04/05/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 国指定重要文化財 国指定重要文化財(建造物)ー旧犬養家住宅ー昭和53年1月21日指定 旧犬養家住宅の主屋は18世紀前半の建築で、構造は和小屋。昭和53年(1978年)に国指定重要文化財に指定後、解体修理を行い、正徳年間(1711~1716)四代目に建て替えられた姿に復元されている。
04/05/2021 / 最終更新日時 : 04/05/2021 桃太郎 駐車場 犬養木堂生家・記念館駐車場 犬養木堂生家・記念館の駐車場は、山陽新幹線に沿って走る県道242号線を倉敷方面に走行する道路沿いにある。犬養木堂生家・記念館は、駐車場より歩いて約3分程度で途中には犬養木堂の葬られている墓地もある。
04/04/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 博物館・資料館 犬養木堂記念館 犬養木堂記念館は、「憲政の神様」と呼ばれ、第29代総理大臣となりながら、翌昭和7年(1932年)に五・一五事件で海軍の青年将校らの凶弾に倒れた政治家犬養毅(木堂)の人柄、功績を広く顕彰する為、木堂生家(国指定重要文化財)に隣接して建設、平成5年に開館した。
04/03/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 史跡 犬養毅(犬養木堂)の墓と顕彰碑 五・一五事件で凶弾に倒れた犬養毅(犬養木堂)の墓と顕彰碑が生家近くの先祖代々の墓地の中にある。毅の墓の左隣には政治家(法務大臣)であり小説家でもあった三男の犬養健(たける)の墓も並んで建てられている。
04/02/2021 / 最終更新日時 : 04/02/2021 桃太郎 道の駅 道の駅「山陽道やかげ宿」 令和2年6月29日に重要伝統的建造物群保存地区に指定された「矢掛宿」に令和3年3月28日、道の駅「山陽道やかげ宿」がオープン。岡山市出身の工業デザイナー水戸岡鋭治氏デザインによる黒を基調とした駅舎に白いタイルで装飾された […]
03/31/2021 / 最終更新日時 : 03/31/2021 桃太郎 神社 吉備護国神社 旧都窪郡吉備町(旧吉備郡庭瀬町と旧都窪郡撫川町が合併してできた町)関係の戦没者の霊を祭神として昭和21年に川入八幡宮の境内に創建した神社。鳥居には大国魂神社と書かれた扁額が架けられている。
03/31/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 神社 川入八幡神社 吉備の中山の最南端に鎮座している川入八幡神社は、備中守藤原宗弘が平安時代の貞観2年(860年)に宇佐八幡宮を勧請・創建した神社で、歴代の庭瀬藩主(戸川家・板倉家)が篤く崇敬してきた。
03/28/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 備前吉備津宮(吉備津彦神社)の磐座 備前吉備津宮(吉備津彦神社)の磐座ーこの忠魂碑の台座として使われている大きな石は、かってはこの忠魂碑が立っている広場より一段高い後ろ側の土地にあり、社殿は無く、この巨岩を神のヨリシロ(磐座)として吉備の中山を拝んでいたのではないかと考えられている。
03/28/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 庚申山 帝釈天 浄泉山 正法寺(じょうせんざん しょうぼうじ) 正法寺は、江戸時代元和年間(1615年~1624年)に、吉備の中山、庚申山の麓にあった藤原成親ゆかりの三つの庵室(坊)、正林坊、法住坊、月心坊を、成親の菩提供養と成親が信仰していた帝釈庚申天祭祀のため合体建立、正林坊と法住坊の頭文字を取って正法寺と名付けられたのが始まり。
03/28/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 庚申山 帝釈天 ここに祀られている庚申山 帝釈天は、宝暦年間(1751年~1764年)正法寺8世 観達院日道上人の代に、ここ庚申山の山頂近くに帝釈天堂を建立、それまで正法寺に祀られていた藤原成親信仰の帝釈庚申天を移転したのが始まり。
03/26/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 矢藤治山古墳(やとうじやまこふん) 矢藤治山古墳は、吉備中山の南面する尾根上に築かれた前方後円墳で、前方部が撥形を呈しているのが特徴。終末期の特殊器台と特殊壺が数多く発見されたこと、棺内・外から発見された副葬品、それに撥形の前方部という特徴から弥生時代終末期~古墳時代初頭頃の築造と推定され、全国でも最古型式の前方後円墳であり吉備における最も重要な遺跡の一つと考えられている。
