操山周辺の神社・仏閣
金蔵山古墳を代表として多くの古墳が築造されたことからも分かるように、古くから開けた操山山麓には、多くの神社・仏閣があり、岡山市街地のごく近くでありながら、自然豊かで心安らぐ空間を作り出している。これらの多くは、登山口近くにあるので、登山口の目標としてまた、歴史探訪や散策の場所としても訪問をお勧め。
Google Mapー操山周辺の寺社地図ー
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操山の南側、操山山系から突き出した宮山という小高い丘の上にある氏神様。現在位置から北東部、操山山系の一つ高倉山にあった石高神社と西方の嶽岩坪にあった岩坪八幡宮を天和3(1683)年に合祀した神社。
岡山藩主池田綱政が高祖父の信輝と父光政の菩提を弔い、自らの冥福を祈るため江戸時代中期の元禄11年に創建した西日本屈指の臨済宗(禅宗)の寺院。本堂・方丈の右手に、庭園・池田家墓所への入口がある。
赤穂藩第2代藩主池田輝興の菩提寺。輝興が岡山で病没したため、法隣和尚を開祖として開山。境内には岡山藩筆頭家老・伊木田忠澄公の墓所と操山を借景とする遠州流の庭園があり、三猿堂が設けられている。
名称 | 操山周辺の神社・仏閣 |
所在地 | 岡山市中区 |
TEL | ー |
交通 | JR岡山駅より車で30分以内、
山陽自動車道岡山ICより車で40分以内 |
駐車場 | ー |
かっての瓶井山禅光寺の塔頭の一つ。江戸時代には、安住院を本坊とし、十を超える塔頭があったが、今は安住院の他に現存するのは普門院のみ。境内には赤い前垂れの一群の地蔵尊がひっそりとたたずんでいる。
操山の西麓に位置する安住院は、奈良時代報恩大師が創建した備前四十八ヶ寺の一つとされる禅光寺の本坊。多宝塔は、池田綱政が元禄年間に後楽園の借景として建築に着手、継政の代の寛延4年に完成したもの。
操山の中腹にある、阿弥陀如来を本尊とする天台宗の寺院。正徳4年岡山藩主池田綱政の姉の発願による建立と伝えられる。早春の梅に始まり、桜、ツツジからサツキ、秋の紅葉と四季を静かに楽しむことができる所。
奈良時代の創建で、のち報恩大師によって備前四十八ヶ寺の一つに加えられたという。現在の本堂は山門、大師堂、鐘楼、観禅堂などと共に明治10年に再建、天井には採色画と2m四方ほどの方位盤が描かれている。
沢田の恩徳寺の北西操山の山裾にある。大木の根本に立てられた大岩の脇に小さい祠が祀られており、付近には、神社であったことを思わせる破壊された石が放置されている。奥には不動明王が彫られた摩崖仏がある。
貞和年中無柳一参禅師が創建した禅院で、本尊は観世音菩薩。戦国の乱世に法脈中絶のときもあったが池田光政の慶安年間に再興、岡山城下にほどちかい閑寂な山上に文人墨客も好んで訪ずれる浄地として栄えた。
臨済宗妙心寺派の禅寺。元禄12(1699)年約300年前の建立。池田恒元公(備前藩主池田光政公弟)播磨(兵庫県)山崎藩主とその一族の菩提の寺で恒元公の法号が盛徳院殿でそれが寺名とされた。境内地一千坪、静寂で幽玄である。
備前藩主 池田章政公が明治2年4月3日に御後園(後楽園)裏の竹田河原に於いて、戊辰の役戦死者34柱の招魂祭を執行せしめられ、次いで同年6月岡山市東山公園内に社殿と碑石を建て奥羽、函館両戦争戦死者55柱を祭祀されたのを起源とする。