03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大滝山福生寺 奈良時代の天平勝宝年間(749~756)に鑑真和上により開基、足利義教によって再興されたと伝えられる古刹。三重塔は15世紀中頃の建立で国指定重要文化財。本堂、仁王門は県指定重要文化財、大師堂は市指定重要文化財。西法院はアジサイ寺として知られており6月中旬から7月中旬まで約7万本が楽しめる。
03/01/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 小川山 常念寺 自性院 常念寺 自性院は、日野富子が亡き夫、室町幕府八代将軍、足利義政の供養をするため、義政の造営した、京都東山にある慈照寺(銀閣)にちなみ建立した寺といわれている。寺の庫裡の脇の建物には、足利幕府8代将軍の供養塔と将軍の正室、日野富子の墓と伝えられる宝篋印塔が建てられている。
02/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 高顕寺 八塔寺は、かって西の「高野山」と呼ばれ、8つの塔頭と64の僧坊がある山岳仏教の拠点であったが、度重なる戦火に見舞われ、江戸時代初期には常照院・宝寿院・明王院の三院のみとなった。この内常照院は八塔寺に、宝寿院は高顕寺と寺号を改めて明王院と合併するなどして現在に至っている。
02/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 八塔寺 かっては「西の高野山」と称され、盛時には72もの僧坊や三重塔が建てられていた山岳仏教の聖地であった。1974年この八塔寺のある加賀美地区全体が岡山県下で初めての「ふるさと村」に指定される。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 地蔵院 地蔵院には江戸時代末期より、ひな納め・雛流し等で知られた和歌山県賀太町の淡島神社の分身が祀られている。それにちなんで昭和62年より3月の最終日曜日に人形供養が盛大に行なわれるようになり、「人形供養の寺」として知られるようになった。人形供養受付ー1月中旬から3月末の日曜まで。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 安楽院 横尾山 静円寺にある三つの塔頭の内の一つで、薬医門を入ると、境内の書院の前には、本堂である大師堂まで続く四国八十八ヶ所お砂踏みがある。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺光明院 水琴窟 静円寺の塔頭の一つ光明院は、ぼけ封じ三十三観音の第16番札所であるが、水琴窟のある寺としても知られている。水琴窟は、手を洗うなどした手水鉢の排水を、甕などの地中の空洞内で水滴として反響させ琴の音のような音を出すようにした仕組。文化文政時代(1804~1830)に造られている。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺光明院 玄関 向唐破風造り本瓦葺。桁行7.99メートル、梁間9.05メートル、屋根二間半。客殿は正徳4(1715)年岡山藩主筆頭家老、伊木五代忠義により再建され、その後、玄関が造られたもので、観音信仰のあつい伊木公が横尾山の参拝の時、この玄関にお籠が横付けされるため二間半の幅に改造されたものである。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺光明院 薬医門 静円寺の塔頭、光明院にある薬医門は、江戸時代後期の文政12(1829)年の建築で、当時、独自の傾向である彫刻大工の建築に対する情熱と優れた彫刻技術を示したものとして貴重であり、瀬戸内市の重要文化財に指定されている。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 光明院 静円寺光明院は、静円寺に三つある塔頭の一つで、ぼけ封じ三十三観音第十六番札所であり、水琴窟の寺としても知られている。江戸後期、文政12(1829)年建築の薬医門と、岡山藩筆頭家老の伊木氏がお籠を横付出来る様に、二間半の幅に改造された玄関は、瀬戸内市指定重要文化財。
01/05/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 多宝塔 初層頭長押から下は寛永(1624~1644)、それ以外は元禄3(1690)年に再建されたもので、方三間、総高12m、柱は欅(けやき)の総円柱。小型の塔ではあるが、多宝塔としては県下で2番目に古いものである。
01/04/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 静円寺 本堂 戦国時代の天正7(1579)年の建築と伝えられる建造物で、江戸時代に改修されてはいるが、室町時代の特色が色濃く残っている。建物は、桁行五間(11.86m)、梁間五間(11.77m)、単層、入母屋造、本瓦葺、妻飾は二重虹梁大瓶束式に、蟇股(かえるまた)を付した豪華で優美なもの。
