津田永忠墓
宝永4(1707)年、68才で亡くなった岡山藩池田家の重臣、津田永忠の墓。奴久谷の別邸近くのこの地に葬られた。永忠の他に、永忠の妻、永忠の父貞永夫妻、貞永の後妻、永忠の長男、長女の7人の墓が同場所にある。
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名称 | 国指定史跡 津田永忠墓 平成10年4月8日指定 |
所在地 | 和気町吉田 |
TEL | 0869-93-1126 和気町観光協会 |
概要 | 津田永忠略伝
津田永忠は幼名を又六後に八大夫または重二郎と称せしも晩年に父の名を継ぎ佐源太と改む。 父源太貞永は備前池田氏の世臣にて禄五百石を食(は)む。 永忠はその第三子にて寛永17(1640)年岡山に生る。 年14才にして光政公の側児小性となる。 これより宝永元(1704)年閑谷に隠居するまで50年、その間藩政の枢機(すうき)に参 備前藩には歴代名臣多しと雖(いえど)も、永忠に比肩する者も無く、藩政天下に顕なるも 然(しか)も永忠は権勢名望を誇らず、宝永元年65才にして上書し家禄及属土を |
交通 | JR和気駅から車で約10分、
山陽自動車道和気ICより車で約15分 |
駐車場 | 有り |