03/24/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 福田海本部 福田海は、聖徳太子、役行者、僧行基の法統に立つ中山通幽(なかやまつうゆう)師が、明治33年に開創、比叡山より頂いた「不滅の燈明」をかかげた陰徳積善をモットーとする宗教団体。
03/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 有木の別所ー有木山ー 有木の別所は、吉備の国の中心に位置し信仰の対象でもあった吉備の中山のうち、有木神社、青蓮寺、高麗寺などの寺社と関連施設のあった現在の福田海本部付近を中心に、有木山一帯を総称して呼ばれていたようで、平安時代には京の都にも広く知られていたと思われる。
03/22/2021 / 最終更新日時 : 03/31/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 有木山ー吉備の中山ー 有木山は、吉備国の中心にあり古代からあがめられてきた吉備の中山を構成する山の一つで、平安時代には有木神社、高麗寺、青蓮寺などが立ち並び脇には細谷川が流れる有木の別所として都にまで知れ渡り、数多くの和歌にも詠まれている。
03/21/2021 / 最終更新日時 : 03/21/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 藤原経衡歌碑ー福田海ー 藤原経衡歌碑ー「祈ること しるし有木の 山なれば 千とせの程も たのもしき哉」筑前守従五位上藤原朝臣経衡鼻ぐり塚で知られた福田海の境内、易塚の入り口右手に建てられた歌碑。この和歌は、大嘗会和歌集に載せられている平安中期の歌人藤原経衡の歌。
03/21/2021 / 最終更新日時 : 03/21/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 平賀元義歌碑ー福田海ー 平賀元義歌碑ー「あたらこの 成親がごと よき臣を 有木の山の うもれ木にして」元義詠 古杏書 鹿ケ谷での平家討伐の謀議が露見、この地高麗寺 有木の別所に配流、あえない最期を遂げた大納言 藤原成親卿について詠んだ江戸末期の歌人平賀元義の歌碑。福田海、鼻ぐり塚近くに置かれている。
03/21/2021 / 最終更新日時 : 03/21/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー お大師堂ー福田海ー お大師堂ー福田海の中、鼻ぐり塚の斜め前に建てられたお堂で、本尊は大師座像、そのかたわらに藤原成親卿の位牌が祀られている。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 英霊堂ー福田海ー 英霊堂ー福田海境内の鼻ぐり塚へ行く途中、養老本堂の奥山側にある。英霊が奉斎され、三千体の観音像が祀られている。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鼻ぐり塚の古墳開口部ー福田海ー 鼻ぐり塚の古墳開口部ー鼻ぐり塚は円墳の上に鼻ぐりを納めたものだが、その円墳の正面開口部には馬頭観音が祀られている。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鼻ぐり塚の鼻ぐりー福田海ー 鼻ぐり塚の鼻ぐりー福田海の鼻ぐり塚に納められた鼻ぐり。鼻ぐりは牛を飼うにあたり牛を動かしたり柱や木に留め置くため、鼻に穴を穿ち鼻輪(鼻ぐり)をはめそれに綱を結んで使われていた。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 護摩堂ー福田海ー 護摩堂ー福田海の境内、藤原成親遺跡に向かう山道の左側、燈明堂の下にある護摩を焚いて祈祷を行う仏堂で本尊は虚空蔵菩薩、脇士は弥勒菩薩と役行者。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 仏舎利塔ー福田海ー 仏舎利塔ーお釈迦様を祀った塔で鼻ぐり塚で知られた福田海の境内を藤原成親遺跡方面へ上る途中の左側、燈明堂の上にある。福田海の案内資料によると前奈良国立博物館長 故石田茂作先生の設計によるとのこと。
03/16/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 円墳ー鼻ぐり塚ー 牛の鼻輪(鼻ぐり)を集めて浄祭し、円墳の上に積み上げたため鼻ぐり塚と呼ばれている。薬師寺慎一著「吉備の中山と古代吉備」(吉備人出版)には、この古墳は近くにある不動岩と密接な関係があるのではないかと書かれている。塚の前には馬頭観音の他牛と豚の像も置かれている。
03/10/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 不動岩ー有木神社ー 不動岩は福田海の敷地内、根本中堂の背後に祀られている自然の巨岩。この場所は吉備の中山の一つ有木山の麓に位置し平安時代には有木神社という神社が祀られていた。この不動岩は有木神社が祀られる以前から磐座として信仰の対象であったと考えられている。
