城下町 勝山

城下町 勝山
勝山は古くから作州西部における政治・経済の要衝として重要な位置にあった。現在に残る城下町の基礎が出来上がったのは、江戸中期の明和元(1764)年三浦明次が三河国西尾から家臣団300人を連れて入り、2万3千石の藩主となってからである。
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- 鳥居ー高田神社ー
- 勝山武家屋敷館
- 安養寺境内
名称 | 城下町 勝山 |
所在地 | 〒717-0013 真庭市勝山 |
TEL | 真庭市産業政策課 0867-42-1033 |
概要 | 攻防を繰り返した中世の「高田」、中世から近世初期にかけての勝山は「高田」 と呼ばれ、政治的にも経済的にも西部作州の重要な位置にあった。 そこへ室町初期の14世紀末、関東から入った三浦貞宗が高田城を築いたが、その その後宇喜田氏、小早川氏そして津山藩森氏の支配を経て幕府領となり、江戸中期 2万3千石城下町繁栄の時代の「勝山」、勝山をとりまく長い乱世の時代も治まり、 旧高田城跡に新しい城を築き「勝山城」と改めた。勝山の名の始まりである。 太鼓山の西麓に三の丸を設け藩主の館、役所、家老屋敷をおき、旭川川岸に沿って 最近まで勝山の人々はその地域を「御城内」(現在の町役場がある一帯)と呼んでいた。 下手の旭川沿いに職人町、商人町(現在の町並み保存地区)を設け、城下町を完成した。 現在、川沿いに伸びる古い町並み、旦地区に残る武家屋敷あるいは寺院の配置等に 参考資料:「勝山ズームアップマップ」 |
主な見所 | 勝山町並み保存地区、勝山城跡ー三の丸遺跡ー、御前酒ー辻本店ー、 安養寺ー三浦家菩提寺ー、妙円寺、玉雲宮、化生寺、殺生石、勝山武家屋敷館、 明徳寺、高田神社、勝山郷土資料館、郷宿、椎の木御殿ー旧藩主居宅三浦邸ー |
交通 | JR姫新線中国勝山駅より徒歩約5分、
米子自動車道久世ICより車約15分、 中国自動車道落合ICより車約20分 |
駐車場 | 勝山城内駐車場、勝山中町駐車場、勝山山本町駐車場 |
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- 三の丸跡ー高田城ー
- 勝山町並み保存地区
- 本殿ー玉雲宮ー
- 勝山町並み保存地区
- 城下町勝山案内図