鴨方地区

鴨方地区

北に瀬戸内海方面の展望に優れた、遥照山、竹林寺山を控え、中央を山陽自動車道が東西に貫き、鴨方ICでアクセスすることができる。また、町の中心付近で羽を広げたように横たわる鴨山の麓には、備中鴨方藩の中心地、鴨方往来で栄えた街並みの一部が「かもがた町家公園」として復元されている。

Google Mapー浅口市観光案内地図ー

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竹林寺山

竹林寺山

竹林寺山

標高366m。瀬戸内海沿岸地域にあるため、年間を通じて湿度が低く、快晴の日が多く、山頂がなだらかで風速が小さくしかも地上の明かりの影響が少ないなど天体観測に適していることから、国立天文台 岡山天体物理観測所が建設されている。

藤波池・鴨方方面ー遥照山よりー

藤波池・鴨方方面

遥照山

天文台で有名な竹林寺山の東隣に、瀬戸内海の塩飽諸島・笠岡諸島から高梁川の河口方面や水島工業地帯を眼下に見渡すことのできる遥照山がある。遥照山の山頂には、遥照山総合公園、両面薬師、遥照山温泉、キャンプ場、数カ所の展望台などがある。

鴨山城跡石碑

鴨山城跡石碑

鴨山城跡

室町幕府成立と発展に深くかかわってきた細川家の後裔、細川満国が築いたとされている。それ以降この城を拠点に備中分郡守護職としてこの地を治めてきた。しかし、関ヶ原の戦いで元通が毛利秀元の客将として参陣し敗れ長州へ拠を移したため鴨山城も廃城となった。

名称  浅口市ー鴨方地区ー
所在地  〒719-0295 浅口市鴨方町六条院中 3050 浅口市役所
TEL   0865-44-7000
概要  北に控える遥照山には、遥照山総合公園や藤波池キャンプ場が整備され、遥照山総合公園の展望台
からは浅口市から倉敷市方面及び瀬戸内海を一望のもとに眺めることができる。また、遥照山から峰続きで西側にそびえる竹林寺山には、国立岡山天体物理観測所の天文台や天文
博物館があり、太陽観測やプラネタリウムなど宇宙への夢を抱く施設も整備されている。町の中央付近に位置する鴨山には、戦国時代の鴨山城跡が、その麓の鴨方往来沿いには、江戸時代の
鴨方藩陣屋跡、鴨方の街並みを構成していた町家などが江戸時代の名残を留めている。
主な見所  遥照山藤波池畔キャンプ場遥照山総合公園遙照山温泉竹林寺山岡山天文博物館
竹林寺山天文台、ゆるぎ地蔵(有形文化財)、円珠院、両面薬師堂、明王院、かもがた町家公園
鴨神社鴨山城址西山拙斎の居宅・私塾跡鴨方藩陣屋跡長川寺、阿部山キャンプ場
特産品  地酒、いちご、もも、手延べそうめん、最上塗
歴史上の人物  安倍晴明(平安時代の陰陽道の大家で日本における占いのさきがけ的存在)、

西山拙斎(江戸時代の儒学者で松平定信の寛政の改革に影響を及ぼす)、

田中索我(京都で鶴沢探策に師事し、上皇の御所の屏風や杉戸絵を描いたことで知られる)

交通  JR山陽本線鴨方駅より徒歩約30分、または遥照山行または循環バス5分、本町下車すぐ、

山陽自動車道鴨方ICより車で約5分

駐車場  普通車42台

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鴨方藩陣屋跡

鴨方藩陣屋跡

鴨方藩陣屋跡

鴨方藩は、岡山藩の支藩として寛文12年に、池田光政の次子政言が、25,000石の初代藩主として治めた藩で、ここはその政務の場である陣屋があった所。現在は、黒住教の教会が建てられており、当時の面影は、石垣と井戸にわずかに残されているのみ。

鴨神社鳥居

鴨神社鳥居

鴨神社

平安朝の頃、京都より加茂大明神を勧請し氏神として奉斎、明治20年鴨神社と改号。明治40年火災により焼失、幣殿と拝殿は明治45年に再建、本殿は昭和18年に再建竣工し旧に復した。近郷近在の多くの人々の、魂のよりどころとして崇め祈っている。

かもがた町家公園

かもがた町家公園

かもがた町家公園

旧鴨方往来沿いに東西に並ぶ江戸時代の歴史的建築物と伝統植物園を修復、再生し公園として開放したもの。東側の町家は、研修や生涯学習の場、和風喫茶などを設けた交流館として、西側の江戸前期の町家、高戸家は建物博物館として開放し伝承館として使用。

西山拙斎の居宅・私塾跡

西山拙斎の居宅・私塾跡

西山拙斎居宅・私塾跡

儒学者 西山拙斎が京都での遊学を終え39歳の時生誕地に開いた私塾が欽塾で、拙斎の徳を慕って多くの弟子が入門。拙斎は、64歳で没するまで教育に携わった。至楽居の庭内の円い蓮池に架け渡してある華月橋上の拙斎を描いた田中索我の作品が今も残っている。

細川通董公墓碑

細川通董公墓碑

細川通董公墓碑

細川通董公は、第7代鴨山城主で、名君の誉れが高かったが、天正15(1587)年豊臣秀吉の筑紫征伐の際、毛利氏に随伴出陣、その帰途赤間関(下関)で客死した。長川寺境内に墓碑がある。

長川寺

長川寺

長川寺

源三位頼政の末裔西山宗久を開基とし、室町時代の応永19年に永祥寺 英厳章傑禅師により曹洞宗として開山、鴨山城主 細川家の菩提寺となり、禅宗の修行道場として興隆。境内の一角には、戦国時代末期この寺を中興した鴨山城七代の城主・細川通董の墓塔がある。