03/10/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 史跡 有木神社ー吉備の中山ー 有木神社はかって吉備の中山の有木山山麓に祀られていた神社。現在は鼻ぐり塚で知られた福田海の敷地内に小さな祠が残るのみとなっている。しかし、有木神社についてよく調べてみると非常に興味深い事が分かってきた。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 有木山青蓮寺石碑 吉備津神社から、吉備津彦神社へ行く道路を少し歩くと右の石垣の上に「有木山青蓮寺」と書かれた標柱石が見える。有木山は「平家物語で鹿ヶ谷の謀議にやぶれ、流配の身となり最期を遂げた大納言 藤原成親の流配の地有木の別荘」で知られた所であり、高麗寺や青蓮寺跡でもある。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/12/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 養老本堂ー福田海ー 福田海の本堂で、青蓮寺の本尊十一面観世音を祀っている。また隣には、勝鬘夫人尊像(慶長8年多田朝臣雪津郎の作)を奉祭。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 燈明堂ー福田海ー 福田海境内にある不滅の常燈明を奉祀するためのお堂。このお堂の上側には釈尊を祀る仏舎利塔が下側には護摩堂が並んでいる。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長床ー福田海ー 吉備津神社から吉備津彦神社に向かう山裾の道を少し歩くと写真のような長床が見えてくる。ここは、平家物語で知られる有木別所の跡地であり、青蓮寺、高麗寺等の寺跡でもある。現在は、福田海(ふくでんかい)本部となっており、牛の鼻ぐりを浄祭して畜類を供養する塚、「鼻ぐり塚」がある。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/11/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 「鎮遠」の錨と理源大師・役行者石造ー福田海ー 福田海(ふくでんかい)根本中堂の真後ろに祀られた「鎮遠」の錨と理源大師(左)・役行者(右)石造。「鎮遠」は日清戦争時の明治28年、日本海軍と戦った中国(当時は清国)の軍艦名。この軍艦を弔い、現在その錨が不動尊として祀られている。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 根本中堂ー福田海(ふくでんかい) ー 根本中堂は、福田海の中枢となる施設で水神を祀る施設。周りには49基の石塔があり、奈良時代に行基僧正が説いた弥勒四十九ヶ院浄土説法にもとづくもの。また、中堂の天井には瑞龍が彫られているが左甚五郎の作と伝わっているとか。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 馬頭観世音菩薩 この馬頭観音は福田海(ふくでんかい)の鼻ぐり塚となっている横穴式古墳の前に本尊として安置されている銅像。馬頭観音は、観音菩薩の変化身の1つとされるが、観音の中では唯一忿怒の形相である。六観音の一つに数えられ、馬が草を食べるように煩悩を食べ尽くし災難を取り除くとされている。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 門前町宮内(もんぜんまちみやうち) 門前町宮内ー宮内とは江戸時代の備中国賀陽郡宮内村のこと。備中国一宮の吉備津神社の門前町が起源。江戸時代になると、宮内は門前町として栄え、山陽道でも屈指の遊興街を形成していた。井原西鶴の著した「好色一代女」にも備中宮内として出てくる。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 神領会所(じんりょうかいしょ) 神領会所ー江戸時代、三代将軍徳川家光から交付された朱印状によって御朱印領となった宮内村を支配するための会所跡。神領役所ともいわれ、江戸時代の絵図によると、長屋門をくぐって広場となり、その南側に屋敷を構えていた。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 藤井高尚旧邸(ふじいたかなおきゅうてい) 藤井高尚は、江戸時代後期の吉備津宮の社司(しゃし)で、著名な国学者であり、本居宣長の高弟でもあった。高尚は自分の屋敷を師宣長の「鈴屋(すずのや)にならって「松の屋」と称した。中国地方をはじめ、京都、四国にも多くの弟子があり、王朝文学を教えている。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 史跡 新宮社跡ー吉備の中山ー 新宮社跡ー吉備武彦命を祀っていた神社で平安時代の歌謡集「梁塵秘抄」に出てくる神社。明治時代の末までこの地に鎮座していたが現在は吉備津神社の摂社である本宮社に合祀されている。