01/04/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 横尾山 静円寺 奈良時代に僧・行基によって創建され、のち報恩大師により備前四十八ヶ寺の一つに加えられたが、まもなく焼失、江戸時代になって現在地へ再建され、盛時には33坊があったと伝えられる。現在は安楽院・光明院・地蔵院の三院となっている。
01/04/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大雄山 大賀島寺 奈良時代に報恩大師が創建した備前四十八ヶ寺の一つと伝えられる古刹。戦国大名・宇喜多家や岡山藩主・池田家の尊崇が厚く、ゆかりの古文書や用具などが伝わっている。安永10(1781)年再建の本堂は、県下でも最大級の規模を持ち、瀬戸内市の重要文化財に指定されている。
12/27/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 教意山 妙興寺 室町時代の応永10(1403)年、播磨の国主・赤松則興の追善供養の為に日伝上人によって創建。境内の一角である墓地には、戦国時代の岡山城主・宇喜多直家の父・興家及び豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛孝高の曽祖父・高政と祖父・重隆の墓塔がある。
12/26/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 真光寺 仁王門 文禄年中(1592~1596)に十萬屋良喜の寄進で建立したが、その後再建、現在の仁王門は、花蔵院宥敞が一山七坊を率いて発願し、大師講の男女130人が世話人となり、万人講の奉賛によって宝永8年(1711)8月に上棟、10月に完成したという。
12/26/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 真光寺 三重塔 桃山時代の慶長18(1613)年に、牛窓の蓮華頂寺(現瀬戸内市牛窓町)にあったものを移築したもので、高さ18.2mある。様式、手法などから室町時代に建立されたものと推定される。 方三間本瓦葺。
12/25/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 真光寺 本堂 応永年間(1394~1428)再建の三間堂を、戦国時代の永正13(1516)年五間堂に大改修をしている。その後、江戸時代初期に外陣の修理がなされているが、室町時代の特徴をよく伝えている。
12/25/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 御滝山 真光寺 奈良時代に僧・行基によって開基され、のち報恩大師により備前48ヶ寺の一つに加えられた真言宗の古刹。本堂は室町時代の永正年13年(1516)に、応永再建の三間堂を五間堂に改修したもの。三重塔は慶長18年(1613)に牛窓から移築されたもので、ともに国指定重文。
12/23/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 宝城山西方寺慈眼院 高野山金剛峰寺西南院真言宗に属し、本尊は阿弥陀如来、脇侍は観音菩薩・勢至菩薩である。天平勝宝年間(749~757年)唐僧鑑真の創建と伝えられる。古くから長船刀工菩提寺であったといわれ、境内には刀匠横山上野大掾祐定の墓や、横山元之進祐定寄進の梵鐘(長船町指定文化財)がある。
11/24/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 太王山 本久寺 戦国時代、桃山期の天正11(1583)年、宇喜多忠家とその一族によって現在地の北方の大王山山上に建てられ、慶安4(1651)年に現在地へ移築された本堂と、境内にある、五重と九重の二基の石塔が、岡山県の重要文化財に指定されている。本堂は創建当時の桃山建築の特色を残している。
11/22/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 照光山 安養寺 奈良時代の天平勝宝年間(749~757)に、孝謙天皇の勅願で報恩大師によって備前八十八ヶ寺の十二番目の 寺として創建された。鎌倉時代の最盛期には56もの院坊を擁していたと伝えられる。
11/18/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 西大寺観音院 金陵山西大寺観音院は、奈良時代(8世紀中ごろ)の創建と伝えられる古刹で、吉井川沿いに開けた西大寺地区は、観音院の門前町として発達してきた。毎年2月の第3土曜日に「裸祭り」がとりおこなわれ、まわし姿の群集が宝木を奪い合う。
