笹無山ー源平藤戸合戦ー

 

笹無山

笹無山

平家の陣を攻める浅瀬を教えたにもかかわらず、佐々木盛綱に息子を切り捨てられた母親は佐々木と聞けば笹まで憎いとこの山に生えていた笹を抜いてしまった。その後この小山には笹が繁ることはなかったと伝わる。怨念は800年後の今も続いている。

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名称  笹無山ー源平藤戸合戦ー
所在地  倉敷市
TEL  ー
概要  藤戸合戦で渡海先陣の偉効をたてた武将のかげで、名もない老母の嘆きをこの小山は秘め
ている。

船のない源氏は攻めあぐね、対岸の平氏の陣をみつめるのみであった。

佐々木盛綱は浜で思案していると、瀬戸の海を自分の庭のように熟知している浦の男にで
あった。

彼は老いた母と二人で暮らしていた。男は盛綱の求めに応じ、一条の浅瀬があることを教えた。

同行してくれれば褒美をとらすとの盛綱のことばを信じ、海中に入り目印の笹をたてながら
先にたって案内した。

しかし彼は再び帰ってはこなかった。

彼の口から浅瀬を他の武将に語られるのを恐れた盛綱は、無慈悲にも人知れず斬り捨て海中
に沈めたのである。

このことを知った老母は半狂乱となり、佐々木と聞けば笹まで憎いと笹をむしり取り、恩を
仇で返した盛綱の残酷なしうちをのろった。

老母の怨念が宿ったのか後の世まで、この小山には笹が繁ることはなかったという。

藤戸史跡保存会(現地案内板より)

交通   JR山陽本線倉敷駅より車約15分、

瀬戸中央自動車道早島ICより車約10分

駐車場  無し

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