児島高徳公・和田範長一族供養塔
上寺山一帯は、その昔、和田範長一族の居城や居館のあった処であり、児島高徳が7歳の頃から一族によって育てられた処でもある。その後も、児島高徳は、ここを拠点として活躍をしている。今も、余慶寺は昔の姿であり、明王院や恵亮院は和田一族の菩提寺として現存している。
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名称 | 上寺山 餘慶寺 児島高徳公・和田範長一族供養塔 |
所在地 | 〒701-4232 瀬戸内市邑久町北島 |
TEL | 0869-22-1982 瀬戸内市観光協会邑久支部 |
概要 | ここ上寺山を中心とする一帯の地はその昔、和田範長一族の居城や居館のあった処。
児島高徳が7歳の頃から一族によって育てられ、立派な武士となり22歳の時、後醍醐天皇が 院庄まで後を慕うて行き、桜木に十字の詞を書き留めて帰った処であり、又25歳の年、 その時、居館を焼き払ったり、兵火のため居城が焼かれたため、其後は廃墟となり、 しかし、余慶寺は昔の姿であり、明王院や恵亮院は和田一族の菩提寺として現存している。 このような史跡でありながら、世人にあまり知られず戦後に山麓に土地開発の波がおし このままにして置くと、いつかは、大切な史跡も跡方もなく消え失せるおそれがある。 そこで、私達は、ここにこの供養塔を建てて、この史跡を保存し、これら南朝の大忠臣を 昭和45年寅年6月20日 和田範長公第637回忌の日 上寺山児島高徳公史跡保存会 |
交通 | JR赤穂線西大寺駅より車約10分、
岡山ブルーライン瀬戸内ICより車約5分、 岡山ブルーライン西大寺ICより車約5分 |
駐車場 | 普通車10台 |