03/03/2021 / 最終更新日時 : 03/03/2021 桃太郎 史跡 岡山県指定史跡 伝賀陽氏館跡 伝賀陽氏館跡ー吉備の中山の西麓の新宮社跡西方にある、幅約30mの堀で囲まれた、東西約70m~75m、南北約60mの館跡。備中国の有力者で吉備津神社の神官を務めた賀陽氏の館跡と伝わり、中世の豪族屋敷の典型的な遺構である。現在は個人の人家があり周囲は畑地となっている。
03/02/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 お休み岩ー吉備の中山ー お休み岩ーこの岩について特に記録や言い伝えは残されていません。他の地域では神さまが休息された「腰掛け石」や「お休み岩」と呼ばれるものの言い伝えが数多く残されている。
03/01/2021 / 最終更新日時 : 03/02/2021 桃太郎 展望の良い所 船越金毘羅宮裏山 宇野港から玉野競輪場方面への道路沿いの丘の中腹に船越金毘羅宮と呼ばれる海上安全などのご利益のあるといわれる神社が祀られている。この神社の背後の丘陵の頂からは玉野市街、瀬戸内海など360度の展望を楽しむことが出来る。 日の […]
03/01/2021 / 最終更新日時 : 03/01/2021 桃太郎 神社 船越金毘羅宮 船越金毘羅宮は、玉野市築港に鎮座する神社で、家内安全、海上交通の安全、交通安全にご利益がある神様を祀っている。背後の丘陵の頂からは玉野市街、瀬戸内海など360度の展望を楽しむことが出来る。
02/28/2021 / 最終更新日時 : 03/01/2021 桃太郎 展望の良い所 高辺山ー玉野競輪場裏山ー 高辺山ー宇野港から東方に「玉野競輪」の看板を掲げた見晴らしが良さそうな丘が見える。地図で見ると山の東側「玉野競輪場」と「日の出公園」の間から海岸方面を迂回し山頂近くを通って玉野競輪場北側へ抜ける散策路があるので登ってみた。
02/24/2021 / 最終更新日時 : 02/24/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 東林山 真如院(とうりんざん しんにょいん) 当真如院は、東林山明仙童寺真如院と称し、明仙童寺という数院を擁する天台宗の寺院の塔頭であった。明仙童寺は、吉備津五摂社の第一にあげられる新宮社の別当寺で、文献などから、室町初期に最も隆盛であったと推定され、吉備津宮の社僧寺の中でも有力な寺院であったと思われる。
02/23/2021 / 最終更新日時 : 03/22/2021 桃太郎 名勝 高麗寺仁王門跡 福田海から坂道を登って行くとコンクリートの舗装が少し途切れた所があり、左手には、「史跡 高麗寺仁王門跡」と書かれた石柱がある。よく見ると山門の礎石と思われる石が数個並んでいるのが確認できる。
02/23/2021 / 最終更新日時 : 02/23/2021 桃太郎 史跡 法螺貝の井戸ー吉備の中山ー 法螺貝の井戸ー福田海から藤原の成親遺跡へ上っていく途中、細谷川の丸木橋の石碑がある所を左にそれて、少し登った所にある霊水の湧き出る井戸。吉備の中山を守る会の説明によると、千年の昔から枯れたことのない井戸とのこと、有木の別所へ流されてきた藤原成親も飲んだのだろうか?
02/22/2021 / 最終更新日時 : 02/22/2021 桃太郎 史跡 備前・備中国境石ー吉備の中山ー 備前・備中国境石ー中山茶臼山古墳の正面歩道の右部に、備前と備中の境界を示す標柱がある。上の写真で境界石の左側向こう側に備中国、右手前側に備前国と刻まれている。
02/22/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 環状石籬ー吉備の中山ー 環状石籬ー自然の石を環状に配列した遺構(ストーンサークル)ではないかと考えられていて、縄文時代の墓ともいわれているが、研究者の間では、環状石籬とすることに懐疑的な意見もあるとか。
02/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 花の見所ーサクラー 平安桜ー吉備の中山ー 平安桜ー山桜の大木(保存樹)ー岡山市が都市緑化向上のため保存している。指定番号第66号 第67号の2本 中山茶臼山古墳より遊歩道を八徳寺遺跡方面へ歩いていく途中にあり。グーグルマップではいつの間にか平安桜と名付けられているのでここでも平安桜としました。
02/22/2021 / 最終更新日時 : 02/22/2021 桃太郎 花の見所ーサクラー 吉備桜ー吉備の中山 吉備桜ー平成15年に吉備の中山を守る会のメンバーが、この大きな山桜を発見し、通称名を「吉備桜」と名付けることにしましたが、本当の和名はヤマザクラ(バラ科)です。発見当初、山桜の周辺は鬱蒼と雑木が茂り、その場所に近づくことも困難な状態にあり、カズラを幾重にも巻き付け日当たりも悪い山桜は放置すれば数年で枯れてしまうという状態にありました。
