高取山(向こう側)ー高取山城跡ー

高取山(向こう側)

高取山城跡は、備前守護代浦上氏に仕える島村氏の居城で、天文3年には時の城主島村豊後守が、すぐ東の砥石城主であった宇喜多能家を夜討ちによって自害に追い込んでいる。その後、島村豊後守は浦上氏隷下の国人に成長するが、能家の孫宇喜多直家によって謀殺され居城も攻略される。

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名称  高取山城跡
所在地  瀬戸内市邑久町東谷
TEL  0869-22-1982 瀬戸内市観光協会邑久支部
概要  高取山は、千町平野の西寄りに位置し、吉井川下流両岸平野の見通しがきき、砥石山
と同様に豊原荘の一角を拠点にする名主層が山城を構えるのには格好の地である。

城の経歴は、備前守護代浦上氏の重臣の高取氏が居城したとの伝承があるが、築城期が
定かでなく、その後、千町平野南部を拠点に島村氏が居城したと推定され、応仁年間
(1467~69)には備前守護代浦上氏に仕える島村氏の名がみえる。

備前軍記によれば、享禄4(1531)年に浦上村宗の重臣として高取城主
島村弾正左衛門貴則の名もあり、島村氏は代々この城を居城に浦上氏に仕えていたと
考えられる。

貴則の子豊後守は、天文3(1534)年この地域を基盤に国人化していた宇喜多能家を
砥石城に攻め滅ぼし浦上氏隷下の国人に成長する。

しかし、島村豊後守も永禄2(1559)年に宇喜多直家に謀殺され居城も攻略される。

高取山城の城郭構造は、頂部に楕円形の本丸を構え、主峰側と平野に延びる主尾根側に
腰曲輪を備え、両山腹にも腰曲輪や犬走りの段を設けて本丸周辺に輪郭的な構造をとる
一方、主尾根先に大型の二の丸に比定できる曲輪を構え、また頂部から東に分かれた
支尾根に二の丸に比定できる先端に一段の郭を伴う曲輪を構え、尾根筋には連郭的な様相
で郭を配置している。

頂部から三方に延びた尾根には郭の先端に掘り切りを設けて切断している。

水の手に、本城城郭内には井戸や池などの利水施設が確認されていないが、本丸の西と
南中腹に井戸が計三箇所存在している。

参考文献「日本城郭体系」(現地案内板より)

標高 163m 掘り切り三箇所 井戸三箇所(#1、2はガイドロープをたよりに約3分)
その他、夫婦岩まで約10分交通 駐車場

 交通  JR赤穂線邑久駅より車約10分下車徒歩約30分、

岡山ブルーライン瀬戸内ICより車約10分下車徒歩約30分

 駐車場  無し

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