源平藤戸合戦記念碑

源平藤戸合戦記念碑

源平藤戸合戦が行われた倉敷市藤戸の藤戸寺横、県道22号線沿いに、源平藤戸合戦から八百年になったのを記念した記念碑が建てられており、脇には源平藤戸合戦略記が刻まれている。付近のゆかりの地を訪ね併せてその地の写真を掲載する。

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名称  源平藤戸合戦八百年記念碑
所在地  倉敷市藤戸町藤戸 藤戸寺横県道22号線沿い
TEL  ー
概要  源平藤戸合戦略記、

寿永3年(1184)旧暦12月(東鑑ーあずまかがみ) 源頼朝の命により、平氏討伐
の為西下した範頼の率いる源氏は、日間山一帯に布陣し、海を隔てて約二千米対岸の
藤戸のあたりに陣を構えた平行盛を主将とする平氏と対峙したが源氏には水軍が無
かったので渡海出来ず平氏の舟から扇でさし招く無礼な挑戦に対してもただ切歯扼腕
悔しがるだけであった。

時に源氏の武将、佐々木盛綱かねてより「先陣の功名」を念かけており、苦心の末
一人の浦男より対岸に通ずる浅瀬の在りかを聞き出し、夜半、男を伴って厳寒の海
に入って瀬踏みをし、目印に笹を立てさせたが他言を封じるため、その場で浦男を
殺し海に流した。

翌朝盛綱は、家の子・郎黨を従え乗出し岩の処より海へ馬を乗り入れ、驚く味方将兵
の騒ぎを尻目に、大将範頼の制止にも耳を藉さず、目印の笹をたよりにまっしぐらに
海峡を乗り渡り、先陣庵のあたりに上陸し大音声に先陣の名乗りを上げるや敵陣目指
して突入し、源氏大勝の端を開いた。

盛綱は此の戦功により、頼朝より絶賛の感状と児島を領地として賜った。

海を馬で渡るなど絶対不可能と信じられていた時代に之を敢行した盛綱の壮挙は一世を
驚嘆させ永く後世に名声を伝えられる事となった。(現地案内板より)

戦跡・史跡  藤戸寺

佐々木盛綱は、源平合戦で戦没した両軍の兵士と自分が殺した浦男の霊を慰めるための
供養の大法要をこの藤戸寺で行った。

佐々木盛綱像

藤戸寺の前にある盛綱橋には、佐々木盛綱が馬に乗った像が置かれている。

先陣庵

佐々木盛綱が源氏方の先陣としてこの付近に上陸、戦後盛綱は戦没者や盛綱が殺した
浦男の霊を慰めるための庵を建てたと伝えられている。

浮州岩

京都醍醐寺三宝院の庭にある藤戸岩はここにあった岩であり浮州岩と呼ばれ海中に
浮き沈みしていた。

ここにあった岩が三宝院の庭に据えられまた、江戸時代に干拓を進めるにあたって
その跡に記念碑が建てられるなど源平藤戸合戦の史跡がこれまで如何に大切に残されて
きたかをうかがうことができる。

鞭木跡

乗り出し岩から平家の陣に向かって海の中を馬を進めて行った佐々木盛綱が、少し高
くなったこの場所で馬を留め、持っていた鞭を海底に指した。その鞭が巨木に育ち
地名になったと伝えられている。

誓紙井戸、

藤戸合戦で源氏方の先陣を勤め勝利を収めるきっかけをつくった佐々木盛綱は、児島の
地を拝領した。

その時土地の主だった者達に忠誠を誓わせるため誓紙を書かせたが、この井戸の水が
使われたので名が付いたと言われている。

経ヶ島

藤戸寺から倉敷川の向こうにこんもりとした林が見える。かっては小さな島であった
所で、盛綱が殺した浦男の冥福を祈るため写経を埋めたことからこの名が付いた。

乗り出し岩

佐々木盛綱が海に馬を乗り入れたところ。

御崎神社

佐々木盛綱が出陣前戦勝を祈った神社。もう少し上にあったのを戦後盛綱が現在地に
移したと言われている。

蘇良井戸

背後の高坪山に布陣した源氏軍がこの井戸を利用したと言われている。

笹無山

佐々木盛綱に息子を切り捨てられた母親は佐々木と聞けば笹まで憎いとこの山に
生えていた笹を抜いてしまった。その後はこの小山には笹が繁ることはなかったと
いわれている。

交通  JR山陽本線倉敷駅より車約20分または児島方面行バス20分藤戸下車、

瀬戸中央自動車道水島IC下車車約10分

駐車場  無し(但し、藤戸寺に参拝する場合には、門前に各5台程のものが三ヶ所あり)

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