02/20/2021 / 最終更新日時 : 02/20/2021 桃太郎 史跡 両国橋ー吉備の中山ー 両国橋ー吉備の国はあまりにも強大であった為、吉備の中山のほぼ中央を流れる細谷川で備前国と備中国に分割されてしまった。この細谷川に架かっている橋が両国橋で、橋の脇には、「両国橋」の文字と共に明治の宰相山県有朋の歌が刻まれた石碑が立てられている。
02/20/2021 / 最終更新日時 : 02/20/2021 桃太郎 史跡 細谷川の丸木橋 細谷川の丸木橋ー吉備の中山の備前と備中の境目の川として知られた細谷川をさかのぼっていく途中に、平家物語で語られた平通盛小宰相の悲恋の物語を思い起こさせるかのように細谷川の丸木橋と書かれた石碑がある。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 鏡岩ー吉備の中山ー 鏡岩ー吉備の中山の山頂近くに、表面が鏡のように平らになっている岩が山道に沿って一列に並んでいるところがある。その中で最も南側に一番大きな岩がその表面の形から鏡岩と呼ばれている。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 04/18/2021 桃太郎 磐座・巨石 八畳岩(奥宮磐座)ー吉備の中山ー 八畳岩ー吉備の中山の尾根上に大小100を越える岩が集合して露出している所がある。その中で最大の岩の上面が平らで、畳八畳ほどの広さがあることからこの名がついたものと考えられている。八畳岩は吉備の中山の磐座の中でも代表的なもので、吉備津神社の奥宮として信仰されてきた。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 02/18/2021 桃太郎 史跡 八畳岩古墳ー吉備の中山ー 八畳岩古墳は、古墳時代末期の横穴式石室の古墳で、天井石は落ちている。平成24年5月の清掃中に見つけたもので、この古墳の西に天井部が平らで畳八畳ほどの広さの岩があり、八畳岩と呼ばれていたことから名付けられたものと思われる。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 03/02/2021 桃太郎 史跡 ダイボーの足跡ー吉備の中山ー ダイボーの足跡ーダイボーとは大きな坊さん(大坊)を意味する言葉で、吉備の中山の尾根上にある長さ20m、深さ50㎝程窪地。まるで人の足跡のような形をしていることからこの名が付けられたものと思われる。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 02/18/2021 桃太郎 史跡 藤原成親供養塔ー吉備の中山ー 藤原成親供養塔ー吉備津彦神社から吉備の中山への登山口付近の古墳上にあるこの五輪塔は、鹿ヶ谷事件で平清盛に捕らえられ、有木の別所で処刑された大納言藤原成親(1138年~1177年)の供養塔と伝えられている。
02/17/2021 / 最終更新日時 : 02/18/2021 桃太郎 史跡 藤原成親供養塔下古墳ー吉備の中山ー 藤原成親供養塔下古墳は、吉備津彦神社から吉備の中山に上る登山口付近にある古墳で、6世紀頃の古墳時代後期に造られた横穴式石室と考えられている。その名の通り、古墳の上には、藤原成親供養塔が安置されている。
02/17/2021 / 最終更新日時 : 04/18/2021 桃太郎 磐座・巨石 夫婦岩遺跡ー吉備の中山ー 夫婦岩遺跡ー吉備の中山の北峰(竜王山)の南斜面に、巨岩が二つ仲の良い夫婦のように寄り添って並んでいるのを見ることが出来る。岡山市の遺跡一覧に記載されながら長く所在が分からなかったのを、「吉備の中山を守る会」のメンバーが調査して平成19年に発見。
02/16/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 天柱岩ー吉備の中山ー 吉備の中山の竜王山山頂から福田海方面に降りる参道の斜面にあるこの岩は、昭和9年(1934年)に福田海の中山通幽が「天柱」の文字を刻んだことから「天柱岩」と呼ばれている。
02/16/2021 / 最終更新日時 : 04/18/2021 桃太郎 磐座・巨石 元宮磐座ー吉備の中山ー 元宮磐座と名付けられたこの岩は、吉備の国の中心であったとされ、信仰の対象の山であった「吉備の中山」の北峰、龍王山の山頂近くにある大きな岩。吉備津彦神社では5月の第2日曜日に磐座祭を行い、この岩の前で神事を行っている。
02/15/2021 / 最終更新日時 : 02/15/2021 桃太郎 史跡 経塚ー吉備の中山ー 吉備国の中心とされる所にあり信仰の対象とされてきたという吉備の中山、その最高峰、竜王山山頂、八大龍王の両脇に鎌倉時代に経を筒に納めて埋納したとされる経塚がある。