11/15/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 本乗院 上寺山餘慶寺に6つある塔頭の一つ。寺域の北東部にあり、本乗院への参道左側には、法華塔、祇園牛頭天王堂がある。 Sponsored Link 名称 上寺山 餘慶寺 本乗院 所在地 〒701-4232 瀬戸内市邑久町北島 […]
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 吉祥院 上寺山 餘慶寺の塔頭の一つで塔頭群の南東、明王院と道を挟んで東側に位置する。明王院との間の道には、桜の木が植えられておりシーズンには、花見に多くの人々が訪れる。 Sponsored Link 名称 上寺山 餘慶寺 吉祥 […]
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 明王院 上寺山餘慶寺にある6つの塔頭の一つで、寺域の最も南方にある。山門横には、児島高徳公・和田範長一族の供養塔が建てられており、建立の由来と一族の系図が掲げられている。その中には、明王院が恵亮院と共に一族の菩提寺の一つであるとも書かれている。
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 定光院 上寺山餘慶寺の6つの塔頭の一つ。門前の下には、やはり塔頭の恵亮院とその背景には、吉井川とその河畔の町西大寺や備前平野が見えている。この定光院山門前の少し手前から、西大寺市街方面の眺望は本当に素晴らしい。
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 円乗院 餘慶寺の鐘楼から西方に少し下った所にある塔頭。この円乗院山門の手前付近から西方には、右手に定光院、正面下に恵亮院、左側に明王院の山門や白い漆喰塀が続き、背後には西大寺の町や備前平野が広がっている。江戸時代にタイムスリップしたような素晴らしい景色が展開している。
11/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 餘慶寺 恵亮院 上寺山餘慶寺の鐘楼横から西に下った所にある塔頭の一つ。途中両脇に塔頭の白い漆喰塀が並ぶ通りで、背景に河畔の町西大寺を流れる吉井川が見える風景は、江戸時代にタイムスリップしたようで時代劇に最適。付近に居城や居館のあった和田範長一族の菩提寺でもある。
11/13/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 余慶寺 祇園牛頭天王堂 祇園牛頭天王とは東方浄瑠璃世界の薬師如来の垂迹(仏が人々を救うために姿を変えて現れること)である。 行疫神(病気を広める神)の中で最高の霊力を持つ神様で、災厄の根元であるが、鄭重に祀ることで逆に守護神となるといわれている。
11/12/2016 / 最終更新日時 : 09/11/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 上寺山 餘慶寺 古くは、日待山日輪寺と称し、備前四十八ヶ寺の一つ。中国地方でも他に類を見ない程多くの塔頭を有していて、山内には、かっては七院十三坊といわれた塔頭は、恵亮院、本乗院、吉祥院、定光院、明王院、圓乗院の六院が現存している。 S […]
10/23/2016 / 最終更新日時 : 10/17/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 本蓮寺 牛窓港の背後の瀬戸内海を一望できる高台にあり、本堂をはじめとして、番神堂、三重塔など国、県指定重要文化財が数多くある。江戸時代には、朝鮮通信使がこの地に立ち寄る際の宿泊所に当てられていた。
10/15/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙福寺観音院 前島行フェリー乗り場から海沿いに10分ほど歩いた所、神功皇后ゆかりの五香宮の奥にある高野山真言宗の寺で、地元では東寺と呼ばれている。瀬戸内三十三観音霊場第6番札所で、現在の本堂は延享3(1746)年に再建とされている。
10/10/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 福厳寺ー北木島ー 北木島の大浦港から大浦の集落の路地を通って行った秋葉山の山裾にある真言宗の寺院。秋葉山へ登る登山道の脇に白い漆喰塀が見える。明治15(1882)年神島外浦の日光寺の隠居寺の法蔵坊を移転したのが始まり。
10/06/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 開龍寺 弘法大師が唐から帰国する際、白石島に立ち寄り、巨岩の下で37日間の修行を行い、島を去る際にここを霊地と定め尊像を刻んで安置したのが始まり。その後、源平水島合戦の死者の霊を弔う為に一寺を建立するなど幾多の歴史を経て今日に至る。
