題目石 曹源寺の塔頭の一つである大光院には「南無妙法蓮華経」の題目を刻んだ笠塔婆が二基ある。髭題目が刻まれた日蓮宗独特の石塔で、題目石と呼ばれている。共に年銘をもち、康永4(1345)年と応永18(1411)年の製作年代が知られている。
04/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 石高神社 操山の南側、操山山系から突き出した小高い丘の上にある氏神様。岡山県神社庁のホームページによると、備前の式内、式外古社128社の内の1社で、現在位置から北東部、操山山系の一つ高倉山にあった石高神社と西方の嶽岩坪にあった八幡宮を天和3(1683)年に合祀したとか。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2018 桃太郎 主な庭園 曹源寺庭園 岡山藩池田家菩提寺曹源寺の表書院の東側に設けられた池泉回遊式庭園。山裾に設けられた心字池の背景に枯山水の石組を造り、書院と池との間には砂敷を広げて海景を表している。2代藩主池田綱政が絶外和尚を開山に迎え、津田永忠と共に造らせたものと伝えられている。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 曹源寺仏殿ー本堂ー 岡山藩2代藩主池田綱政が、高祖父信輝と父光政の菩提を弔い、自らの冥福を祈るため、家臣の上阪外記に命じて建立させた池田家の菩提寺。元禄11年に竣工。この仏殿は文政7(1824)年の再建で、重層入母屋造、本瓦葺、正面25m、側面19m、高さ20m、木造建築物としては県下で最大規模の建物である。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 岡山藩主池田家墓所ー曹源寺ー 岡山藩主池田家の墓所は、池田光政が津田永忠に命じて、造営した和意谷墓所と、その子綱政が同じく津田永忠に命じて造営した曹源寺(正覚谷墓所)の二ヶ所にある。和意谷墓所は儒教の影響を受けた墓所で、曹源寺墓所は仏教(禅宗)の影響を受けた墓所である。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 11/05/2021 桃太郎 主な庭園 護国山曹源寺 岡山藩第2代藩主・池田綱政が、高祖父の信輝と父・光政の菩提を弔い、また自らの冥福を祈るために、江戸時代中期の元禄11年に創建した西日本屈指の臨済宗の寺院。書院の東に、山を背景にして心字池を配し、山畔の中ほどには枯山水の石組みを造り、書院と池との間に砂敷を広げて海景を表している。
04/17/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 備前国総社宮 かって国司はそれぞれの国で国内のすべての神社を一宮から順に参拝していた。平安時代になって、この参拝を効率化するため各国の国府近くに国内の神を合祀する為に設けられたのが総社。ここは、備前国府の北西に位置し備前国内にあった神社128社の祭神を集めたものと伝わっている。
04/16/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 祇園大樋 この祇園大樋で分水された水が、ここから下流の旭川東部(左岸)の広大な平野をうるおしている。その築造が、元禄年間に津田永忠が、沖新田を開発した時、灌漑用水の確保をはかるためになされたことを知るにつけ、改めて津田永忠の偉大さについて考えさされる。
04/15/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 森林公園等 龍之口グリーンシャワーの森 岡山市の北東部に位置し、山頂からは岡山市街、遠くは児島半島や瀬戸内海まで見渡すことができる。自然の観察、自然探勝の場として風致探勝林に指定され、多くの市民の散策の場として親しまれている。また、北側の峰には、戦国時代の城跡があり、現在は八幡宮が祀られている。
04/15/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 龍之口八幡宮 龍之口八幡宮創建の年代は明確ではないが、奈良時代の天平勝宝年間と伝えられている。江戸時代には岡山藩主池田家の崇敬を得て社領十五石を受けていた。最近は受験の神様として県下全域は勿論、近県の受験者からも崇敬されている。本殿後ろからの眺望が素晴らしい。
04/14/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 岡山国際ホテル 岡山市街の東に横たわる東山の中腹に建つ、岡山国際ホテルからの緑に囲まれた岡山市街の眺め、また、夜景の素晴らしさは格別。近くには、新緑や紅葉の美しい臨済宗の禅寺松琴寺もあり朝の散歩に最適。また、ゴルフの好きな方は、すぐ近くにゴルフの練習場も。
04/14/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 グルメ 青龍山松琴寺 松琴寺は貞和年中無柳一参禅師が創建した禅院で、本尊は観世音菩薩である。戦国の乱世に法脈中絶のときもあったが池田光政の慶安年間に再興して一山のうちに陶後庵、指月庵、単伝庵、庭樹庵などが営まれ、岡山城下にほどちかい閑寂な山上に文人墨客も好んで訪ずれる浄地として栄えた。
07/02/2016 / 最終更新日時 : 03/01/2018 桃太郎 ホテル・旅館 岡山プラザホテル 岡山後楽園に隣接したホテルで、客室からは後楽園が一望でき、美術館、図書館などの文化施設が集まった岡山カルチャーゾーンにも間近。旭川の河川敷や後楽園外苑が近く、朝夕のジョギングや散策に最適。 Sponsored Link […]
06/24/2016 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 美術館 夢二郷土美術館 岡山後楽園から蓬莱橋を渡ってすぐの所にある大正時代の風情を伝えるレンガ造りの建物。夢二生誕100年を記念して昭和54(1984)年に開館、夢二の作品と資料約3,000点を収蔵し、そのうち約100点を常設展示している。