02/15/2021 / 最終更新日時 : 02/15/2021 桃太郎 史跡 八大龍王ー吉備の中山ー 吉備の中山の最高峰龍王山(標高170m)の山頂に八大龍王の祠がある。龍神は雲をあやつり雨を降らせる力を持つとされ、雨の少ない岡山南部の農耕社会では重要である。この祠は、天明年間(1781年~1788年)の大干ばつの時、岡山の商人常盤屋が奉献したもの。
02/14/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 牛王山 八徳寺 牛王山 八徳寺は、中山茶臼山古墳の東側の谷間にあり、中山茶臼山古墳の後円部を拝む位置にある。この場所には、山岳仏教が盛んであった平安時代末期に「高麗寺(こうらいじ)」の金堂があったと考えられている。
02/14/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 石舟古墳群 石舟古墳群は、石舟古墳のある所から300mほど北側に登ったところにある4基の横穴式石室古墳。7世紀初め頃に造られたと推測されるもので、吉備尾中山を守る会のメンバーが平成16年春の清掃作業時に発見した。
02/13/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 石舟古墳 中山茶臼山古墳の北東部、吉備の中山の中腹にあり、岡山に伝わる桃太郎伝説で、桃太郎ー吉備津彦命ーに退治された鬼(温羅)の墓ともいわれている古墳。古墳時代末期(7世紀初め)の横穴式石室中には播磨国の竜山石を繰り抜いた石棺があり、絶えず清水がたたえられ、この水は潮の干満によってその水量が変わると伝えられている。
02/13/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 穴観音 穴観音は、岡山に伝わる桃太郎伝説の桃太郎の墓とされている、中山茶臼山古墳の円墳部に向かって拝むように置かれた観音様!昔からの言伝えで側面の穴に耳をあてると観音様のお声が聞こえると言う俗信仰があって、昔から縁日には参拝客が多い。
12/07/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 岡山県の港 下津井 下津井地区・下津井漁港ー祇園神社のある祇園鼻の東側に隣接ー 鷲羽山の麓の長浜と呼ばれていた浜には五つの港が連なっており(西から下津井港、下津井漁港、吹上漁港、田之浦漁港、大畠漁港)これらを総称して下津井港と呼ばれていた。下津井漁港はその内西から二番目、下津井港とは、祇園神社の祀られている祇園鼻を挟んで東側に隣接した港で、岡山県の管理下となっている。
12/05/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鷲羽山 大宝寺 奥の院 久須見 大師堂 Sponsored Link 鷲羽山 大宝寺 奥の院 久須見 大師堂縁起 当地より北方約2kmの大畠集落の中に真言宗御室派総本山仁和寺末で、開基大宝年中(701年~704年)と伝えられる鷲羽山大宝寺というお寺があります。 […]
12/03/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 児島八十八ヶ所第30番札所 鷲羽山 大宝寺 鷲羽山 大宝寺は、鷲羽山の東麓の大畠地区にある真言宗の寺で、大宝律令が施行された大宝年間に開基されたことから大宝寺と名付けられたと伝わる。境内から南方には、大畠集落の向こうに瀬戸内海と大畠港を西方には鷲羽山を眺めることが出来る。
12/03/2020 / 最終更新日時 : 12/10/2020 桃太郎 神社 田土浦坐神社(たつちのうらにましますじんじゃ) 田土浦坐神社の創立年代は不詳であるが、延喜式神名帳に田土浦坐社名神小と記され、備前国内の旧社21社中の1つである。久しく明神と称されていたが元文4年(1739年)12月、田土浦坐神社と復称した。
12/01/2020 / 最終更新日時 : 12/10/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 児島八十八ヶ所第31番札所 鷲羽山 弘泉寺 鷲羽山 弘泉寺は、下津井田之浦地区にある真言宗御室派の寺院。本堂と山門は塩飽大工によって建立されたもので、2017年(平成26年)11月に国の有形登録文化財に登録された。
12/01/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鷲羽山 弘泉寺 山門 鷲羽山 弘泉寺 山門は、薬医門で塩飽諸島本島の大工により建立されたもので、1828年(文政11年)吹上の荻野本家より寄進。2017年(平成29年)11月に国の登録有形文化財に登録。
12/01/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鷲羽山 弘泉寺 本堂 鷲羽山 弘泉寺 本堂は、1827年(文政10年)塩飽大工により建立されたもので、2017年(平成29年)11月国の登録有形文化財に登録。
