砥石城跡

砥石城跡

瀬戸内市邑久町豊原にある畠山製菓の南西に見える小高い丘が砥石城跡。初代岡山城主になった宇喜多直家の祖父、宇喜多能家が築城した城と言われている。能家は、西隣にある高取山城主島村豊後守の夜討ちによって自害している。

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名称  瀬戸内市指定重要文化財 砥石城跡(といしじょうせき) 昭和61年12月24日指定
所在地  瀬戸内市邑久町豊原
TEL  0869-22-1982 瀬戸内市観光協会邑久支部
築城者  宇喜多能家(よしいえ)ではないか?ー備前守護代・浦上氏家臣ー
築城年  大永年間(1521~1527)頃か?
様式 連郭式山城
天守閣  無し
概要  砥石城は、戦国時代の宇喜多氏ゆかりの山城です。

城の経緯や築城期は定かではありませんが、江戸時代の記録「備前軍記」には、
大永(たいえい)年間(1521~1528)浦上村宗(むらむね)の家臣宇喜多和泉守
能家(いずみのかみよしいえ)が築城したと書かれています。

宇喜多久家(ひさいえ)の子能家は、邑久郡に住み、備前守護代浦上村宗に、のち二男
浦上宗景(むねかげ)につかえました。

天文3年(1534)6月、高取山城主・島村豊後守(しまむらぶんごのかみ)の夜討ちによって
城主能家は自害し落城しました。

主君浦上宗景はこの城を島村氏には与えず、浮田大和守(うきたやまとのかみ)に与えました。

天文16年(1547)乙子(おとご)城主となった能家の孫宇喜多直家(なおいえ)は、主君
宗景の軍勢と合して、備中三村氏に内通した砥石城主浮田大和守を攻め落とし、城主に舎弟の
浮田春家(はるいえ)を任じました。

その後、直家は主君浦上氏を倒し戦国大名として岡山城主になります。

春家は、直家の居城であった亀山城(沼城)の城主となり、部将に砥石城を守らせました。

平成9年3月 砥石城環境整備実行委員会(現地案内板)

交通  JR赤穂線邑久駅より車約5分下車徒歩約20分、

岡山ブルーライン瀬戸内ICより車約2分徒歩約20分

駐車場  無し、

砥石城跡への道案内板は、瀬戸内市内に殆んど見つからない。

カーナビがある場合には、畠山製菓豊原工場を目当てに行くのがよい。

岡山ブルーラインのインターから畠山製菓を通り越して山に突き当たった所に砥石城跡
登り口の案内板がある。

他の上り口としては、瀬戸内市邑久自然教育の森「キャンプ場」の案内板があるのでそれに
沿って、山裾を回り込めば、「宇喜多直家生誕の地」と刻まれた石碑と「砥石城跡登山道」と
書かかれた二本の石柱がある登山道入口にたどり着く。

どちらの登山口にも駐車場らしきものは見当たらない。

少し遠くなるがシーズン外であれば、瀬戸内市邑久自然教育の森「キャンプ場」に置くのも
一法かも。

上寺方面ー砥石城跡よりー

上寺方面

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邑久町中心部から夢二の里方面ー砥石城跡よりー

邑久町中心部から夢二の里方面