一の丸ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー

備中高松城水攻めの地

備中高松城水攻めの地

Sponsored Link



備中高松最上稲荷の境内、東部にある一の丸は、備中高松城水攻めの戦いで羽柴秀吉が最初に陣を構えた地。

天正10年(1582年)4月、毛利軍の東の守り「備中七城」を攻めるため備中高松稲荷のある龍王山に本陣を構え砦を築く。ここ一の丸は秀吉が軍議を行った古跡と伝わっている。

軍師の黒田官兵衛は、沼地にある高松城を攻めあぐねている秀吉に「水攻め」を献策すると秀吉は指揮するに都合のよい石井山に本陣を移して3kmにわたる築堤工事を開始、わずか12日で作ったと伝えられている。

備中高松城水攻めの地ーパノラマー

備中高松城水攻めの地ーパノラマー

備中高松城水攻めの地案内図ー最上稲荷 一の丸よりー

備中高松城水攻めの地案内図ー最上稲荷 一の丸よりー

最上稲荷 一の丸

最上稲荷 一の丸

最上稲荷ー 一の丸よりー

最上稲荷ー 一の丸よりー

Sponsored Link



秀吉本陣跡ー最上稲荷 一の丸ー

秀吉本陣跡ー最上稲荷 一の丸ー

豊国天王ー最上稲荷 一の丸ー

豊国天王ー最上稲荷 一の丸ー

石井山方面ー最上稲荷 一の丸よりー

石井山方面ー最上稲荷 一の丸よりー

羽柴秀吉は、備中高松城水攻めにあたって、ここ一の丸から最上稲荷 大鳥居の左に見える丘陵(石井山)上に本陣を移した。

日差山方面ー最上稲荷 一の丸よりー

日差山方面ー最上稲荷 一の丸よりー

正面に見える丘陵が小早川隆景が陣を構えたとされる日差山でこの丘陵上の右寄りに鷹ノ巣城跡がある。備中高松城跡は手前の田んぼの中に見える林の部分。

Sponsored Link



庚申山方面ー最上稲荷 一の丸よりー

庚申山方面ー最上稲荷 一の丸よりー

吉川元春が陣を張った庚申山は田んぼの向こう中央に位置する。右手前の丘陵は宇喜多忠家が陣を築いた八幡山。中央正面の最も高い山は備中福山合戦のあった福山城跡

最上稲荷 一の丸方面ー最上稲荷境内よりー

最上稲荷 一の丸方面ー最上稲荷境内よりー

備中高松城水攻めの舞台 備中高松城跡へ

Follow me!