11/30/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 天王山 観音寺 薬師堂 Sponsored Link 天王山 観音寺 薬師堂は、塩飽大工が手掛けた建物とされ優美な彫刻を随所に見ることが出来る。 天王山 観音寺へ
11/30/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 児島八十八ヶ所第32番札所 天王山 観音寺ー下津井 吹上ー 天王山 観音寺は、下津井吹上地区の小高い山麓にある真言宗 御室派(本山は仁和寺)の寺院で、開山は理源大師と伝わっている。境内の海寄りには、塩飽大工が手掛けたとされる薬師堂が、瀬戸内の島々や手入れされた松に調和して鎮座している。
11/25/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 神社 四柱神社(よはしらじんじゃ) Sponsored Link 当神社のご祭神は承平(しょうへい)年間(931~938)に摂津の住吉大社から勧請(かんじょう)したと伝えられる。 イザナギノミコトが黄泉国(よもつくに)から帰られた際、その死穢(しえ)を清め […]
11/20/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 円福寺 児島八十八ヶ所霊場巡り三十四番札所 真言宗御室派の円福寺は、港町下津井にある池田家ゆかりの寺。寺の前を金毘羅街道と呼ばれていた県道岡山ー児島線が当時の道幅のまま通っている。
11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 しょっぴんぐばざーる館ーむかし下津井回船問屋ー 回船問屋 旧荻野家 収蔵庫の奥の建物は、むかし下津井回船問屋の「しょっぴんぐばざーる館」=土産物店として使用され、乾物などの水産物を下津井土産として販売している。
11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 収蔵庫 回船問屋 旧荻野家の収蔵庫は、改修して現在は、民具などの展示スペースとむかし下津井回船問屋のトイレとして使用されている。
11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 いんふぉめーしょん館ーむかし下津井回船問屋ー むかし下津井回船問屋 いんふぉめーしょん館は、旧荻野家の蔵を改修し、「日本遺産ー荒海を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落」に関し、下津井地区を中心に写真やパネルで解説をしている。
11/14/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 駐車場 むかし下津井回船問屋 駐車場 むかし下津井回船問屋(旧荻野家) 駐車場は、むかし下津井回船問屋建物と県道岡山児島線バイパスとの間(上の写真)と徒歩で3分ほど祇園神社方面に歩いた所にある。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 衣装蔵 旧荻野家 衣装蔵は、母屋と中庭を挟んだ向かい側にある。現在は、大きなテーブルと椅子を置き、「蔵サロン」としてグループでの会議などに使用できるよう貸し出している。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 グルメ 下津井 回船問屋 旧荻野家 ニシン蔵 回船問屋 旧荻野家のニシン蔵は、北前船が北海道から運んできたニシン粕を蓄えた蔵で、現在は改装して「蔵ほーる」として内部を二つに仕切り、貸しホール(絵画・写真展などの展示企画・結婚式、結婚披露宴、同窓会、)とレストランとして使用している。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 中庭 回船問屋 旧荻野家の中庭は、母屋と蔵との間に設けられた緑の空間で、座敷、奥座敷と茶の間が接しており、人々が多忙に行きかう通り土間とは違いほっと一息つける空間だったと想像できる。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 荻野家 座敷・奥座敷 荻野家 座敷・奥座敷ー上の写真で向こう側が座敷で手前が奥座敷。座敷は店の間と奥座敷は中の間と接して、どちらも中庭に面している。北前船の積み荷や来客、奉公人が行き交う「通り土間」に面した店の間や中の間と違って中庭に面しているため気分の和む落ち着いた空間となっている。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 台所 回船問屋 旧荻野家の台所には、昔懐かしいかまどと流しが置かれている。多くの使用人が働いていたであろう回船問屋の台所にしてはかまども小さく流しも狭いのは何故だろうか?