10/03/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長尾山 神護寺 神護寺の本堂は笠岡市内最古の建造物で、桁行三間、梁間三間、向拝一間付き、屋根は寄棟造本瓦葺。棟木墨書から永禄11(1568)年に、大工藤原乗久によって建築されたことが分かる。境内には笠岡市の文化財に指定された庭園がある。
09/28/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 法泉寺 関八州(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野)の太守・北条早雲が生誕したとされる高越城主伊勢氏の菩提寺法泉寺。伊豆・修善寺の寺宝だった”摺り袈裟”の版木を早雲が特に請うて寄贈された寺として知られる。
09/28/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 嫁いらず観音院 嫁いらず観音院で祈祷を受けた衣服や肌着など布を身体に着けていると、無病息災で幸福に過ごすことができ、年老いて嫁の世話にならないで済むという御利益があるとされる。裏の樋の尻山一帯にはミニ三十三ヶ所霊場が設けられていて、手軽に霊場巡りができる。
09/04/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 玉叟山定林寺 玉叟山定林寺は、8代水谷勝隆公の時、寛永16(1639)年、備中成羽へ移封となり、次いで寛永19(1642)年備中松山城主となった。これを機会に翌寛永20(1643)年、下館にあった定林寺をこの地高梁に移した。
09/04/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 宝栄山道源寺 備中松山城下東山裾の寺町にある日蓮宗の寺院。境内には、鳥羽伏見の戦いで幕府側に付いた藩主板倉勝静の親衛隊長として活躍するも、慶応4(1868)年玉島の柚木家で自刃し、幕末の戦火から玉島を救った松山藩家老の熊田恰(あたか)の墓がある。
09/04/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 光明山寿覚院 曹洞宗の瑞慶山龍徳院が成羽からこの地に移転したのと同様、浄土宗の光明山寿覚院も、山崎家家治公の天草移封に従わなかった一部家臣達が寺とともにこの地に移り建立したもの。歴代藩主の尊崇あつく水谷、安藤、石川、板倉と歴代家臣の墓が多くある。
09/04/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 素南山巨福寺 備中松山城の城下町の東側の山裾に寺町が形成されているが、その中の一角を占めるのがこの巨福寺。江戸時代初期作庭の枯山水の庭、松山藩主の家老宅にあった門を移築した山門、樹齢400年といわれる名松鳳凰の松などがある。
09/04/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瑞慶山龍徳院 成羽城主山崎氏の菩提寺として成羽に作られたが、山崎氏が天草に移封する時に、従わなかった家臣たちが移築した。寺の名は、山崎家治公の祖父堅家の法名龍徳院を執っている。
09/04/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 松連寺 本堂の右側にある観音堂の格天井は、文禄の役時に総大将宇喜多秀家の御座船に使用されていたもので、船戸2枚とともに岡山県指定重要文化財に指定させている。境内には清水比庵(ひあん)の歌碑がある。
09/03/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瑠璃山 薬師院 南面して建つ桃山時代の建築手法を良く残した本堂(薬師堂)が良く知られている。山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズのロケ地となった。正面にある石段を歩くと寅さんや住職の娘朋子(竹下景子)に会えそうな錯覚に陥る。
09/02/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 頼久寺 江戸時代初期に、若き日の小堀遠州が作った庭(国指定名勝)で広く知られている禅寺。小堀遠州は、慶長9(1604)年小堀新助正次の後を継いで備中の代官となり、この頼久寺を仮の館として政務にあたった。
08/30/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 温泉寺薬師堂ー湯原温泉ー 湯原温泉街のからんころん通りの中程、湯原温泉「湯本温泉館」の前にある薬師堂。本尊は小指ほどの大きさの薬師如来。明治時代に洪水で本堂が流された時には、80kmも川下の御津金川の砂の中から釣り人に拾われたとか。
