尾上八幡宮の土蔵ー元岡山城内石山にあった倉庫を移築再建したものー

岡山城内石山にあった倉庫

岡山城内石山にあった倉庫

この土蔵(尾上八幡宮の倉庫として使用)は、かって岡山城内石山にあった倉庫を移築再建した建物。土蔵の棟に「岡山城内 石山倉庫之内 小倉(しょうそう)ヲ請求シ
村内 字中石 機器倉(ききぐら)トスル。上棟者 深井永五郎」と書かれていることから証明される。

Sponsored Link



明治政府は維新後、幕藩体制の象徴である各地の城の廃棄を進め、岡山城も天守閣や一部の櫓と門は残されるも本丸などは取り壊され、その跡地は中学校や小学校の用地に当てられた。

第二次大戦中、この地に疎開していた作家の永井荷風は「岡山の市民は明治廃藩の後、この地特有の史跡を珍重する心もなく、乱雑に家屋を建設しいささかも市街の美観と品位について考慮するところなかりしを知るに足るべし」とこの情景を厳しく批判している。

八幡宮の境内への移築によって、明治二十年代の取り壊しと、昭和二十年の岡山大空襲の焼失の難から逃れた、この土蔵は貴重な歴史遺産として大切に守り後世に伝え、あの世の永井荷風に叱責されないようにしたいものです。(現地案内板より)

岡山城内石山にあった倉庫-2

岡山城内石山にあった倉庫-2

岡山城内石山にあった倉庫-3

岡山城内石山にあった倉庫-3

Follow me!