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家 茶の間 旧荻野家 茶の間は、台所と中の間の間にある。店の間や中の間は座敷や奥座敷を介して中庭に接しているが、茶の間は直接中庭に接している。それぞれの部屋を使用する人達の使い勝手と中庭の役割を考えての良い配置にしていると思う。
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 下津井 回船問屋 旧荻野家の中の間 Sponsored Link 旧荻野家の中の間は、店の間と茶の間の間、奥座敷の手前、通り土間側にある。 むかし下津井回船問屋へ
11/13/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 博物館・資料館 北前船(千石船)の模型 北前船(千石船)の模型ーこの北前船(千石船)の模型(製作者 川原行啓氏)は江戸時代の北前船を1/13に縮小して制作したもので下津井のむかし下津井回船問屋(旧荻野家)に展示されている。
11/12/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 歴史的建造物 下津井 回船問屋 旧荻野家の店の間 下津井 回船問屋 旧荻野家の店の間で明治時代中・末期の典型的な店の間を再現したもの。
11/12/2020 / 最終更新日時 : 11/18/2020 桃太郎 歴史的建造物 下津井 回船問屋 旧荻野家の店の通り土間 下津井 回船問屋 旧荻野家の店の通り土間ー時代物のテレビや映画でもよく見かける通り、江戸時代から明治時代にかけての商家では、表通りの入り口から裏口にかけて土間で通り抜けられるようになっている。
11/11/2020 / 最終更新日時 : 11/11/2020 桃太郎 岡山県の港 下津井遠望ー鷲羽山よりー 鷲羽山から眺めた下津井港と下津井の町並みです。祇園神社の祀られた小高い丘、浄山を挟んで両脇に広がっている。北前船が盛んに行き来していた江戸時代中期から昭和になって埋め立てが行われるまでの下津井港は県道21号線バイパス付近まで入り込んでいた。
11/11/2020 / 最終更新日時 : 11/11/2020 桃太郎 岡山県の港 下津井港の旧岸壁 国道21号線バイパス(岡山児島線)の歩道沿いに残されているこのコンクリートは、瀬戸大橋架橋が行われる前、下津井港の埋め立てが行われるまでの下津井港岸壁跡。この岸壁跡と山すその間に旧岡山児島線がはしり、その両脇に下津井の町並みがつくられている。
11/10/2020 / 最終更新日時 : 11/11/2020 桃太郎 史跡 まだかな橋跡 江戸時代中期以降になると、下津井港は北前船の寄港地として賑わい、陽も沈み町の行燈に赤い燈火がともると、中波止の橋のたもとから船頭や船乗りたちに「まだ(遊郭にあがらん)かな」と声をかける婆がいた。いつともなく橋は「まだかな橋」と呼ばれるようになった。
11/10/2020 / 最終更新日時 : 11/10/2020 桃太郎 史跡 倉敷市指定史跡 下津井共同井戸群 昭和45年3月20日指定 下津井共同井戸群ー漁港として、また北前船や金毘羅往来で栄えた港町下津井の古い町並みを歩いていると山すそに沿いに古い共同井戸が点在しているのに気付く。これらの共同井戸は、下津井の住民や寄港する船の貴重な飲料水として、また、酒造りなどにも供給されていた。
11/08/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 岡山県の港 下津井 大畠地区・大畠漁港 大畠漁港は、岬状に飛び出した鷲羽山の南東山麓の浜に、古くから漁港として発展してきた港で、現在も漁港として使用されている。大畠港の背後にある鷲羽山東麓の中腹には、大宝律令の制定された大宝年間に開基されたと伝わる大宝寺がある。
11/08/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 岡山県の港 下津井 田之浦地区・田之浦漁港 田之浦漁港は吹上漁港の東に隣接した古い歴史を持つ漁港で、背後には鷲羽山西麓の谷に沿った集落を控えている。田之浦という地名の由来は、田之浦港背後の丘の上にある田土浦坐神社に起因しているとされている。
11/07/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 岡山県の港 下津井 吹上地区・吹上漁港 吹上漁港は下津井港の東、田之浦港との間に隣接する港で、下津井港の一部として古くから開けた港である。江戸時代の中期以降、北前船の寄港が盛んになると隣接する下津井港と共に回船問屋をはじめとする多くの商人が在住、それにあわせて船宿や料理屋も増えて繁盛を極めた。
11/07/2020 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 岡山県の港 下津井 下津井地区・下津井港ー祇園神社のある祇園鼻の西側に隣接ー 鷲羽山の麓の長浜と呼ばれていた浜には五つの港が連なっており(西から下津井港、下津井漁港、吹上漁港、田之浦漁港、大畠漁港)これらを総称して下津井港と呼ばれていた。ここで説明する下津井港はその内最も西、祇園神社の祀られている祇園鼻の西に隣接した港で、いわゆる下津井本港に当たる港である。