08/25/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長福寺三重塔 寺は奈良時代の天平宝字元年(757年)の開基で、三重塔は、鎌倉時代の弘安8(1285)年の建築。岡山県下の木造建築物では最古のものである。均整のとれた美しい塔で、全国的にも優秀な塔の一つに数えられている。
08/24/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 菩提寺 浄土宗の開祖 法然上人が幼い時、この寺に住持していた叔父 観覚上人より仏教を初めて学んだ寺として知られる。この時挿した杖が根付いたと言われる樹齢900年の大イチョウがあり、国指定天然記念物になっている。
08/13/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 塩垂山長興寺 平安時代初期の貞観2(860)年、第3代天台座主慈覚大師円仁が、西国巡礼の途次、白鷺が湯につかり足の傷を治しているのを見て湯郷温泉を開いたと伝わる、円仁はこの地に薬師如来像を安置し小堂を設けた。
08/11/2016 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長法寺 平安時代の嘉祥元年(848)に創建され、盛時には末寺二十ヶ寺を擁していたと伝えられる。江戸後期の弘化2(1845)年に現在地へ移転、再興された。境内に数千株のあじさいが植えられているところから、別名”あじさい寺”とも呼ばれる。
07/20/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 玉泉寺 鉄山(かねやま)と呼ばれる名の通り、古くからたたら製鉄の盛んであったこの地に、平安時代末に創建された寺院。近年では「ガン封じ」、病気平癒、厄除けの寺として多くの信者が参拝。「花の寺」としても知られている。
07/19/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 宇南寺 新庄川沿いの出雲街道の美甘宿を少し過ぎた南にある真言宗の寺。隠岐の島に配流された後醍醐天皇が泊所とされたという伝説を持つ。本堂は、装飾もなく極めて簡素な構造ながら、重厚で鎌倉時代の建築様式を残す数少ない中世建築のひとつ。
07/16/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 寂光山 明徳寺 永源寺の開祖円応正国禅師の誕生記念寺である明徳寺は、勝山町並み保存地区の東、かって武家屋敷が並んでいた高台の一角にある憩いの空間。境内には桜が植えられており、秋葉宮や勝山の俳人松毬庵里翠が、松尾芭蕉の句を刻んだ「白菊塚」もある。
07/15/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 化生寺 殺生石の伝説の寺として有名。昔那須野で毒気を放ち人畜に被害を与えていた石を玄翁和尚が法力により払子 (ほっす)で割ったところ、越後、豊後、美作の三高田に飛び散った。美作高田は現・真庭市勝山一帯のことで、その一つがこの 化生寺にあるという。
07/15/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金原山 妙円寺 安養寺に並んで、三浦坂の上、三浦氏が太鼓山南麓の台地上に造った武家屋敷のある出雲街道沿いに建てられている。唐様・和様折衷式、重層式の妙円寺本堂と江戸時代後期の華麗な工芸技術を用いた中山式の番神堂は真庭市の重要文化財に指定されている。
07/15/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安養寺ー三浦家菩提寺ー 勝山の町並み保存地区から、三浦坂の一本南を出雲街道に沿って左に曲がり、細い坂道を上がると三浦氏が、太鼓山南麓の台地上に造った武家屋敷、旦地区に出る。左手に最初に目にするのが勝山藩主三浦家の菩提寺安養寺の山門。
07/09/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 摩尼山 高福寺 高福寺は、京都花園の妙心寺を本山とする臨済宗の寺院で大日如来が本尊。元和4(1618)年に津山城主森家の菩提寺の本源寺開山天倫玄節大禅師をこの地に勧請して創建された。梅雨時にはあじさいの花が美しい。
06/19/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 五流尊瀧院 江戸時代に賑わった金比羅往来を歩いてみるのも面白い。早島ー茶屋町ー天城ー藤戸から林を経て、由加にある瑜伽大権現へ通じていた。瑜伽山への途中には熊野神社と五流尊瀧院があり、瑜伽山を含めて新熊野三山と呼ばれ大いに賑わった。
