副堤の北端ー備中高松城水攻めー

副堤の北端ー備中高松城水攻めー

副堤の北端ー備中高松城水攻めー

備中高松城水攻め時に足守川堰き止めの為に築いた副堤の北端ー天正10(1582)年5月、羽柴(豊臣)秀吉は、高松城水攻めに際し、この付近からJR吉備線足守駅南まで全長約400mの副堤を築いたと伝えられ、この地はその北端にあたる。(現地案内標識)

足守川の向こうに見える山が加藤清正陣跡のある報恩寺山。

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当時は、足守川の堤防はもっと低いか、ほとんど無い状態だったと推測されるが、それにしても、梅雨ですでに増水し始めていただろうこの大きな足守川を堰き止めるのは大変でだったであろうと想像できる。
石を積んだ舟を幾艘もならべ、舟の底を抜いて沈めるという方法を献策したのが黒田官兵衛とのこと。

副堤北端方向ー報恩寺山山麓より

副堤北端方向ー報恩寺山山麓より

加藤清正陣跡方面ー副堤北端より

加藤清正陣跡方面ー副堤北端より

報恩寺山ー土合橋付近よりー

報恩寺山ー土合橋付近よりー

副堤北端の標柱ー備中高松城水攻めー

副堤北端の標柱ー備中高松城水攻めー

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