06/18/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 由加山蓮台寺 瀬戸内海国立公園「由加山」の一角を占める。奈良時代の天平年間に創建された由加山蓮台寺とそれ以前から磐座信仰のあった由加神社が鎮座しており、讃岐の金毘羅宮と共に、両参りの「瑜加大権現」と呼ばれ全国庶民の信仰を集めて繁栄した。
06/14/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 源氏本陣跡 法輪寺ー源平藤戸合戦ー 源平藤戸合戦の戦跡を巡っていて、佐々木盛綱と漁師の話、そして盛綱の先陣までの戦跡が表に出て戦全体の大勢を見る事に気が付いたのは平家の本陣跡を見た時。源氏の本陣は何処なんだろうと思い調べて行き当たったのがこの法輪寺。
06/12/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 藤戸寺ー源平藤戸合戦ー 毎年6月の中旬頃になると、平家物語の冒頭に出てくる沙羅双樹の花の開花が報道される藤戸寺。佐々木盛綱が源平藤戸合戦の戦没者と、盛綱に浅瀬の場所を教えたが口封じの為殺害された漁夫の霊を弔った寺、としても知られており訪れる人も多い。
05/23/2016 / 最終更新日時 : 04/17/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鼻ぐり塚ー福田海(ふくでんかい)ー 吉備津神社と吉備津彦神社を結ぶ、吉備の中山の山裾沿いの道を通っていると鼻ぐり塚ー福田海ーと書いた見慣れない案内表示に出会う。ここでは牛の鼻ぐりを集めて家畜の供養や蓄魂祭を営んでいる。近くには平清盛の怒りを買ってこの地に流された藤原成親の遺跡も。
05/22/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 一乗寺 最上稲荷から奥之院参道を登って行くと、竜王山山頂にある、最上稲荷の奥の院に達する。ここには、麓の最上稲荷に比べ訪れる人も少なく、ひっそりとしていて訪れるたびに四季の変化を身近に感じることが出来る。
05/21/2016 / 最終更新日時 : 10/11/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 日本三大稲荷 最上稲荷教総本山 妙教寺 最上稲荷教総本山 妙教寺は、約1,200年前に報恩大師が創建した日本三大稲荷の一つで神仏混合の姿を今も残し、五穀豊穣・商売繁盛の神として全国から幅広い善男善女の信仰を集めている。奥之院への参道は季節の変化を感じることが出来、見晴らしも良いお勧めの散歩道。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 乗典寺 足守観光駐車場に車を止めて足守の町並み保存地区を歩いていくと、備中足守まちなみ館が目に入るがこの建物のすぐ隣にあるのが乗典寺。緒方洪庵ゆかりの寺ののぼりが立っているので分かり易い。洪庵の両親や先祖の墓が後の墓地に。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 専教寺 多聞寺から道路を西に進むと黒松の印象的なお寺が見えてくる。これが浄土真宗本願寺派の一乗山専教寺で中に入ってみると山門から本堂に向かって松の枝が15m程龍が伏せたように伸ばされている。樹齢は300年とか、良く維持されてきたものだ。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 多聞寺 矢掛脇本陣の少し東の通りを北に入ると表通りとは違い、静かな雰囲気の通りとなる。少し進んだところにあるのが多聞寺。宿場町矢掛の雰囲気に合った玄関と立派な造りの客殿の建物が目立つ。この寺の副住職は落語家の桂米裕とか。
05/01/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 吉備寺 まきび公園に隣接してある吉備真備の菩提寺。というよりまきび公園がこの寺に隣接して造られている。寺の前の丘陵の上には神社があり御神体は吉備真備の墓。時代と共に吉備真備の顕彰の仕方は変わっているが尊崇するその心は同じ。
04/20/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 主な庭園 補陀落山 円通寺 玉島市街の西、古くは柏島と呼ばれる瀬戸内に浮かぶ島であった所に奈良時代に僧行基が創建したと伝えられる寺。江戸時代中期に良高禅師により再興(円通庵)、その後「円通寺」と改められた。江戸時代後期には僧良寛が12年間この寺で修行している。
04/18/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 羽黒山清瀧寺 ここ羽黒山は海に浮かぶ小島で備中松山藩の水谷公が玉島新田干拓工事の無事を祈願して出羽国から羽黒神社を勧請した。その時京都青蓮院門跡におられた水谷公の御弟仙海和尚を迎え清瀧寺を建立して羽黒権現の別当寺とした。